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日蓮大聖人・池田大作

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安楽行品(第十四章) 人類を絶対の「安…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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9  遠藤 創価学会の運動も、まさに、この通りですね。
 須田 博士は、先生との対談でこう言われていました。
 「車輪は動いています。名誉会長は、車輪の動きのごとく、『行動』によって仏教の運動を発展させておられる。仏教思想の車輪を回転させることによって、『東洋』と『西洋』を結ぶ原動力を与えてこられたように思います」(「聖教新聞」一九九〇年十月二十五日付)と。
 池田 仏教の教えそのものが、決して硬直していない。偏狭なドグマ性から自由であり、社会に開かれている。博士は、ここに注目しておられる。
 須田 仏教が、社会の中に生き生きと脈動する宗教であることを実感します。
 池田 日々、それを実践しているのが学会の同志です。言論という「法輪」を回して、来る日も来る日も、社会に平和の価値を生み出している。これほど崇高な姿はありません。
 一軒また一軒、こつこつと激励や弘教に歩く。一人また一人と、友から友に仏法を語っていく──。その行動こそ「転法輪」です。妙法を世界に転じ広げゆく「広布の転輪聖王」の行動です。その福運は永遠です。
 「御義口伝」には「三世常恒に生死・生死とめぐるを転輪聖王と云うなり」と仰せになっている。今、行動した分だけ、来世も、次の生も、また次の生も、あるいは社会の大指導者となり、あるいは大科学者となり、大文豪、大経済人、大学者となり、また庶民の無名の王者となり、あらゆる長者の姿をとって、妙法を根本に人々を救っていけるのです。
 大聖人は「霊山浄土に安楽に行詣す可きなり」と仰せです。生きている間も、死んでからも、喜びに満ち満ちて霊山浄土へ行ける。生きていること自体が楽しいということです。生も歓喜、死も歓喜ということです。そうなるためには、御本尊に唱題することが楽しい、友に仏法を語ることが楽しいとなればいい。勤行が苦しくて苦しくてというのではダメです(笑い)。御本尊が慕わしくならなければ信心はウソです。
10  斉藤 そうなれば本当に揺るぎない「安楽」ですね。
 遠藤 「難即安楽」という大聖人の教えは、そうした永遠にわたる大境涯を築くための王道なのですね。
 池田 「大難」と戦って、生命を鍛えに鍛えて、屹然たる自分をつくり上げることだ。そこにこそ真実の「安楽」がある。ダンテの境涯革命の書『神曲』にこうある。
 「この山は、裾の登り始めこそ難儀なれど、
 登るにつれて、苦労が減るようになっている。
 されば、身も心もうらうらと楽しく、
 登るのが、船で流れを下るほど気楽に思われてくる」(煉獄篇第四歌、寿岳文章訳、集英社)と。
 「いざ登りゆけ、汝は雄々し」──こう呼びかけているのです。
 山を登れば、自分の境涯も上がる。谷に下れば、楽かもしれないが、最後は苦悩の人生です。
 絢爛たる創価の世紀の幕は上がり始めました。全同志が一人ももれなく、「広宣流布の山」という無上道を登攀しぬいてもらいたい。
 そして、汝自身の揺るぎなき「安楽」の境涯の王座を、晴れ晴れと勝ちとってもらいたい。それが私の祈りなのです。

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