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日蓮大聖人・池田大作

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第10回「SGIの日」記念提言 世界へ世紀へ平和の波を

1985.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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3  世界不戦の時代を築くためには、民衆の力を結集する以外に方途はないと思います。一九八二年以来、創価学会が青年部を主体に国連並びに広島、長崎両市と協力しつつ、国際的に「核兵器―現代世界の脅威」展を開催してきたのも、核戦争に反対し、核廃絶を願う世界の民衆の意思を結集する一助にしたいと願っているからであります。特に一昨年来、ヨーロッパ各都市で脅威展を開いてきたのは、ヨーロッパの緊張緩和が世界平和全体にとって緊急事だという認識に立ってのものであります。
 一昨年はスイスのジュネーブ、オーストリアのウィーン、フランスのパリ、昨年はスウェーデンのストックホルム、フィンランドのヘルシンキ、ノルウェーのオスロとベルゲン、更に本年は西ベルリンと開催を重ね、各地で多大の反響を呼んでまいりました。私もこの展示の意義を重視し、できる限り支援してきたつもりです。展示と並んで、各国で軍縮セミナーを開催するなど、平和と軍縮を目指す各分野の方々と交流を進めるよう創価学会代表団に要望しているのも、多くの人々の英知を結集したいと願ってのものにほかなりません。それは、例えば昨年、パルメ委員会の主宰者として知られるスウェーデンのオロフ・パルメ首相と学会代表団との交流というような形で実を結んでおります。
4  この脅威展は、一九八二年六月の第二回国連軍縮特別総会の際、ニューヨークの国連本部でスタートし、その後、世界各地から巡回展示の強い要請があって開催されてきたものであります。今後、世界軍縮キャンペーンの一環として中国、ソ連等にも国際的に巡回されていく予定であります。
 展示に対しては、各国の民衆はもとより、国連関係者や展示を見学した世界の識者、平和運動家等から高い称賛の声が寄せられております。デクエヤル国連事務総長も「第二回国連軍縮特別総会期間中に集まる各国の大使、公使、外交官が全部見るようにしたい」との感想を述べております。願わくは、それが第三回国連軍縮特別総会へ向けて、広く核軍縮の世論を高める契機になればと思うものであります。
 この展示の意義は、単に核廃絶への世論を結集するというところだけにあるのではありません。今日、世界平和に果たすべき民間活動の比重は飛躍的に高くなっており、NGO(非政府機関)の役割の重要性はいくら強調してもしすぎることはないと言えましょう。脅威展は、国連当局とNGOとの共同作業という世界平和へ向けての努力が実を結んだ一つの貴重な例でありますが、民衆の平和への意思を反映するという国連憲章の理想にそのまま通ずる点で誠に意義あるものと言えると思うのであります。今後、こうした展示にとどまらず、グローバル(全地球的)な問題に果たすべきNGOの活動をSGIとしても更に推進していきたい。
 私はこれまで、第一回、第二回の軍縮特別総会に対して、軍縮及び核兵器廃絶のための提言を行ってまいりました。それは宗教者として核廃絶を心から願うからにほかなりませんが、同時に国連NGOとしてのSGIの最高責任者として、国連を守り支えたいとの気持ちの反映であることを付言しておきたいと思います。
5  最近、アフリカの飢餓状況が深刻化し、様々な形でその模様が伝えられ、私も強い関心を抱いてきました。一昨年九月には、ポール・ハートリング国連難民高等弁務官とお会いしました。その際、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民救援活動に対し、私は人間の生命を守り育んでいく活動は、仏法でいえば菩薩の働きの一分になると申し上げ、人類への尊い仕事に敬意を表しました。難民救援活動は、人権擁護という積極的平和創出のための重要な条件をなし、無視できないものであります。SGIとしても、今後もできるだけの支援をしていきたいと思っております。
 これまで難民救援活動の面では、昨年、現在危機的状況にあるアフリカ難民の救援などのために、創価学会青年平和会議を中心に募金活動を行い、約一億五千万円を国連難民高等弁務官事務所等に寄託しました。一九七三年から始められた創価学会の難民救済のための募金活動は、これまで七回を数え、総額四億三千百万円に達しております。この間、インドシナ、アフガニスタン、アフリカ難民のキャンプ地に四度にわたり代表を派遣し、また難民援助国際会議にも参加してまいりました。こうした世界平和と、その根本をなす人間の尊厳を守る活動は、今後も地道に着実に積み重ねていくつもりです。
