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日蓮大聖人・池田大作

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如来神力品(第二十一章) 地涌の菩薩へ…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
12  タゴール「私の生命はほとばしる!」
 池田 神力品では、宇宙大の「広宣流布の瑞相」が示されたが、「人間革命」とは、一人の人間という「小宇宙」における「広宣流布」です。
 自分の中の「大生命力」を噴出させるのです。大地をたたき破って出現した地涌の菩薩のように。仏典とはもちろん次元が違うが、タゴールの有名な話を引いて、ひとつの参考にしてもらいたい。
 彼は二十歳をこえたばかりのころ、ある朝、たまたまベランダから外を見ていて、「突然に私の眼から覆いが落ちた」体験をした。「美の波と喜びを四方にあふれさせて、世界が不思議な光輝を浴びているのを見出したのだった」(「わが回想」山室静訳、『タゴール著作集』10所収、第三文明社)
 その体験を彼は詩に綴る。有名な「滝の目覚め」という詩です。
 「おお、なぜか わたしにはわからない。 幾多の歳月をへたのちに
    わたしの生命は 眠りから目覚めたのだ。
    わたしの生命は いま眠りから目覚めたのだ、
  ああ、大水が 波立ち 高まる、
  ああ、生の憧憬 を生の情熱を
    わたしは 閉じこめ 抑えることはできない。
  山が ごうごうと 地響きを立てて 震動する、
  石が ごろごろと 転がり落ちる、
  泡立つ波が どうどうと うねり
  烈しい怒りに 咆哮する」(「初期詩集」森本達雄訳、『タゴール著作集』1所収、第三文明社)
 遠藤 世界が地響きを立てて揺れ動く──何か神力品の内容を思い出させますね。
13  池田 生命の激震です。
 ただし神力品では「大歓喜の激震」であったが、タゴールがここで歌っているのは、大我が目覚め、ほとばしり出ようとして出られない、一種の″もがき″でしよう。しかし詩の後のほうでは、彼は歓喜にうながされて、こう歌っている。
 「こころの言葉を語り告げ、
     こころの調べを歌つて聞かせよう、
  生命をふんだんにほどこすほど 生命はますますほとばしり、
    もはや 生命は尽きないだろう、
  わたしには 語るべき多くの言葉が 歌うべき多くの歌がある、
    わたしの生命は ありあまるほどだ、
  わたしには 多くの歓喜が 多くの願望がある。
    生命みち 恍惚としている。
  これほどの歓喜はどこにあるだろう これほどの美はどこにあるだろう」(同前)
 斉藤 文字通り、″汝自身に目覚めた″歓喜の描写ですね。法華経とも響き合う″インドの心″を感じます。
 池田 だれもが、タゴール以上の目覚めをできるのです。
 壮大な「如来神力」といっても、その「本体」は「南無妙法蓮華経」です。
 ゆえに、御本尊に題目をあげることは、わが小宇宙の生命に、毎朝、毎夕、神力品のごとき壮麗なドラマを起こしているのです。その変革のドラマを今度は、現実社会にも広げていってこそ、神力品を読んだことになる。
 そのためには、勇気です。打って出ることです。それで自分が変わる。社会が変わる。
 大我に目覚めた、タゴールは叫んだ。
 自己の小さな限界を「打ち破れ、打て 打ち破れ!」(同前)と。

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