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何のための教育か  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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22  学問の専門化と総合化
 松下 学問というものは、進めば進むほど専門化され、それぞれに深められていくように思われます。これは真理探究の進歩の姿としてまことに喜ばしいことですが、半面、とかく一面の真理のみにとらわれて、全面の真理というものを見失いがちの傾向も見受けられるようです。その意味において、専門化された学問の総合調和ということがきわめて大事になってくると思うのですが、その点いかがお考えでしょうか。
 池田 現在、西洋における科学革命以来の、分析に分析を重ねる学問の在り方が、さまざまな批判を受け、ようやく新たな展開をみせはじめているようです。
 人間の理性・知性を駆使しての真理探索が、これまでの数世紀の間に、目をみはるばかりの進歩発展を成し遂げたことは、あらためて強調するまでもないことでしょう。
 しかし、ご質問のなかでおっしゃっておられるように、理性にもとづく真理への肉薄は、ともすれば、部分的真理の領域にとどまりがちであります。それは、理性による分析という手段が、その対象を客観視し、理性のメスで切るという方向をとらざるをえないからです。そこから「全面の真理」を見失うという欠陥をさらけだすことにもなるわけです。それにしても、多くの先人が苦闘の末に発見した真理、法則は、たとえ「一面の真理」であったとしても、貴重な人類の遺産であることに変わりはありません。要は、これらの分析智の所産としての真理を尊重しつつ、そのうえに、真理の全体像を浮かびあがらせる努力をすることであり、現代の心ある学者のとろうとしている方向も、まさに、全体的真理への探索に向かっているのではないかと思います。その一つの試みとして、各学問の間に、まだ未開発の分野として横たわる、いわば限界領域への挑戦が始まっています。たとえば、生命現象の解明に物理学を導入しようとする生物物理学とか分子生物学、量子生物学などは、無生の世界と生物の世界との接点を明らかにするうえで、きわめて有力な手段となりうるでしょう。
 また、人間生命の探索においては、従来の物質的側面から明らかにされた真理と心の領域に見いだされる真理、法則を組み合わせようとする心身医学、精神身体医学の胎動があります。
 これらの試みは、幾多の曲折を経ながらも、分析から総合へ、分解された真理から統合した真理への道を、少しずつ切り開いていくでありましょう。部分的法則は一挙に全面的真理へとつながるものではありません。しかし今、学問の潮流は、対象の分解、分析から、総合統一への道を歩みはじめていると私は思うのです。
 このような、学問の潮流の方向転換にあたって、私は、近代文明発生以前の、東西の先哲の英知に、再び光を当て、そこから偉大なる知恵をくみとるべきではないかと提案してみたいのです。
 たしかに、対象とするものの部分的実証は、現代の学問の成果のほうが、より精密であり、詳細であるかもしれません。それらは、近代に再発見された理性の所産にほかならないのですが、しかし、少なくとも、人類数千年の歴史を流れきたった先哲の所説には、理性の光の届く合理の領域を含みつつも、それを乗り越えた超合理の世界への、見事な直観智のきらめきを発見することがけっして少なくはないようです。
 西洋には、ある面では、ルネサンスをとおして近代理性の母体ともなったギリシャの哲人の思索があり、東洋には、インドのウパニシャド哲学、仏法に示された宇宙と生命に関する膨大な哲理、漢民族の英知の精華とも考えられる陰陽五行説と、宇宙と人間との本質的な関連に直入した思想等が、現代の光を当てられないままに、それぞれの民族の心のなかに眠りつづけているといっても過言ではないでしょう。
 私は、学問の総合化を目指す人びとが、自己の専門分野をさらに深めるとともに、古今東西の人類の遺産に謙虚な姿勢で取り組み、先哲のまばゆいばかりの直観智に学ばれんことを願ってやみません。そして、近代理性と古来からの直観の英知がともに助け合って、宇宙と生命の全体的真理を浮かびあがらせる学問体系の建設のつち音の響く日を待ち望むものです。
23  統合の原点に″人間の学″を
 池田 学問について、細分化とともに統合の面を重視しなければ全体像の把握ができないとのご意見を、前におうかがいしました。ところで、政治にせよ、経済にせよ、科学にせよ、すべて人間の幸福を求めつつ細分化されていった分野です。にもかかわらず、今日それらが独自の理論で自己回転を始めてしまっているようです。これらを統合して、本来の役割に引き戻すためにも、統合の原点としての″人間の学″が、より深く学ばれ、打ち立てられねばならないと考えますが、この点についてのご意見をうかがいたいと存じます。また″人間の学″を何に求められるかをお聞かせください。