6  米ソ首脳会談の開催急げ
 SGI発足十周年の本年は、奇しくも私が初の世界平和の旅にたって以来、二十五周年にあたります。そこでSGI発足十周年、世界広布二十五周年、また創価学会創立五十五周年の意義を込めて、ささやかではありますが、ここに幾つかの新たな提言をさせていただきます。
 本年は戦後四十年ということで歴史の大きな節目の時と言われております。年頭より様々な角度から、そうした論調が展開されております。それを象徴するかのように、包括的な軍縮交渉を目指して米ソ間の対話がスタートしました。私もこの米ソ対話の復活に強い関心を寄せている一人であります。
 昨年の第九回「SGIの日」にあたり、私は「『世界不戦』への広大なる流れを」と題する記念提言をいたしました。この中で、米ソ間の対話が途絶えた緊張状態を深く憂慮し、特に米ソ間で緊急に宇宙への兵器配備を禁止し、宇宙空間における武力行使ならびに宇宙から地球に向けての武力行使を禁止するための条約を締結するよう訴えました。
 その意味からも今回、米ソ外相会談が、宇宙兵器の問題を含めた新たな軍縮交渉を開始するとの合意に達したことを率直に歓迎したい。その行方はもちろん予断を許しませんが、ともかくも核兵器の廃絶を究極目標として交渉が開始されるようになったことは評価されましょう。
7  二年前、私は、第八回「SGIの日」を記念する提言の中で、米ソ首脳会談の早期開催を要望いたしました。それは、世界の平和に大きな責任を持つ米ソの最高首脳が、まず万難を排して会うことから、閉塞状況を打ち破る大胆な発想と行動も、勇気ある決断も生まれてくると確信したからであります。私は平和を願う一市民として、重ねて米ソ首脳会談を本年なるべく早い時期に開催してほしいと要望するものであります。
 なぜなら、米ソ首脳会談を全体的な米ソの核軍拡競争にストップをかける契機にしてほしいのと同時に、宇宙空間の非軍事化に大きな歩み寄りが一刻も早くみられることを期待するからです。私が何よりも恐れるのは、交渉が長引き、その間に宇宙の軍事化がどんどん既成事実化されてしまうことであります。過去の軍縮交渉の歴史はその愚を繰り返しており、それを防ぐためには米ソの最高首脳の率直な対話が不可欠だと思うからであります。首脳同士の意思の疎通は、直接的な軍縮面への影響だけでなく、何よりも米ソ間に根強く存在している不信感を払拭する最善の契機となっていくでありましょう。そしてこの不信感の除去こそ、長期的にみて軍縮を可能ならしめる遠因であり、平和への重要なカギを握っているからであります。
8  軍縮への道は、たしかに長く遠くそして険しい道のりであります。今までの軍縮交渉の遅々たる歩み――進歩というよりも、むしろ退歩の目立つ歩みをみれば、悲観的な感触に襲われる気持ちも分からないではありません。しかし私は、軍縮への道を歩むにあたって、次のインドの詩人タゴールの言葉を、平和を愛する心に刻み付けていかねばならないと思うのであります。
  可能は不可能にたずねる、
  「君の住居はどこですか?」
  「無気力者の夢の中です。」
  という答えであった。(藤原定訳)
 というものであります。
 核兵器やそのシステムが、人間の手で作り上げられたものである限り、人間の手によってそれを縮小し廃絶することができないはずはないのであります。もし手をこまねいているとすれば、私どもは後世から、夢を追ってばかりいた「無気力者」との汚名を着せられてしまうでありましょう。それどころか、その後世の存在すら危うくしかねないのが、現在の核兵器による″全体的破滅″の脅威なのであります。
9  昨年話題になった、ダートマス大学のノエル・ペリン教授の『鉄砲をすてた日本人――日本史に学ぶ軍縮』という著書は、その点多くの示唆を投げかけております。
 ――長篠の合戦(一五七五年)で織田信長が勝利を収めて以来の半世紀、つまり十六世紀から十七世紀にかけては、火器の使用が日本で最高潮に達した時代であった。鉄砲の質的な面でも、また保有する絶対数においても、当時の日本は世界に冠絶かんぜつしていた。
 ところがその後の数百年、徳川時代を通じて、日本における鉄砲の使用は、質量ともに大幅に減少していった。武士階級は、殺傷力においては格段の差があるにもかかわらず、鉄砲を捨てて刀を用いた。
