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日蓮大聖人・池田大作

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妙音菩薩品(第二十四章) 社会に「希望…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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7  アショーカ大王の「文化祭」
 須田 妙音菩薩は「伎楽の供養」をしたとありますが、これは大乗仏教の特徴です。
 小乗の出家教団では、音楽や舞踊を修行の邪魔として禁じていたようです。自分がするのはもちろん、見物も禁止していました。
 遠藤 しかし、大乗になると、反対です。
 池田 法華経の法師品(第十章)でも、法華経に対して伎楽等をもって供養しなさいと説かれていたね。また、インドのアショーカ大王も「伎楽供養」を行なっていたという。
 (紀元前三世紀のマウリヤ朝第三代の王。仏教を厚く信奉し、福祉・平和の施政を行なった。悪侶を追放したり、動物を生贄にすることを禁じたりもした)
 斉藤 ストゥーパ(仏塔)の周りで行なった祭りが、そうですね。
 池田 有名だ。仏塔を囲むようにして、歌手が歌い、さまざまな楽器が演奏された。
 演劇あり、舞踏会あり。詩の朗読もある。いろいろな商人も「いらっしゃい、いらっしゃい」と声をかける。
 遠藤 楽しそうですね(笑い)。
 池田 軽業師に見とれる子どもがいる。手品や奇術に、やんやの喝宋。
 ボクシングや、相撲の試合がある。動物や鳥たちを闘わせている男たちもいる。
 目にも鮮やかな衣装で踊り続ける乙女たちもいる。それに、ぼうっと見とれている若者もいる(笑い)。松明や、パレードがある。
 斉藤 絢爛たる「文化祭」「音楽祭」ですね!
 池田 これが、「法(ダルマ)」をたたえ、供養するための「伎楽供養」です。楽しい供養です。
 ″法に生きる喜び″を全身で表したとき、歌がこぼれ、体が動き出した。その″平和の波″が広がっていった。「アショーカの文化祭」は、私たちの大文化運動の先駆と言えるでしょう。
 遠藤 「明るい」ですね。
 池田 明るいし、美しい。平和です。
 平和と文化は表裏一体だ。平和がなければ文化はない。文化が興れば、平和は広がる。刹那的、享楽的な文化ではなく、尊き人間性を開放する文化です。人間の善性を信じ、永遠なるものに向かって高め合っていく。そういう香り高い文化です。
 歌手のサイフェルト女史(ヨーロッパ青年文化協会会長、元オーストリア文部次官)は言われた。「芸術は私たちの中にある『聖なるもの』の表現なのです」と。
 斉藤 じつは、法華経を今の形にまとめる際に、アショーカ大王の伎楽供養の史実が念頭にあって、妙音品などの流通分ができた──という説もあります。これが事実かどうかはともかく、法華経と音楽は切り離せません。
 池田 そう言えば、鳩摩羅什(法華経の漢訳者)のふるさとも、有名な「音楽の国」だったね。
 遠藤 いにしえの「亀茲きじ国」、今のクチヤですね。(中国・新疆しんきょう(シンシャン)ウイグル自治区にある。天山山脈の南麓に開けた高原の街)
 池田 漢の時代には、人口八万を超える「西域第一の王国」だった。とくに「歌舞音曲」「管弦伎楽」に優れ、「亀茲楽」と呼ばれて、大変な人気だったようだ。
 唐の都・長安でも、人々は争って、エキゾチックな、その調べに聞きほれた。
 正倉院の有名な「五弦の琵琶」の源流も、「亀茲琵琶」であったという。雅楽にも影響は大きかった。この「音楽の王国」は同時に「仏教の王国」だった。あの玄奘三蔵もこの地を訪れて、仏教の盛んな様子に驚いている。
 須田 『西遊記』の″三蔵法師″のモデルになった大旅行者ですね。
 斉藤 この地から、法華経の最大の名訳者・鳩摩羅什が出たのは不思議ですね。
 池田 羅什も、音感に優れた人だったかもしれない。そうでなければ、あの名文のリズムは生まれなかったでしょう。法華経には、出てくる楽器も多いね。
 遠藤 はい。まず管楽器に入るものとしては、「角」は角笛です。「ばい」「」はホラ貝です。「しょう」は縦笛の一種で、音量は小さく、音色は穏やか。「笛」は横笛で、音色は柔らかといいます。
 池田 弦楽器は?「琵琶」は有名だね。
