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宇宙と生命と死  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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29  エントロピー増大の法則
 池田 現代科学の掲示する最も重要な法則の一つに、エントロピー増大の法則があります。つまり「熱力学第二法則」です。この法則によれば、私たちの住む宇宙は、最終的に「死の世界」に陥ってしまうことになります。それは、全宇宙の熱がしだいに平均化していって、ついには「熱的死」の状態になってしまうからです。
 こうしたエントロピー増大の法則を、宇宙の未来を想定するために使用することは、基本的に正しいといえるでしょうか。
 また、この法則は、生物の世界には適用できないとされています。むろん、生物が生きているかぎりにおいてですが、もし、生物体にこの法則があてはまらないとすれば、それはいかなる理由にもとづくと考えられますか。
 松下 実を申しますと、私は″エントロピー″というような言葉に接するのは、このご質問が初めてで、その法則がいかなるものかよくわからないのです。
 聞くところによりますと、ごく通俗的に考えれば、ある物体なら物体の各部分が異なった温度だとすると、これに外部から熱が加わらないかぎり、時がたつにつれて、その物体の温度は全体的に平均化されてくるというようなことだそうです。
 そうだとしますと、物を食べたり飲んだり、あるいは呼吸したりして、たえず熱源を補給している生物については、それが生きているかぎりこの法則はあてはまらないと考えていいのではないかと思います。
 それでは、こうした法則がこの宇宙全体にあてはまるのかどうかということです。この宇宙には、たとえば太陽のように中心部の温度が一千万度を超えるという高温のところもあれば、ほとんどの物質が凍ってしまうというような低温のところもあるといわれます。しかし、かりにこの法則が宇宙にもあてはまるとすれば、そうした温度の違いも、やがては平均化していって、ついには宇宙のどこも同じ温度になってしまうことになります。
 私は、科学的見地からそういう見方が妥当であるのかどうかについてはよくはわかりません。ただ私としては、そのように宇宙が将来、ご質問にある「熱的死」の状態を迎えるとは考えたくないのです。前項でも申し上げましたように、私はこの宇宙は、時間的にも空間的にも無限に躍動しているものであり、一つの偉大な生命体であると考えています。そうした偉大な宇宙というものには、「熱的死」というようなことはありえないと考えたいと思うのです。
 しかし、かりに百歩ゆずって、そういうことが科学的に考えられるとしても、それはいわば無限ともいっていいほどの遠い未来のことでしょう。われわれが考えうる将来においては、そのようなことは起こらないと思います。
 ですからお互いの共同生活の発展、人間の福祉の向上という観点からすれば、この宇宙は無限に生成発展していくものだと考え、その生成発展に即した人間の在り方ということを中心に考えていってさしつかえないし、またそう考えなくてはならないと思うのです。
30  エネルギー保存の法則
 池田 物理学では、物質世界の基本原理の一つとして、エネルギー保存の法則を発見していきます。物質とエネルギーは、互いに交換しながらも、けつして消滅してしまうことはない。つまり「有」が「無」になることは起こりえないとの法則です。
 ところで、岡部金次郎博士は、最近『人間は死んだらどうなるか』(共立出版)という著書のなかで、この「不生不滅の法則」を拡張し、人間生命の死後についても適用して生命が死後も存在する論拠とされています。
 このようにエネルギー保存の法則を拡大して考えることに対して、どのように思われますか。
 松下 「エネルギー保存の法則」というものは、いわば物質の不生不滅ということを科学的に解明したものだと思います。
 私は岡部博士のお説について、よくは存じませんが、もし、生命というものを、なにか物質的なものと考えて、この法則を拡張して適用するというものであれば、賛成したくはありません。私は、生命は非物質的なものと考えたいと思います。
 ただ、そういう非物質的な生命は、人間が生きている間だけでなく、死後も引きつづき存在すると考えます。つまり、死後の生命は、この大宇宙という大きな生命体に帰納、融合すると考えるわけですが、そのことにつきましては、「死後の生命」のお答えをご参照いただければ幸いです。
31  東洋医学の評価
 中国の鍼麻酔手術のテレビ公開が機縁となっ東洋医学(漢方医学)への評価が高まっています。
 東洋医学は、中国民族の長い経験の集積と、中国古代の生命観であり、宇宙観でもあった陰陽五行説とがあいまって、西洋近代医学とは異なった医学の一潮流をなしてきました。
 私は、西洋的な意味での科学化はなされていないとはいえ、中国民族の経験の精華を謙虚に学ぶ必要があるとともに、今後は、陰陽五行説という生命観にも考察の光があてられるべきだと考えます。
 さて、陰陽五行説のうち、陰陽説については、宇宙と生命の展開を見事に洞察した深い直観智がきらめいていると思いますが、いかがでしょうか。
 また、五行説も、その発想の基盤には、みるべきものがけっして少なくはないと考えますが、あまりにも形式化しすぎたために、観念的なものになってしまっていると推測したいのです。この点に関しても、ご意見をお聞かせください。
 松下 私は医学に関しては門外漢であって、深い知識はありませんが、しかし人間が数千年にわたって進歩し、発達してきたという過程においては、西洋医学、東洋医学、いろいろの医学のなかに生きてきたわけです。ですから、西洋医学を尊しとするとか、東洋医学を低しとするといったように形式的には評価できないと思います。われわれの祖先が現にそれによって生き、発展してきていることを考えれば、そういう長い間の医学体験というものは、大いに尊重すべきものではないでしょうか。だから、東洋医学が旧式で、西洋医学が新式だというように軽々に評価すべきではなく、もっと慎重に考えなくてはならないと思うのです。
 ことに最近は、すべて物事には行き過ぎがあって、そこから弊害が起こってくることもだんだんわかってきました。進歩があっても、その進歩のためにかえって弊害が生まれるといったように、厳密にいうと物事にはすべて功罪が相なかばしてつきまとっているように思われます。
 その意味では、今日、東洋医学にも非常に貴重なものがたくさんあるというような反省の時期にきているともいえましょう。現に、西洋医学よりも東洋医学のほうを好むという人もありますし、また薬物にしても、病気によっては西洋薬物よりも東洋薬物のほうがいいという考え方が最近は起こってきているようです。
 そういう点から考えまして、東洋医学にも大きな健置があり、西洋医学とともに慌用されることがあっていいと思います。ただ、願わくは、それが名医によって併用されることが望ましいと思うのです。
 陰陽五行説というのは、ごく平易に考えますと、この宇宙の森羅万象は、陰陽二つの気の働きと、木、人、土、金、水の循環流行によって生ずるというものだと思います。私は、どういう人が考えたのかは知りませんが、何千年も昔に、こういう形で森羅万象の根底をなすものを認識したというのは、驚くべきことだと思います。静かに考えてみますと、今日のわれわれも、意識するとしないとにかかわらず、こうした考え方によって生かされているのではないでしょうか。中国にこのような考えが生まれ、また周辺の国がそれを取り入れて、数千年にわたって社会生活をしてきた、そういうことを今あらためて考える時期にきているのではないかと思います。
 いずれにしても、日本はまことに幸いなことに、一方では中国という古い先輩をもち、他方、西洋の新しい医学も取り入れているわけですから、それを巧みに使いわけ、併用していくことが大切だと思います。そして、それは先にものべましたように、名医によってなされることが一番望ましいわけですが、ただ、そのためには国民がそういう意味の認識をもつことが必要で、さもないと名医も生まれてはこないでしょう。

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