 なぜ、こうした逆転現象が生じたのかという点について、ベリン教授は、幾つかの理由を挙げております。なかでも注目すべきは鉄砲よりも刀のほうが、人間の精神性や道徳性を象徴する意味を持っており、つまりそうした純粋に内面的な美意識の問題として、日本人は、そのような選択をしたとの指摘であります。その結果、社会の他の分野では、当時、世界最大の人口であった江戸の″都市化″を形成する″平和″的な水道、衛生、交通体系に緩やかなテンポではあったが技術の進歩を発揮し、鉄砲は、生産コントロールから縮小に向かい、幕末期の人々の心からは、鉄砲の使い方さえも忘れられていたと述べております。
10  ベリン教授は「日本人は技術選択のコントロールを実行してみせた」として、そこから二つの教訓を引き出しております。
 第一に、ゼロ成長の経済と、中身の豊かな文化的生活とは、一〇〇%両立しうる、ということ。第二に、人間は、西洋人が想像しているほど受け身のまま自分の作り出した知識と技術の犠牲になっている存在ではない、ということであります。
 特に第二点は、現在の軍縮交渉を進めていくうえで、大きな希望と勇気を与えてくれるでありましょう。たしかに徳川時代は、鎖国やそれを可能ならしめた地政学的な条件など、現在と同日に論ずることはできませんが、少なくとも当時の人々が自発的、内発的な動機から武器としての効率よりも、道徳性や美意識のほうを重んじ、鉄砲の破棄に成功した事実は、現代入を覆っている″できてしまったものはしかたがない″という消極的、悲観的姿勢を痛撃していると言えましょう。
 どうか、とりわけ米ソ両国の指導者は、一日も早く、こうした人間の持つ主体的な現状転換の力を信頼して、胸襟を開いた対話の場についてほしいと念願せずにはおれません。
11  波動広げゆく平和文化祭
 さて本年は、国連が定めた「国際青年年」(IYY)であります。平和に果たす青年の役割が一段と脚光を浴びる年と言ってよいでしょう。創価学会は本年、ハワイのホノルルと広島の二カ所で世界青年平和文化祭を開催いたします。これは「国際青年年」を推進するものとして既に国連当局からの後援が決定しております。これまで毎年一回、SGIの友が世界平和への誓いを固める祭典として世界平和文化祭を開催してまいりました。本年はSGI発足十周年並びに世界広布二十五周年の意義を込めて、二度にわたり世界平和文化祭を開くことになりました。
 特に被爆四十周年を迎え、核廃絶ヘグローバルな力を結集する意義も込めて広島で開催することになった次第です。なおこれと並行して、広島で第一回世界教育者会議も行われる予定になっております。この二つの文化祭をとおして、また世界の各地域で自主的に開かれる文化祭をとおして、世界の民衆の平和を志向するエネルギーを結集していきたいと考えております。
 ともかく、平和を創出していくためには、そうした身近なところから波を起こし、点を線につなぎ、更に面へと広げていく以外にありません。
 ロジェ・カイヨワは、名著『戦争論』を次のような言葉で結んでおります。
 「……人間に奉仕するこの巨大な機構は、目に見えないいろいろな方法により、人間に奉仕しながら人間を服従させている。いまはもう、関心のある者はこの問題について考え、どこにその悪がひそんでいるのかを知らなければならぬときである。ところでこれに対処する方法となると、これはまた微妙なそして限りを知らぬ問題である。が、それには物事をその基本においてとらえること、すなわち、人間の問題として、いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。たとえ永い年月がかかろうとも、危険なまでに教育の欠如したこのような世界に、本来の働きを回復させる方法としては、わたくしにはこれしか見あたらないのである。とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、あの急速に進んでゆく絶対戦争を追い越さなければならぬのかと思うと、わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ」(秋枝茂夫訳)と。
 いささかペシミスティック(悲観的)な色調ではありますが、「物事を基本においてとらえること」「人間の教育から始めること」との指摘は、大変重要であると思います。そして、少々我が田に水を引かせていただければ、私どもの平和運動、特に大小様々な平和文化祭などは、この平和教育という分野で、新しいスタイルを作り出しつつあるのではないかと思えてなりません。
 準備期間を含め平和文化祭をとおして、幾多の若者が互いに力を合わせて見事に成長していく姿を目の当たりにするとき、私は二十一世紀の平和のために、心躍る思いを抑えることができないのであります。なぜなら、人間特に青年達が、困難に挑戦し克服することによって、″やればできる″という生気に満ちてくることにもまして、大きな平和創出の力はあり得ないのではないかと確信するからであります。