 遠藤 はい。そのほか「琴」はのない琴で、指や、爪をはめて弾きました。「しつ」は糸が多い大型の琴です。
 斉藤 今でも「琴瑟きんしつ相和す」(夫婦仲がよいこと)などと言いますね。
 遠藤 「箜篌くご」はハープの一種です。
 須田 あと、打楽器としては「にょう」「銅抜どうばつ」があります。シンバルのようなものとされています。
 池田 法華経は「音楽」に満ちている。法華経が栄えた中国・唐の時代の「楽譜」も、敦煌から発見されています。
 もう千年以上前だし、何の楽譜なのかは、いろいろ、研究がある。一音一音の高さを表すだけでなく、リズムまでも示されているという。実際の演奏にチャレンジした人もいます。ともあれ、法華経には、宇宙の大音声がこめられている。宇宙の根源のリズムが、メロディーが、和音が、こめられている。
 妙音菩薩の名前の由来の別の説に「雷鳴」を意味すると、あったでしょう。あれが面白いね。
 斉藤 はい。梵語の「ガドガダ・スヴァラ」を先ほどは、どもる声の意味であると解釈しました。しかし、「ガドガダ」を、帝釈天の″戦いの先触れ太鼓の音″である「ガルガラ」が訛ったものではないかという説があります。
 須田 帝釈天は雷神でもありますから、この太鼓の音は、要するに「雷鳴」と考えられます。
 池田 日本語でも、カミナリとは″神鳴り″の意味であるとか、″神の御なり(出現)″のことであるとか言うね。天の轟きです。宇宙が吼える声です。
 遠藤 キューバでの出来事を思い出します。取材した記者に聞いたのですが。
 ハバナ大学から池田博士への名誉文学博士号の授与式の日は、暑さを吹き飛ばすように、雨が降っていました。(一九九六年六月二十五日)
 雨は炎熱の大地を一気に冷やす勢いで、豪雨となり、式典の途中、ちょうど先生の記念講演の時には雷雨となった。すさまじい雷鳴。日本から行ったメンバーも内心、「ちょっと降りすぎだな」「どうなっちゃうのかな」と思っていたそうです(笑い)。
 ところが先生は講演を、こう切り出された。
 「雷鳴──なんと素晴らしき天の音楽でありましょう。『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です。『大交響楽』です。また、何と素晴らしき雨でありましょう。苦難に負けてはならない、苦難の嵐の中を堂々と進めと、天が我らに教えてくれているようではありませんか!」(「聖教新聞」一九九六年六月二十五日)
 これで一気に聴衆の心をつかんでしまったと、うかがいました。
 斉藤 私たちなら、とっさには、ちょっと出てきませんね(笑い)。
 池田 妙音菩薩が過去に仕えた仏の名も「雲雷音王仏」だった。
 宇宙は「音声」です。万物が「声」を発している。惑星の動きから、原子・素粒子のミクロの世界まで、″音楽的法則″とも言うべきリズムに貫かれている。このことは陀羅尼品(第二十六章)で論じるこどにしよう。大事なところだから。
 要は、その「宇宙の名曲」を、どれだけ自分のなかに入れられるかです。ロダンは「芸術とは自然が人間に映ったものです。肝腎な事は鏡をみがく事です」(高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波文庫)と言った。
 自分という「楽器」を、見事に調律し、訓練して、「宇宙の妙音」を宿らせ、響かせ、轟かせるのです。その鍛錬が仏道修行ともいえる。
 一般的にも、「音楽によって人格を陶冶しよう」としてきた歴史がある。古代ギリシャもそう。古代中国もそうです。
 プラトンは音楽教育が決定的に大事だと考えていた。「リズムと調べ」によって、「気品ある人間」ができると考えた。
 中国の孔子の「礼楽」も有名です。「楽(音楽)」を学ぶことによって、調和ある人格ができるとしたのです。
 初期の仏教でも、歌舞音曲は遠ざけられたが、音楽に無縁だったわけではない。もともと経典そのものが音楽的に朗唱されたのです。それで初めて人々の心に浸透した。
 初期の仏典では、釈尊が歌声(声を出すこと)の効用をこう説いたと伝える。「身体が疲れない」「憶うところを忘れない」「心が疲れない」「言葉が理解しやすい」など。
8  社会に希望を贈る「妙音運動」
 斉藤 音楽の力──それは宇宙のハーモニーを、わが生命に共鳴させるということだと思います。自分の生命も「調和」がとれていきます。
 池田 音楽は、心を開放します。心の「こり」を、ときほぐしてくれる。
