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豊かな人生  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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31  青年の無関心層の増大
 池田 現代青年のなかに無関心層と呼ばれる若者が増大しているといわれます。これは何事に対しても自分の精神力を傾注することができない、ということですが、青年たちにいわせると、精神を集中するに足る存在が社会にないということにもなります。そしてこうした現象は科学技術を原動力とした現代文明の進捗と無関係ではないようです。つまり、すべてがきわめて機械的・合理的に運ばれていく社会機構のなかで、自己の全存在をかけるものどころか、自己そのものの存在さえ見失いかねないという、まことに追い込まれた状態になっているわけです。この、若者の間にみられる無関心層の増大についてどうみておられますか。またこれをどう解釈すべきでしょうか。
 松下 今日の青年のなかに、なぜ無関心層といわれる人びとが増大しているかということについては、いろいろな原因があると思います。が、そのなかでもとくに大きな原因の一つは、若者たちが使命感をもっていない、ということがあるのではないかと思うのです。
 たとえば、大学生についてみても、多くの場合、その大学の建学の精神とか、学是といったものが強く訴えられることがなく、したがって、自分は学生としてこういう使命が与えられているのだといったことをはっきりと自覚していないのではないでしょうか。もしそういった使命感というものが明確に与えられていたなら、それにたってなすべき勉学に心身ともに打ち込むということになり、無関心ではおられなくなると思います。
 また、これは大学生にかぎらず、社会に出ている青年たちにもいえることでしょう。つまり、社会人としての使命感をはっきりともっていたなら、その使命感にたって仕事をし、活動を進めるということになって、自分の仕事はもとより、社会のいろいろな物事に対しておのずと関心が高まると思うのです。
 こうした使命感はどこから出てくるかといいますと、個々にはいろいろありましょうが、結局は、やはり国家としての目標、方針というか、いわゆる国是・国訓というものがはっきりと定まっていることだと思います。国としての国是・国訓が明確に定まっていれば、社会の一員としてなすべきこと、果たすべき使命もおのずと明らかになりましょう。あるいは大学としての在り方、そのなかにおける大学生の在り方といったものも明らかになります。したがって、青年の一人ひとりが、みな使命感にたって歩むという姿も生まれてくるでしょう。そうした姿になれば、もはや無関心層といった人びとは絶無とまでいかなくても、ごく少数の例外としてしか存在しなくなるのではないでしょうか。
 青年の無関心層について考えられることは、そうした国是・国識の問題が第一だと思いますが、もう一つは、学問をする人の数の適正化を図るということです。
 といいますのは、無関心層というような人は、いわば学問の真の意義を理解していない場合が多いのではないかと思うからです。つまり、学問を教えられることによって生きがいを感じることも少なく、かえって身をもって事に当たろうとしなくなり、何事に対しても関心が薄れてくるという人が少なからずあるような気がするのです。
 したがって、そういう無関心層を少なくするには、学問をする人の数を思いきって適正にすることも一つの方法だと思うのです。今日では、どこの国も、どれだけの人数がどれくらいの教育を受ければよいかということを、はっきり数字を出して定めてはいないようです。その国の富める度合によって、富める国ほど多くの青年が高度の教育を受けているのが実情でしょう。
 しかし、いくら富める国であっても、学問をしても、かえってそれを正しい方向に生かせない人もいると思います。事実、大学が多い国ほど社会が安定し、好ましい姿で発展しているかというと、必ずしもそうでもありません。むしろ、各種の社会的問題を多く起こしているのは、大学がたくさんある国の場合が多いのではないでしょうか。アメリカをはじめ、先進諸国の姿によって、そのことがよくわかるのではないかと思います。
 ですから、真に学問をしたいという人、真に学問する才能のある人、そういう人が百人のうち何人あるかということを統計的に調査し、そのパーセンテージにもとづいて教育の方向を決めるということも、一つの行き方ではないかと思うのです。そうすることによっても青年の無関心層は少なくなってくると思います。
 ただ、このような学問をする人の数の適正化ということも、国是・国訓というものがはっきりしてこそ、考えられ、行なわれるものでしょう。それがアイマイでは、そうした教育の抜本的な方向づけは出てこないと思います。したがって、そういう意味からも、私は、国是・国訓というものの確立が、なによりもまず第一に行なわれるべきだと考えるのです。
32  影響を受けた人物
 池田 これまでの人生にあって、最も強く影響を受けた人物なり、書物なりを、よろしければお聞かせください。
 松下 私がこれまで最も強く影響を受けた人ということですが、今静かに考えてみますと、ある特定の人の影響を受けたというよりは、非常に多くの人の影響を受けつつ今日まできたというような感じがいたします。
 つまり、これまでの人生において、直接に接した人はもちろん、会ったことがなくても、話に聞いたり本で読んだ人、そういったあらゆる人びとの影響を、強弱いずれにしろ、受けていると思うのです。たとえば、私が奉公に出ていた子供のころ、店にこられたお客さまから、よく「タバコを買ってきてくれ」と頼まれることがありました。そんなささいなことでも、お客さまによって、頼み方、物の言い方が違うわけです。それで、この人はいい人だなとか、この人はどうもいい感じがしないとかいうことを子供心にも感じ、自分が人に物を頼むときはこうしたらいいなというように、やはりそこで影響を受けたというか学ぶものがありました。
 そのように、日常、なにげなく接した多くの有名、無名の人びとから、それぞれに、よき経験を与えられつつ、いわば教えられずして教えられてきたわけです。したがって、そういう意味では私の場合、接した人はみな、なんらかの手本となったともいえましょう。
 ただ、あえて申しますならば、私は聖徳太子という方を非常に尊敬申し上げており、それだけそのご業績に学ぶところが大きかったように思います。あの十七条憲法の条文の一つ一つをみましても、太子がいかに人間というものを正しくつかんでおられるか、そしてそれを政治のうえに生かそうとされているかがわかり、まことに感銘させられるものがあります。たとえば「和を以て貴しと為し、さからうこと無きを宗と為よ。人皆党有り……」という第一条にしても、派閥というものを人間がつくりやすいこと、いいかえれば派閥をつくるのは人間の本性であることを認めたうえで、だから争わず仲良くしなさいと教えておられます。今日のわが国で、そういった人間の本性に対する深い洞察なしに、ただ派閥それ自体がいけないとするような見方が強いことを思うとき、こうした十七条憲法の内容、さらにはそこに盛られた精神というものに深い感銘を受けるのです。
 したがって、あえて最も強い影響を受けた人をあげるとすれば、この聖徳太子の御名をあげたいと思います。書物については、これまでほとんどそういうものを読んでおりませんので、とくにこれというような書物はございません。

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