Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第27巻 「求道」 求道

小説「新・人間革命」

前後
68  求道(68)
 伸一は、深い感謝の思いをもって、谷沢千秋と記念のカメラに納まった。
 それから、居合わせた人たちと唱題し、出発前にも、皆で一緒に記念撮影をした。
 その時、伸一は、「谷沢のおばあちゃん、どうぞ」と、千秋を隣に招いた。
 彼女は、自分の来し方を振り返るように目を細め、感慨を込めて言った。
 「信心のおかげで、学会と山本先生のご指導のおかげで、今は、もったいないぐらい、幸せなんです。感謝、感謝です」
 感謝の心は、歓喜を呼び覚まし、幸福境涯へと自らを高めゆく原動力となる。
 谷沢家では、その夜、千秋と息子の徳敬、そして徳敬の妻が、伸一から贈られた句を見て、決意を噛み締めていた。
 「長者たれ」との言葉が、徳敬の心に、深く刻まれた。
 ”必ず長者になる! 先生のご期待にお応えするんだ。それには、自分の店だけでなく、地域全体を活性化させなくては……”
 彼は誓った。働きに働いた。懸命に祈り、知恵を絞り、オリジナルの土産品の試作に取り組んだ。「別海牛餅」「別海牛乳煎餅」「別海牛煎餅」と、何十品目もの新商品を、次々と開発していった。そのなかから幾つもの商品がヒットし、飛ぶように売れていった。地域のスーパーやホテル、空港、デパートなどへも、販路が広がった。
 また、ドライブインの建物も十二坪から二百十坪に増築した。さらに、二百五十台収容の駐車場、土産品製造工場、二百五十人収容の食堂も造った。文字通り、上春別の、別海の、長者となったのである。
 谷沢千秋は、亡くなる少し前まで、店で接客を続けた。伸一との約束通り、「看板娘」であり続けた。そして一九九一年(平成三年)、大満足のなかに、八十九歳十一カ月の生涯の幕を閉じたのである。
 誓い、決意こそ、願いを成就する種子である。励ましとは、心の大地を耕し、心田に、その種子を植える作業である。
69  求道(69)
 西春別の個人会館を出発した山本伸一は、車で一時間ほど走り、午後四時過ぎ、十一年ぶりに釧路会館を訪問した。飛行機に間に合うぎりぎりの時刻まで、釧路の同志と唱題し、語らい、励ましたのである。
 夜、札幌の北海道文化会館に戻った伸一は、翌十七日には、再び厚田の戸田記念墓地公園に向かった。
 この厚田滞在中、第一回北海道合唱祭に出席したほか、北海道女子部教学大学校生との記念撮影などにも臨んだ。さらに、わずかな時間を見つけては、会員の家庭訪問に力を注いだ。厚田村の望来や石狩町の会員宅にも足を運び、懇談し、指導を重ねた。
 一方、峯子は、十七日には、戸田城聖と同級生であったという老婦人の激励や、厚田第一大ブロック、厚田第三大ブロックの婦人部総会へと走った。
 二十日、二人は、札幌創価幼稚園を訪問したあと、活動の舞台を函館に移した。
 函館文化会館での開館五周年記念勤行会や函館広布二十五周年の記念勤行会、函館研修道場での諸行事に出席し、寸暇を惜しんで会員宅の訪問や懇談を行った。
 強行スケジュールの長旅を終え、伸一たちが東京の土を踏んだのは、六月二十三日夕刻のことであった。この北海道指導は、道内を東西に横断する、十六日間に及ぶ渾身の激励行であった。共に記念撮影した人の数は約五千人、延べ二万人を超える会員と会い、励ましたのである。
 このころ、宗門は、若手の僧らが急先鋒となって、衣の権威を振りかざし、各寺院で常軌を逸した学会批判を繰り返していた。大聖人の御遺命である広宣流布の大願に生きる仏子を、“大聖人の末弟”と名乗る僧がいじめ抜く。伸一は、悪逆非道の濁世なれば、全同志の胸中に、何ものをも恐れぬ真の信仰の炎をともそうと、わが身を燃やして戦った。
 烈風が猛れば猛るほど、創価の正義の闘魂が、赤々と、強く、激しく燃え盛る──それが広布誓願の勇者だ。

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