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人生問答 日本の進路

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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25  伝統をみる目
 池田 あらゆる国家、民族には、その国独特の伝統があります。″よき伝統はよき創造の母となる″という表現も真理の一面をついていると思いますが、歴史的に培われてきた伝統というものは、よきにつけ悪しきにつけ人間が未来の方向を決定する場合に貴重なアドバイスをしてくれるものです。ただ、すべての伝統をプラス価値として転換していくためには、伝統をみる日、洞察眼が必要です。そこでおたずねしたいのですが、どのような思想、原理にもとづいて伝統をみておられますでしょうか。
 松下 伝統というものを、どのような思想、原理にもとづいてみるかというご質問ですが、私には素直な心であるがままにこれをみるという以外、特別の思想とか原理にたってみるというほどのものがありませんので、日本の伝統について自分は基本的にこのように考えているということを申し上げて、お答えとさせていただきたいと思います。
 私自身、先輩なり、歴史によって伝えられた日本の伝統というものについては、興味をもっておりました。そして、日本の伝統にはプラスもあれば、マイナスもあるけれども、差し引きしてみると、いい伝統だと考えます。個々には悪い点はあっても、総じていえば立派な伝統だと思うのです。
 世界各国のそれぞれの伝統なり、今日の文化、文明から検討してみても、日本の伝統に根本的なというか、重大な欠陥は認められません。私は歴史にはあまり詳しくはないのですが、かりに百年前とか千年前をとってみれば、その当時の日本には今よりも遅れた面、好ましくない面があるでしょう。けれども、そういうものはやはり昔の外国にもあったわけですし、むしろ日本以上のものがあったと思います。国内で戦争をして殺し合うというようなことは日本にももちろんありましたが、外国の場合はおおむね日本よりも激しいものがあるような感じがします。あるいは、奴隷制度といったものも、日本にも多少はあったかもしれませんが、外国の場合ほど徹底したものはないのではないでしょうか。
 そのように、今と比較すればいろいろと遅れた面はあっても、その時代時代をとって対比してみると、日本の伝統というものは、より穏やかというか、より人間性にプラスする妥当なものがあったのではないかと思うのです。そういう点を吟味して考えると、日本の伝統は、外国と比べて、勝るとも劣らないものがあるといえるように思います。また、日本は過去世界の国々から非常に多くのものを取り入れ、それを自分のものとしてきています。そういう点からすると、日本の伝統はいい意味で世界の伝統の集大成であるとも考えられるのではないでしょうか。
 基本的には以上のように、私は日本の伝統をみているわけです。
 それではそういう観点から、今日においてわれわれは何を考えなくてはならないかということですが、こうした伝統にたって、新しい日本にふさわしい、新しい思想的な創造をしていかなくてはならないと思うのです。そのことはおそらく、多くの日本人が考えていると思いますが、私もそういうものをつくっていきたいと思っています。もちろん、完壁なものはできませんが、あるていど、人間はこうあるべきだ、社会はこうあるべきだという考えを創造していきたいと思うのです。
26  地方自治の強化策
 松下 現在、日本では三割自治という言葉もあるように、中央集権的な性格がきわめて強いようですが、これが一面、地方格差を生み、国全体としての発展をアンバランスなものにしていると考えられます。そこで、日本を八〜十の大きなブロックに分け、これをかりに州として、行政の主体をその州におき、独立性の高い、いわば″七割自治″という姿で国家の運営を行なえば、地方格差も是正され、調和ある発展も生まれてくるのではないかと愚考するのですが、いかがでしょうか。
 池田 地域の開発、発展、中央と地方の格差是正は二十数年来の課題として検討されてきたもので、昭和二十五年に制定をみた「国土総合開発法」もバランスのとれた地域の繁栄という考えが、その根底にあったのです。
 ところが、経済が戦後すさまじいばかりの復興、繁栄を遂げているのに、政府の適切な施策がなかったために、この法も、″仏つくって魂入れず″のまま放置されてきたのが実態です。その結果、当初描かれた青写真とは似ても似つかぬアンバランスを現出してしまいました。ご指摘のとおり、ここで抜本的な対策を案出し実行しなければ、この格差は日を追い年を追って広がっていくことは目にみえて明らかです。
 まず、今日の地方自治の実態についていえば、中央政府の指令を地域に伝える指令伝達機関の域を出ないようです。少なくとも議会の視線は地域の庶民に向けられるよりも中央のほうに向けられているほうが多いといえましょう。地方の条例一つをとってみても、中央から条例の準則が各地方にまわり、地方はそれを基本として条例を作成していきます。多少の地方の色合いというものが織り込まれはするものの、地方独特の習慣や風土、地域住民の生活というのは補完的な意味しかもたない条例が制定される危険が非常に強いのです。これでは地域に見合った開発、発展ができるわけがありません。
 もともと地方政治は中央の政治とちがって、住民がみずからの生活権を守るというみずからの意思と行動によって直接参加することが主眼としてあったのです。その意味からは、住民の、住民による、住民のための政治機構として、まさに″自治″でなければならないはずです。それが住民と遊離し、国家つまり中央の権限のもとに制約されながら機能せざるをえないという今日の実情は、まさに地方自治の形骸化であり、民主主義そのものの土台を危うくするものであるといわざるをえません。
 そして地方自治の形骸化は、地域のもっている特徴を消滅させることになり、その結果、一面では文化の画一信に陥るとともに、他面、経済のうえではアンバランスな格差を生みだしています。この事実に目を向けられて、イ一割自治″から″七割自治″への転換を提唱されているのは私も大賛成です。日本を大きなブロックに分けて州制にするということも、新たな改革案だと思います。今日のように、これだけアンバランスな地域格差、そして画一的な中央からの指令系統が弊害の根源になっているのをみますと、真剣に論議されてよい政治形態といえましよう。
 したがって、私はご意見には賛意を惜しまぬものですが、これについても注意せねばならないのは、それが形のうえだけの州制というのであっては状態は少しも変わらないばかりか、むしろ混乱を招く恐れが十分に考えられます。地方自治を住民の手に取り戻すには、住民の目覚めた意識が原動力となり、自然に州制を志向するという時代の潮流となってくることが大切であると思います。

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