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社会を見る目  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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27  人種差別をなくすには
 松下 今日なお、世界のいたるところで人種差別的傾向が存続しているといいます。そのために、同じ人間同士がいたずらに対立し、憎み合い、しばしば不幸な好ましからざる姿を生みだしているようです。こうした人種差別というものをなくしてしまうことはできないものでしょうか。異なった人種がともに生活をし、しかもそこに調和を保ち、ともどもに生活を高めていく、といった姿を生みだすための方策はないものでしょうか。
 池田 この問題を考えるには、人種差別感情が何によって起こってくるかを考えねばなりません。もし生理的な先天的なものであるとするならば、その障壁は越えがたい強固なものとなるでしょうし、もしそれが後天的なものであるとすれば、必ずや突破口はみつかるはずです。
 私は差別感情というのは、主として社会慣習や社会的感情の伝承という広い意味での「教育」によるものであるという考えをもっております。たしかに差別意識は幾世代にもわたって引き継がれ、深刻な対立を生んでいる例が多くみられます。なかでもアメリカなどにおける白人と黒人の差別感情はかなり根強いものがあるようです。意識的に他の皮膚の色の人たちと接しよう、理解しようとしても、生理的な嫌悪感が先にたって、差別意識を克服できないと訴える人さえもいるようです。
 しかし、私は、そういう人であっても、根本的には教育による後天的なものであると考えたいのです。社会に行なわれている偏見と差別の雰囲気に育つうちに、それが先天的なものであると感じるようになったのではないでしょうか。親、友人、教師、その他、自身を囲むあらゆる環境において、差別教育が慎重に、しかも幾度となく繰り返されて、差別意識を植えつけていく。社会自体がそのような考え方にならされ、それを偏見として拒絶することは不可能のようにさえなっていくのです。
 とするならば、人種差別の意識というものは、私たちの生命の奥深いところから出発したものではなく、生命のきわめて表層部分に植えつけられた硬い感情であるということになります。たとえば、同じ白人であっても、ラテン系諸国の人びとは黒人に対して差別感情をあまり強くもっていないことからも、先天的なものでないことが推察できます。
 差別意識が教育によって形成されたものであるとするならば、逆に、人種差別の感情を取り払うことも、教育によって可能となるはずです。人種の違い、風俗・習慣の違い、言葉の違いが、根本的なすべての生命の尊厳性、同質性からすれば、いかに「相違」とはいえないほどのものであるか、ということを当然の前提として、差別をしない、意識さえしない社会的な風習が確立されていくとき、必ずや差別意識は消滅していくにちがいないし、またそうであらねばならないと信じております。
 事実、私は、人種や膚の色の違いを乗り越えて、それまで対立し、あるいは忌避しあってきた人びとが、手をつなぎ理解しあっている姿を見ております。お互いの生命のなかに、尊極無上の輝きの内在することを認めるとき、人びとは「地球人」「世界人」として共通の基盤にたっているお互いを発見するのではないでしょうか。
 さらに、ただ人間は平等であると叫ぶだけでなく、なぜ人びとは平等なのか、という確たる根拠が人びとの意識のなかに打ち立てられたとき、おのずから人種差別は吹き払われていくでしょう。
28  オカルト・ブームと社会
 池田 ひところのオカルト・ブームについて、どのようにお考えですか。また、このブームは日本だけではなく、世界的現象のようですが、それはどのような社会的背景をもつとごらんになりますか。テレビで放映され、話題を呼んだような超能力を、どのように受けとめておられますか。
 松下 ひところ、念力とか、そういったいわゆる超能力によって、スプーンを曲げるというような、不思議な現象が、テレビなどに映されたりしていろいろ話題を呼んだようです。
 このようなものは、過去の歴史をみても、しばしば流行するように思われます。健全な常識では判断できないようなことが、ことさらに吹聴されたり、理論づけられたりするような世の中というものは、今にはじまったことではありません。ずっと昔から、その時代その時代の程度に応じてつきまとっていたように思います。
 私は、ああしたものが真実性をもつという見方はしていませんし、そうは信じたくありません。もちろん、過去、キリストのような人も出ているのですから、ごくまれにそういう超能力をもつ人があるかもしれないことは否定しませんが、しかし、ふつうの人間が自然の理法にかなわないような力をもつことはありえないと考えていいのではないでしょうか。最近のオカルト・ブームのような摩訶不思議な力は真実には存在しないと思います。
 それでは、どうしてこのようなブームが起こってきたのか、それも日本だけでなく、世界的に起こっているのかということですが、これは多くの人が指摘しておられるように、世界的に、不安、動揺、混乱といった状態になってきているからだといえましょう。たとえば石油問題です。今回の石油問題は、産油国が申し合わせて価格をつりあげたわけです。そのつりあげ方が誰がみても妥当だというものならいいのですが、いっぺんに四倍も上げるという、常識では考えられないようなものです。そして、そういうものが通ってしまうというところに、今日の世界の混乱、混迷があるわけで、そこから人心の不安、動揺も起こってきます。
 そのような世相を背景に、超能力という現象が真実らしく伝えられ、それが話題を呼んでオカルト・ブームになったのだと思います。最初にものべたように、過去にもたびたびこうしたことはあったわけで、それはやはり、社会なり人心が不安定な時代に起こっていると思うのです。
 ですから、やがて社会が安定してくれば、こういうことも少なくなってくるのではないでしょうか。

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