12  次に、世界の民衆の平和への願望を反映し、核軍縮を進める場として、私は第三回国連軍縮特別総会の成功を期していただきたいと願わざるを得ません。前二回の体験を踏まえた反省と十分な準備が必要なことは言うまでもありませんが、ともかく世界的な軍事化の流れを逆転させ、緊張緩和の流れを確固たるものにするための、民衆の側からの挑戦の大きな目標をここにおきたいと念願するからであります。
 来年は国連総会によって、「国際平和の年」(International Year of Peace)決定されております。その意味で、来年を第三回軍縮特別総会への準備の年と位置づけることは、誠に意義あることと言えましょう。
 この特別総会開催へ向けて、特に核軍縮措置として私が最重要視したいのが、包括的核実験の禁止であります。もし核実験が全面的に禁止されるならば、新たな核兵器の研究開発をストップさせることにもなり、核軍縮の画期的前進になることは明らかであります。
13  今回の提言で私が特に強調したい点は、こうしたグローバルな平和問題とともに、リージョナル(地域的)な平和問題であります。具体的には、戦後四十年という地平に立って、二十一世紀へ向けてアジア・太平洋の平和をどのように構想するかということであります。なぜなら、このところ世界情勢の中でも、とりわけアジア・太平洋地域が大きくクローズアップされているからであります。
 言うまでもなくアジア・太平洋情勢を考える場合、この地域にかかわる米ソ二大国の動きを無視することができません。特に最近、米国とソ連がともにアジア・太平洋地域に戦略的な重心を移動させ、この地域に新たな冷戦状況がみられることは憂慮にたえません。なかでも米ソが海洋に核兵器を配備し対峙しているのは脅威という以外にない。こうした状況が続くならば、やがてアジアがヨーロッパ以上の東西対立の主要舞台になりかねないとの声も多い。まして日本がこうした米ソ対決の図式に巻き込まれるほど危険かつ愚かなことはないと言えましょう。
 何よりも私が心配するのは、こうした超大国による戦略的なアジア重視がアジア全体の緊張を高め、この地にみられる対話の機運にマイナス要因として働くのではないかということです。私は今、アジアに対話の機運が盛り上がりつつあることを率直に評価している一人であります。特に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で南北対話の道が模索されているのは喜ばしい限りであります。東アジアにおける最大の危機の発火点と目されてきた同地域における緊張緩和への動きは、平和を願うすべての人々を大変に勇気づけるものであります。
 昨年六月の第六次訪中の際、私が中国の胡燿邦総書記との会見で、胡総書記に北朝鮮訪問の内容及び南北の平和的統一への中国側の見解をただしたのも、日ごろから分断された南北間の平和に強い関心を寄せているからにほかなりません。特にここで私が強調したいのは、米ソの首脳の場合と同じように、南北の最高指導者がともかくも会い、話し合うことの必要性であります。南北首脳会談が緊張緩和にもたらす意義は計り知れませんし、何よりも両国の民衆がそれを望んでいると思うからであります。
 一九八八年には、韓国のソウルでのオリンピックの開催が決定されております。現代のオリンピックは、政治の波をもろにかぶる不安定さが常に問題とされますが、東京に続きアジアで、二番目にソウル・オリンピックが開催される意味は決して小さくありません。何といっても世界の若人が集い合い、互いに技を競い合うオリンピックは、民衆交流の場であり、古来、平和の祭典としての色彩を強くもっているからであります。ソウル・オリンピックヘ向けて緊張緩和への流れが強まるのは、アジアにとって大いに歓迎すべきことであり、ソウル・オリンピックの開催がアジア全体の平和にとって意義あるものになってほしいと願わずにおられません。
14  「アジア・太平洋時代」の潮流
 最近「アジア・太平洋時代」とか「環太平洋協力構想」などという言葉が、しきりに取りざたされております。そこにはアジア・太平洋地域のもつ潜在的なパワー、なかでもアジア諸国の若々しいエネルギーが大きく注目されていることは間違いありません。
 たしかに二十年前、アジアのGNP(国民総生産)は日本を含め世界の一割でしたが、今や二兆ドル、世界の二割を占めるに至っています。八〇年代に入っても、そうした経済成長の伸びは高く、西暦二〇〇〇年へ向けて成長の度合いを更に高めていくと予測されています。