 松下 別のところでも申し上げましたように、今日の学問の進歩はそれこそ日進月歩といってもいいほどのものがあります。そうした進歩というものは、一方では、それぞれの学問分野の内容の深まりとなり、もう一方では、次々と新しい分野が生まれてくるというかたちになると思います。
 そういう姿において、より多くの真理が解明され、それが人間生活のうえに役立てられて、人間生活を発展向上させるということは、まことに好ましいことだと思います。政治にせよ、経済にせよ、その他、共同生活におけるもろもろの活動は、学問の成果を取り入れることによって進歩するものであって、学問の進歩なくしては、人間の共同生活の向上もありえないといってもいいかもしれません。
 ところが、そうした学問の進歩の半面、それにともなって弊害も起こってきています。それはなぜかというと、学問の分野が細分化されるにつれて、狭い範囲での真理に固執するといいますか、一つの学説にとらわれて、より大きな真理を見忘れ、学問の総合調和を怠るからではないかと思います。したがって、そこにどうしても、より高い観点にたった学問の総合調和ということが必要になってきます。
 その総合調和の役割を果たすものは″人間の学″だというご意見には私も全く賛成で、その必要性を痛感するものです。学問の目的は真理の探究にあるということがいわれますが、しかし、何のために真理を探究するのかといえば、それを人間生活に役立てるためであり、結局は人間のためということになると思います。つまり、いっさいの学問はみな人間のためにあるのであって、それ以外の何のためでもないと思います。したがって、そうした学問の統合の原点となるものは、「人間とは何ぞや」という人間学でなくてはなりません。
 その人間学を何に求めるかということですが、今日の学問でも、たとえば医学とか生物学のように、人間を体の仕組みや働きの面から研究するもの、心理学のように精神作用を中心として研究するものなど、部分的に人間探究を目指しているものもいろいろあると思います。しかし、私のいう人間学は、たんにそういう部分的なものでなく、それらをも含めた総合した人間学であり、そういう観点から、人間の本質と、その本質から生まれてくる広範囲にわたる人間の在り方に焦点を当てて研究するところのものなのです。
24  人間学構築への提言
 池田 学問の進歩は、今後ますます加速度を加えていくでしょう。また、分析と同時に、各学問間の総合化も試みられています。
 しかし、いかなる学問の進歩も、その究極の目標は、人間生命を守ることにある以上、各学問を総合化し、リードする中核には、前にも申し上げたとおり、人間学がすえられるべきでしょう。
 今、社会科学、人文科学、自然科学と並んで、生命科学が時代の脚光を浴びていますが、これらの学問の基礎のうえに、人間学を築き上げなければならないと思います。
 全力をあげて、すべての学問の領域の人が、人間生命の探究に向かうとともに、総合学としての人間学を構築することが急務であると考えるのですが、いかがでしょうか。
 松下 あらゆる学問の中核として、新しい人間学がつくられなくてはならないというお考えに私は全面的に賛成するものです。
 このようなことを、今ごろになって一間一答のなかに加えなくてはならないことを思うと、いかに重大な問題を世の識者の人びとが今日まで放任していたかを痛切に感じさせられます。お互い人間が共同生活の調和ある向上を実現し、自他ともの幸せを生みだしていくためにも、人間学こそすべての学問の中心にならなくてはならないと思います。私は学問のことはよくわかりませんが、それほど重要なことが、ひとり日本においてのみならず、諸外国においてもあまり取り上げられなかったというのであれば、ごく常識的に考えてみて、まことに不思議でなりません。
 一つ考えられますことは、これまではそういう人間自身の探究といったものは、宗教にゆだねられていたのではないかということです。そして学問は、主として、いわゆる科学的な分野を担当してきたということも考えられます。そのようにして、宗教が人間の探究ということを大きな領分として、そこに成果をあげてきたということ自体はそれはそれで好ましいことだと思います。
 けれども、やはり学問が学問としてこれを取り上げなかったことは、いわばウカツであったと思います。それは東洋といわず、西洋といわず、ともにウカツであったわけで、これからは、人間学というものを、科学的、精神的の両方の面から、大いに取り上げ、探究していかなくてはならないと思います。
 具体的にそれがどういうものになるかは、いわば門外漢である私には論及いたしかねますが、やはり、そういった人間学というものの必要性を、世の識者の人びと、学者の人びとが痛感していただくことが、まずなによりも大切だと思います。そして、その認識にたって衆知を集めていただくならば、必ずやそこに立派な人間学というものが生まれてくるのではないかと思うのです。
 そのような意味において、幸いに先生のご関係しておられる創価大学というものがあることですじ、そこにおいても、ぜひともこの人間学を主要な科目としてお取り上げいただきたいと願うものです。

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