 「演奏する」ことを英語で「プレイ(Play)」という。「遊ぶ」という言葉と同じです。伸び伸びと、心を開放するのです。(ドイツ語の「Spielen(シュピーレン)」、フランス語の「jouer(ジユエ)」も同じく両方の意味をもつ)
 日本語でも「管弦に遊ぶ」といった。いい意味での「遊戯」です。自在の心です。
 須田 妙音菩薩の体得した三昧の一つに「神通遊戯三昧」ありました。
 遠藤 音楽療法なんかも、心の「こり」を取る効果を、狙ったものでしょうね。
 池田 伸び伸びと、自分を開放する。だから、歌声があるところは伸びていくのです。戸田先生は「民族の興隆には、必ず歌があった」と言われた。創価学会も「学会歌」が元気に歌われているかぎりは、発展は続きます。
 社会も同じです。人々が、美しい曲を口ずさむような社会であれば、向上への鼓動があると言ってよいでしよう。「哀音」に引きずられるような社会は、前途も暗いのではないだろうか。
 遠藤 そう言えば、関東大東災の直後でしたか、″今度のような大天災に見舞われたのは、人心の荒廃や慢心と、どこか関係があるのではないか″と論じた作家がいました。
 池田 幸田露伴の随筆だね(「震は亨る」、蝸牛会編『露伴全集』30所収、岩波書店。参照)。戸田先生も、そのことはよく語られていた。
 遠藤 たとえば、震災の前、″おれは河原の枯れすすき同じお前も枯れすすき″(作詞・野口雨情)という歌が大流行した。何か、いやな感じがしたと書いていたと思います。
 須田 一種の「哀音」でしょうね。
 池田 もちろん科学的に立証されたわけではないし、軽々に、すべての例に当てはめるのも、おかしいでしよう。ただ、目に見えない底流の部分で、「時代の動向」と「文化・音楽」は、互いに影響を及ぼし合っているのではないだろうか。
 「歌は世につれ、世は歌につれ」です。
 須田 具体的には、「哀音」と「妙音」の戦いでしょうか。
 池田 「哀音」と言っても、文字通りに哀しげな音律のこととは限らない。人を「あきらめ」に追い込む音律であり、音楽であり、文化が「哀音」ではないだろうか。
 どんなに、にぎやかな印象であっても、人の心を「なるようにしかならない」という虚無に導く文化は「哀音」でしょう。反対に、静かであっても、人の美しい感情に訴え、人間を高尚にしていく文化は「妙音」に通じるのではないだろうか。そこには人間への信頼と希望があるからです。
 私たちSGI運動は、音楽にとどまらず、ありとあらゆる分野で、人々の胸に「希望」をわき立たせていく運動です。その意味で、すべて「妙音運動」と言ってよい。
 人の胸中にある「善性のいと」を、かき鳴らしていく運動です。それが妙音菩薩の「三十四身」ではないだろうか。
 斉藤 はい。妙音菩薩は、薬王菩薩や観音菩薩と同様、「現一切色身三昧」を体得しています。
 民衆を救うためならば、どんな姿にでもなって行動していこうという境涯です。
 遠藤 経典には、あるいは梵天王の身を現じ、あるいは帝釈の身を現じ、あるいは自在天の身を現じ……とあります。
 (経典には、三十四身について、次のようにある。「梵王、帝釈、自在天、大自在天、天大将軍、毘沙門天王、転輪聖王、諸小王、長者、居士、宰官、婆羅門、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、長者の婦女、居士の婦女、宰官の婦女、婆羅門の婦女、童男、童女、天、龍、夜叉、乾闥婆けんだつば、阿修羅、迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらがなどの身を現じて、人々を救う。そして、地獄、餓鬼、畜生の三悪道の人々を救い、また、王の後宮においては女身となって法華経を説く」(法華経六一五、趣意)と。)
 斉藤 大聖人は、こう仰せです。「所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり
 池田 相手にあわせて自在です。自由自在であり、自由奔放です。
 人を鋳型にはめて、ロボットのような人間を作るのが宗教ではありません。ロボットのように縛られた生命を解放するのが仏法です。
 妙音の三十四身とは、創価学会が、社会のあらゆる分野で、多角的に、また立体的に行動している正しさの証明です。
 分野は違っても、すべて「慈悲」です。「人間主義」です。「悩める人の最大の味方になっていこう」という炎が燃えていなければならない。それがなくなれば「妙音」ではありません。