 このように、今アジア・太平洋地域が関心を集めているのは、主として経済的側面からであります。今後も太平洋を舞台にしての貿易量はダイナミックに伸長していくでありましょう。私はアジア・太平洋地域の国々が貿易や経済協力など経済的な相互依存関係を深めていくこと自体、結構なことだと思っております。しかし経済的な側面にばかり目を奪われていると、それにともなう弊害によって「アジア・太平洋時代」も絵にかいた餅になりかねない。なぜなら経済関係の深まりは、それぞれの国の利害が複雑にからまり、国家間の摩擦をかえって大きくしてしまう場合があることは、過去の歴史がよく証明しているからであります。
 まして我が国の場合、太平洋戦争中の忌まわしい歴史から、アジア諸国は日本の軍事大国化への強い警戒心を持っていることも決して忘れてはならない点であります。世界の経済大国になったとはいえ、この点ヘの配慮を欠いては、日本の果たすべき役割を正確に位置づけることができないといえましょう。「アジア・太平洋時代」の軸となるのは、あくまでも人間対人間の関係、すなわち相互の文化の理解と尊重でなければならないでありましょう。そこにこそ、「アジア・太平洋時代」の文明史的意義があると思うのであります。
 私がこう主張するのは、今から十五年前、一九七〇年の秋、EC(欧州共同体)生みの親と言われる故クーデンホーフ・カレルギー博士と延べ十数時間にわたって対談した経過があるからです。その時、博士は「日本が第一に世界平和のためにベストを尽くすこと、そして第二に、明日の大平洋文明を築いていくことを期待します。現代は、ヨーロッパ・アメリカの大西洋文明から、次第に新しい太平洋文明へ移行していく過渡期であって、そのなかでリーダーシップをとることが、日本に課せられた重大な使命であると思います。日本は、きたるべき太平洋文明の主体者となるべきです」と力説されたのです。
 私が親しく対話を重ねた歴史家の故アーノルド・J・トインビー博士も、独自の歴史観から、太平洋文明の時代の到来を告げましたが、博士もまた同様の趣旨を、私に語っていたことが忘れられません。
 私の率直な印象を申し上げれば、両博士とも、太平洋文明に新しい時代を画する、平和で開かれた文明の在り方を模索されていたと思います。
15  昨年十二月、ノルウェーの平和研究の世界的権威と言われるヨハン・ガルトゥング博士と、平和と宗教の問題に関して話し合う機会がありました。平和に果たすべき宗教の役割に強い関心を持つ博士から、現代にあってその点をどう考えていくべきか、という問題提起がなされました。私はキリスト教、イスラム教、仏教そしてマルクス主義を論ずるなかで、慈悲と寛容の精神に基づいて、戦争、暴力の否定を基調としてきた宗教として仏教を位置づけし、人類の悲願である平和を実現するうえでの仏教の卓越性を示唆しました。
 カレルギー、トインビー、ガルトゥングという、いわゆる西欧の知識人と対話するたびに、私は彼らが東洋の内面世界、とりわけ優れた精神的遺産に対して強い関心と期待を持っていることを思わざるを得ません。それは、十九世紀にヨーロッパがアジアを″力の論理″で侵略、植民地化を試みるまで、アジアは相対的に平和であり、他国の独自性を尊重した形で存在していました。アジアはヨーロッパに富、芸術、文化を与えてきましたが、ヨーロッパは″力の論理″の下で、大航海時代以降アジアを犠牲にしたのであります。
 当時は、資源は無限と思われ、新しい富を発見し持ち帰る時代でありました。現在、資源の有限が明白となり、平和、共存が絶対的条件の時代であり、もはや″力の論理″″征服の哲学″では、世界の危機を救えないことを、西欧の知識人は深く認識しております。「アジア・太平洋時代」へのアプローチが、政治的、軍事的、経済的な側面に偏ることなく、そうした東洋的英知ともいうべき精神世界をも視野に収めるものでなければならないことを痛感する次第です。
 それはまた、恩師戸田城聖先生の強い願望でもありました。恩師は生前、中国がこれからの世界史に重要な役割を果たすと常々語っており、また朝鮮戦争の勃発を深く憂慮され、朝鮮動乱に関する見解を発表されております。仏法者として、それだけ仏法有縁の地アジアに対する深い思い、アジアの民の幸福を願う気持ちが強かったわけであります。
 昨年の訪中の際、私は鄧穎超女史(故周恩来総理夫人)と会見いたしました。その際、王震中日友好協会名誉会長から古代の「妙法蓮華経」を贈呈されましたが、私は「貴国は仏教伝来の恩人の国です」と申し上げました。ここには私自身の感謝の気持ちとともに、戸田先生以来の中国に対する深い思いが込められていたことを付言しておきます。
16  日中友好はアジア平和の基盤
