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日蓮大聖人・池田大作

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方便品(第二章) 開三顕一──「師弟の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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10  斉藤 この言葉の「神」を、彼らの言う「凡夫と隔絶した御本仏」と置き換えれば、その心理は、より明瞭ですね。
 遠藤 彼らがひざまずいているのは、じつは大聖人の教えに対してではなく、自分自身の醜い欲望に対してなのですね。
 池田 堕落した人間に惑わされることほど愚かなことはない。
 要は、見抜けばいいのです。
 「師弟不二」こそ法華経の魂であり、日蓮大聖人の仏法の真髄です。その一番大事なものを壊し、切り離そうとする。
 それが「魔イコール奪命者」の特徴です。
 「不二の道」の否定は、十界互具の否定、人間の平等に対する冒涜にほかならない。この一点に、日顕宗の本質が顕れている。
 日淳上人は、学会の信仰の基盤は「師弟」にあると、厳然と見抜いておられた。学会の第十九回総会(一九五八年十一月)のために用意された日淳上人の原稿には、こう残されている。
 「大聖人は日蓮が法門は第三の法門と仰せられておりますが、誠に此の仰せを身を以て承けとられたのは会長先生(=戸田城聖第二代会長)であります。大本尊より師弟の道は生じ、その法水は流れて学会の上に伝わりつつあると信ずるのであります」と。
 須田 重大な御言葉ですね。
 「師弟の道」と「師弟不二の道」の違いについて、忘れられないのが、池田先生の小説『人間革命』です。戸田会長と山本伸一(=池田大作第三代会長)の「不二」の戦いについて第十巻には、こう描かれています。
 「戸田は彼の膝下から多くの指導者の輩出のために心を砕いていたものの、時機はまだ熟していなかった。
 彼の弟子たちは、師弟の道は心得ていたが、広布実践のうえの師弟不二のなんたるかを悟るものはほとんど皆無といってよかった。不二とは合一ということである。
 昭和三十一年の戦いに直面したとき、彼の弟子たちは戸田の指導を仰いだが、彼らの意図する世俗的な闘争方針を心に持しながら、戸田の根本方針を原理として聞き、結局、彼らの方針の参考としてしか理解しなかった。戸田の指針と彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである。師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある。
 ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた」
 「その彼の作戦の根本は、戸田の指針とまったく同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力は、すでに不必要であった」
 「彼は一念において、すでに戸田の一念と合一したところから出発していた」
 斉藤 「師弟不二の道」とは、師と同じ心、同じ祈りに立って戦っていこうとすることだと感じます。
11  池田 法華経の説く「十界互具」こそ、万人の境涯革命を可能にする根本原理です。この智慧を我が身で行い、万年の未来へ伝えていかねばならない。その黄金の軌道こそ「師弟不二の道」なのです。
 広げて言えば、どんな事業も運動も、偉大なものは一代では完成しない。後継者が絶対に必要です。
 マンデラ大統領との最初の出会いのさいに、私は言いました。
 ──「マンデラ」という偉材が、ただ一人いるだけでは、あなたの仕事は完結しません。一本の高い樹だけでは、ジャングルはできないように──。(一九九〇年十月に会見。当時、アフリカ民族会議〈ANC〉副議長)
 今回の会見でも後継者についておうかがいし、大統領は心配ありませんと自信を示しておられた。
 大聖人は「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」と仰せです。
 法華経の涌出品(第十五章)で、民衆救済の真の後継者である地涌の菩薩が出現したとき、釈尊は、この菩薩たちとの久遠からの師弟不二を明かそうとして告げた。「如来は今、師子奮迅の力を顕し宣べ示さん」(法華経四六三ページ、趣意)と。
 大聖人は、末法万年の衆生を救う御本尊を「日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ」と残された。
 そして御本尊を認められる御一念を「師子奮迅之力」と仰せになられた。
 全民衆のために、永遠の人類のために──その魂こそ「師子奮迅の力」である。師から弟子への全力の教育であり、鍛錬です。
 また「師子」の「師」は師匠、「子」は弟子とすれば、師弟一体となって、奮迅の力で、「人類の境涯を変える」戦いをするよう、法華経は呼びかけているのです。

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