 斉藤 かつてヤコプレフ博士(ベレストロイカの設計者)が、池田先生の行動を見て、こう言われていました。ドストエフスキーの「美は世界を救う」という言葉について、この「美」とは「人間主義」のことではないか──と。
 「人間主義」で、社会のなかへ、社会のなかへ入っていくことですね。
 池田 それが「美」です。それが「妙音」です。それが「法華経」です。学会の行き方は絶対に正しい。
 須田 先日(一九九八年十月)、イタリア・ポローニャの現代宗教映画祭で、池田先生の平和行動を紹介した「旭日の騎士」が「特別賞」を受けました。その時の評価も、宗教が社会に貢献している姿に感動したという趣旨でした。
 遠藤 私たちにとっては、当たり前のようですが、新鮮なんですね。
 斉藤 口で「論じる」人はいくらでもいますが、実際に風圧を受けながら「行動」する人は少ないですから。環境問題ひとつとっても、「論じる人の数に比べて、行動する人の何と少ないこと!」と、ある人が嘆いていました。
 池田 牧口先生の主張は「宗教のための宗教であってはならない」であった。美・利・善という「価値」を「創造」しなければ宗教の存在意義はないと。ここが宗門との決定的違いであった。
 牧口先生は宗教が宗教の世界に閉じこもるのではなく、この現世を価値あるものに変革しなければならないと叫んで、殉教されたのです。
 だから、この現世を「美の国土」にしなければならない。「利(うるおい)の国土」「善の国土」に変えなければならない。また人生を「美の生活」「利(うるおい)の生活」「善の生活」へと創造していくのです。それが″創価人″の人生です。
9  文化交流は「見えない橋」
 須田 妙音菩薩の三十四身のことを釈尊が教えると、聞いていた人々も「現一切色身三昧」を得ます。そして妙音菩薩は、仏にあいさつをして、本国へ帰ります。
 帰りもまた、通り路を震動させ、宝の蓮華を雨と降らし、百千万億の種々の伎楽を奏でていきます。
 池田 こうして妙音菩薩品は終わる。大宇宙を「音楽」で満たして往復した物語です。宇宙に架かった「音楽の橋」です。これによって、霊鷲山の人々の境涯も、大字宙へと開かれていった。
 妙音菩薩とともに来た八万四千の菩薩たちも、大境涯(現一切色身三昧)を得た。有限の身が、無限へと開かれていく。そのための信仰です。宇宙に包まれている自分が、宇宙を包み返していく。それが妙音の勤行・唱題です。
 宇宙と自分との間に「見えない橋」を架けるのです。それが「妙音」の力用であり、広く言えば「芸術」の力ではないだろうか。その「生命の橋」は、今度は、人と人との間も結ぶのです。
 遠藤 ロシアのペトロシャン博士が言われていました。
 「国と国、民族と民族をつなぐ『見えない橋』──それが文化交流です。他の(=政治・経済などの)橋は、戦争でもあれば、いっペんに崩れます。しかし『見えない橋』があるからこそ、また交流が生まれる。その『見えない橋』の設計者こそ池田先生です」(「聖教新聞」一九九八年十一月十日付)と。
 斉藤 私も、その言葉を感動して聞いていました。人を引き裂く「分断」の悪の力を超えて、「結合」という文化の力が必要です。
 クチャーノフ博士は「世界は『善なる力』を必要としています。SGIの皆さまの力で『善の勝利』を、もたらしてください!」と語っておられました。
 池田 国連の発表によれば、二〇〇一年は「文明の対話の年」と決まったようだ。文明間の対話を進めてきた学会の行き方こそが、二十一世紀を先取りしているのです。
 天台大師は、妙音菩薩のことを「妙なる音声をもって、あまねく十方に吼え、此の教を弘宣す。故に妙音と名く」(『法華文句』)と説いている。
 「正法華経」(竺法護訳)では、「妙音」は「妙吼」と訳されているようだ。吼えたのです。師子吼したのです。
 戸田先生は、亡くなられる寸前まで、「戦おうじゃないか!」というお姿であった。命をふりしぼっての先生の一言であり、お姿でした。
 今、私も、あらゆる思いを一言にこめて、「戦おうじゃないか!」と叫びたい。
 「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(御書一三〇〇ページ)です。この″勢い″が法華経です。
 楽しくやるのです。悠々と舞を舞いながら、進むのです。
 胸を張って、「さあ、戦おうじゃないか!」と。

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