 そうした思いを受けて、私も今まで、しばしばアジアの平和を志向する論調を、世に問うてきました。小説『人間革命』第五巻の「戦争と講和」の章をはじめ、「アジアの平和と発展のために」(『創大アジア研究』創刊号)、「二十一世紀への平和路線」(『創大平和研究』創刊号)、「環境問題は全人類的な課題」(創価学会創立四十八周年記念提言)、「アジアを語る」(『私の提言』所収)、「明日の世界と日本」(ロベール・ギラン氏との往復書簡)、『二十一世紀への対話』(A・J・トインビー博士との対談)、『人生問答』(松下幸之助氏との対談)、「J・P・ナラヤン氏とガンジー思想」(『悠久の大地に立って』所収)等々、いずれも、アジアの歴史と伝統のうえに、いかに平和の花を咲かせゆくかの思いからの発言であります。
 また私は、一九六八年九月八日、日中国交回復を主張する提言を行いました。当時、日、米両政府は中国敵視政策をとり、それが時代の当然の雰囲気でありました。世界の多くの国から中国が孤立しているなかで、あえて私は日中国交回復の必要性を説いたのです。その後も北京大学や復旦大学での三度にわたる講演やあいさつにおいても、中国文明が平和に貢献しうる可能性について、種々論及してまいりました。
17  日中国交回復を訴えた当時、私はアジアの平和と安定に対する一つの展望を持っておりました。それは二十一世紀へ向けて、アジアの平和を責任をもって推進していくためには、日本と中国の平和に果たす役割がとりわけ重要になってくるであろうというものであります。それにはまず日中が永遠の友好関係を樹立することが必要不可欠である。当然、アジアに暮らすそれぞれの国の民衆が、自主的に平和への選択をすることを大前提にしつつ、日本と中国がよりよいアジアの明日を目指し、お互いの責任と役割分担をもってリーダーシップを発揮していく――これが私のアジアの平和に対する基本的な考え方でありました。
 僣越ながら一民間人として、私が早い時期に日中国交回復の旗振り役をさせていただき、また日中国交回復後、六次にわたり中国を訪れ、何よりも中国の指導者、民衆と万代にわたる友好を築き上げるよう努力してきたのも、私のこうしたアジア平和の基本構想に立脚したものであります。またソ連の立場を重視し、ソ連にも幾度か友好交流の旅をしてきたのは、アジアの平和を念頭においた私の基本的な構想があったからであります。
 それは、いかなる意味でも″力″による色彩のものであってはならないでありましょう。″経済力″であれ、まして″軍事力″などが表に立ってくれば、それは、平和とは似て非なるものであります。日中がアジア平和推進の中核になるといっても、アジア諸国は、強大な力を持った日本と中国に対して警戒心もまた強く持っていることに十分留意しなければなりません。
 私は昨年の訪中の際、北京大学で「平和への王道―私の一考察」というテーマのもとに講演をいたしました。私はこの講演で中国史を巨視的に俯敵しながら、中国は″尚武″というより、″尚文″の国であると申し上げました。中国においては、ごく例外的な時期を除いて″尚文″の気風が、歴史を動かす大きな力になってきていると私はみたのであります。あえて申し上げれば、中国文明の特質の中に、人間あるいは国家の、むきだしの本能や獣性をコントロールしゆく自制力、抑制力を見いだせるように思えてならなかったのであります。
18  現在の中国が今後いかなる進路をとっていくかは、中国の指導者と民衆自身の選択にかかっております。そこで、中国の人々と何度も対話を重ねてきた私の体験を踏まえての実感ですが、中国は明らかに二十一世紀を視野に収め、一切の動きを転回させていると思います。中国は十億の民を養うために自国の経済的成長を図る必然性から、大国主義を排し平和路線をあくまで選択する。二十一世紀へ向かう近代化のために、平和な国際環境が不可欠とする中国の決意は固い――これが私の訪中体験を踏まえた率直な印象であります。私が中国の指導者に北京での「核兵器―現代世界の脅威」展の開催を呼び掛け、合意を得たのも、中国の平和志向を評価し、その力を世界に生かしてほしいと願ったからにほかなりません。
 私が「アジア・太平洋時代」の文明史的意義を強調するのは、何よりも権力、武力が支配する時代を脱し、文化の力、人間性の力が支配する時代を築きたいという願いからであります。私はかねてより「文化とは権力、武力を用いず幸せへ民衆を化す運動」と定義づけてまいりました。ここに一切の発想を収敏させていくことができるか否かに、新しい「アジア・太平洋時代」を築きゆくカギがあると思えてなりません。それを一言で言えば″民衆の民衆による民衆のための新たな文明″の構築であります。
19  民衆の心を知る″複眼″の視座を
 限られた紙幅で「アジアの中の日本」という重大テーマをすべて言い尽くすことはできません。ただ一点、私自身これまで幾度かアジアの地を踏んで多くの人々と対話を重ねてきた体験から、最も重要な、最も日本人として心していかなければならないと念じていることを述べておきたい。
 それは月並みな言い方になりますが″アジアの心を知る″という点であります。それを外しては、二十一世紀へ向けてアジア世界における日本の役割を考えることは不可能だからであります。私が常々強調してきた点でありますが、それは一言で言えば異なる文化(言語、生活慣習、風俗、歴史、伝統等)を平等に認め合うことからすべてが始まるということであります。お互いがお互いの文化を尊重し、生き方を認め合う、その大前提に立った率直な心の交流の中から共感が生まれ、信頼が育っていくのであります。
 それぞれの国の文化は、それぞれ異なる歴史を持ち、独自の発展を遂げてきています。私達外国人の目に映るものは、往々にしてその文化の表面にすぎず、その背後には目に見えない複雑な要素が絡み合っております。それを理解するには常に複眼の視点が必要であり、相手側の立場をいつも思いはかる心の広さがなければならないでありましょう。
 そうした立場に立って相手と接していけば、いかなる国の人であれ、心の奥に共通の人間性の光源ともいうべきものを発見できる。これが世界の各地をたびたび訪問する機会を持った、私のいつわらざる実感であります。
 私自身、民衆次元の学術、文化、教育交流の重要性を認識し、それを進めるために国家という枠を超えて動き、歴史や風俗、習慣を異にする人々と率直に語り合ってきたのも、そうした信念に基づいてのものであります。これまで日本が経済大国でありながら、アジアの人々から尊敬されることが少なかったのは、日本人自身が本当の意味でアジアの心を知らなかったからにほかなりません。
20  一口にアジアといっても、実に多様性に富んでおります。アジアの抱える諸問題を一括することなど、とうてい不可能であります。それぞれの国がそれぞれの課題を抱え、自国のよりよい発展を願って、苦難の選択を重ねているといってよい。それぞれの国は独自の内在的発展の座標軸を持ち、一つのモデルで統一することはできないばかりか、かえって危険であります。
 私はかつてアジアを論じた論文の中で、伝統と近代化をどうかみ合わせていくかという方向でしか、アジアの平和も発展も考えられない、と指摘しました。
 昨年四月、私は来日されたタイ・マヒドン大学のナット・バマラパバティ学長と懇談しました。氏は、総本山大石寺の見学などの感想を交えながら、創価学会の発展と成功は近代性と仏教との調和があったからだとの印象を語り、近代化と伝統の調和という一般的な問題について意見を交わし合いました。私は、伝統が近代化のなかで光を放つようにすればよい、と指摘し、そのための国際交流の重要性に言及した次第です。
 もとより、アジア諸国の発展を、近代化という一つのモデルのもとに律することの危険性は百も承知しております。重化学工業を軸とした画一主義的な西欧流の近代化は、多様性に富んだアジアの風土に必ずしも合致するとはいえないからであります。
 問題は「伝統と近代化」というテーマに直面し、その融合を模索するアジア諸国に、日本はいかなる点をもって貢献しうるかということであります。その点、明治以来、様々な試行錯誤を繰り返してきた日本の近代化の歴史は、良い点も悪い点も含めて、アジア諸国の今後の行き方に、多くの教訓を投げかけるでありましょう。
 アジア各国が日本の経済力に大きな期待をもっているのはいうまでもありません。それがこれまでのように単に経済面での協力、技術の交流、移転という分野にとどまらず、それを生かすためにも、文化、教育交流、人材育成を中心にした、自由で開かれた重層的な協力方式が求められなければならないと思います。
21  教育・文化交流を重層的に推進
 これまで私はアジアの民の一人として、アジアの平和と繁栄を願い、中国をはじめ、アジアの地に幾度か足を運んできました。アジア各国の指導的階層にある人々とも話し合い、民衆との対話も心掛けてきたつもりです。とりわけ民間次元での教育、文化の交流を進めることに意を注いでまいりました。今後もこの路線を更に拡大し、アジアの人々の心のヒダに分け入る作業を続けていきたいと思っております。
 幸い「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との建学の精神を掲げる創価大学へのアジア各国からの留学生も年々その数を増しております。私は何よりもアジアの未来を担いゆく世代に日本を知ってもらい、そして各国のリーダーに育ってほしいとの強い気持ちを抱いており、大学当局にもその意向を伝えてまいりました。
 明日の世紀を担うアジアの若人が、アジアの平和と繁栄を願って交流を進めることほど希望にあふれた姿はありません。そうした心情から、私の時代にできるかどうかは分かりませんが、その意志を継いでいただきたいということを願いつつ、将来的には、現在準備が進められているアメリカ・ロサンゼルス校、パリ・ヨーロッパ語学研修センターに加えて、しかるべきアジアの地を選んで創価大学アジア分校の建設を構想してはどうかと提案する次第です。そこにおいてアジアの青年達が日本語や日本文化を研究する、また日本の青年達がアジアの地域研究に励む、そのような場にしていきたい。それを″アジアの平和と文化のフォートレス″にしていくことが私の願いであります。
22  また昨年の夏、民音(民主音楽協会)が企画した新シリーズ「マリンロード音楽の旅」の公演は、極めて興味深いものがありました。これは東西文明の懸け橋として、陸上のシルクロードとともに重要な役割を果たしてきた、アジアの南方海域を結ぶ″マリンロード″に焦点を当て、東南アジアの音楽、舞踊を紹介しつつ、諸文明の交流と日本文化への影響を探ろうとするものであります。
 特に企画の第一回は「タイと沖縄―その華麗な舞踊」と題するもので、そこにはタイと沖縄とが舞踊、演奏をとおして見事に交流する姿を浮き彫りにしておりました。
 更に本年は「シルクロード音楽の旅」の第四回公演として、中国、ソ連、トルコ、日本の四カ国による合同舞台が実現することになりました。それぞれの国から演奏家、舞踊手が来日し、歌と演奏、舞踊が行われることになったのは極めて意義のあることと思います。これまで「シルクロード音楽の旅」の企画に贅同し、調査団の受け入れや芸術家の派遣に積極的に協力してくれた国は、中国、モンゴル、インド、パキスタン、ネパール、イラク、アフガニスタン、ルーマニア、ソ連、トルコの十力国に達するとのことであります。
 私は今から十年前、一九七五年にモスクワ大学で「東西文化交流の新しい道」と題する記念講演を行いました。それは民族、体制、イデオロギーの壁を乗り越えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、すなわち人間と人間との心をつなぐ「精神のシルクロード」が今日ほど要請されている時代はないという基本認識に基づくものでありました。そして東西のみならず、南北をも包み込んだ精神のシルクロードが世界を縦横にとり結んでほしいとの願いを込めたものであります。私の講演意図が、ささやかではありますが、こうした民音の文化交流に具体的姿として実現されていることを心より喜ぶものであります。
23  相互理解と信頼の絆を
 今日、地球を南と北に分けているのは経済の発展度であります。しかし当然のことながら、その経済発展の度合いが、それぞれの国の文化領域全般の優劣を決定するものではありません。経済的に発展途上の国であっても、世界に誇りうる文化的財産を保有している例は少なくありません。それは人類共有の財産といってもよい。ちなみに、この地球に経済という視点ではなく、芸術、文学などというような別の次元からの光を当ててみれば、その多様性は目を見張るばかりでありましょう。そこには単純な南北の視点だけでは割り切れない豊かな世界像が現出するはずです。
 ともあれ、文化交流とは異民族、異文化を互いに認識し尊敬し合い、人と人との心を″平和の絆″で相互に結びゆく作業であります。
 民音創立者として、私は今後もこうした民衆の文化、芸術の交流を盛んにし、世界不戦への具体的一里塚としていく決意であります。
 もとよリアジアの平和と繁栄の構想は、その地域その国の民衆が主体的に作り上げていくべきものであります。否、それなくしてはアジアの恒久的平和はとうてい実現しえないといえましょう。またアジアの問題は、アジアだけで解決できるものではなく、ヨーロッパをはじめ世界の他の地域の問題と連動させて考えていく必要があることも当然であります。
 その意味からも、民衆の側からする平和へのダイナミックな取り組みが絶対の要請になっております。それこそが民衆の自発的な意志の開花した平和と文化の″緑の道″をアジアに貫通させ、また世界に広げていくものであると確信いたします。
 西暦二〇〇〇年まであと十五年。今世紀前半、三度までも不幸な世界大戦を経験した世界の国々は、今なお不信と対立の図式から完全に抜け出すことができないでおります。今こそ世界の民衆の力を総結集し、人類は不信と恐怖と対立から相互理解と信頼による平和と安定の時代へと流れを変えねばなりません。
 戦後四十年という時代の転換期にあたり、私自身、民衆が真に主役となる時代を築くために、本年も全魂で庶民の中に入り、恒久平和へ一歩前進の歩みを刻んでいきたい、と念じてやまないものであります。
 (昭和60年1月26日「聖教新聞」掲載)

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