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日蓮大聖人・池田大作

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第26巻 「奮迅」 奮迅

小説「新・人間革命」

前後
66  奮迅(66)
 信濃町で行われた埼玉県のブロック担当員の集いに出席した山本伸一は、それから立川文化会館へ向かった。第二東京女子部のブロック長会に出席するためである。
 ″次代の学会を担う女子部の、最前線のリーダーを全力で激励したい″との強い思いが、伸一を立川へと向かわせたのである。
 伸一は訴えた。
 ――人生は、決して平坦ではない。若い時代の幸せが、永遠に続くとは限らない。結婚してから、夫の仕事の問題や病、家庭不和、あるいは、子育てなどで、悩み苦しむこともある。それに打ち勝つ強さを培い、未来にわたる福運を積んでいくための信心である。女子部の時代は、一生涯にわたる幸福の基盤を確立する仏道修行の時代であると決めて、自分を磨き抜いてほしい。
 そして、懇々と諭すように語った。
 「皆さんが担当しているブロックの部員さんのなかには、仏法はすごいと感じていても、″人に信心していると言うのが恥ずかしい″と思っている方もいるかもしれない。
 しかし、勇気をもって、その弱さを打ち破っていくことが大事なんです。幸福の王女という主役を演じるのに、恥ずかしがって舞台の袖にいたのでは何も始まりません。
 強く生き抜いていくうえで必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、勇気があるかどうかであると言っても過言ではありません。その勇気の心を磨いていくのが、信仰なんです。学会活動なんです。
 御書に『随力弘通』『随力演説』とありますが、各人の力に随って、仏法への率直な思いを、自分らしく、自分の言葉で、周囲の人に語っていけばいいんです。自身の崩れざる幸福のために、女子部の皆さんは勇気を奮い起こしてください。
 広宣流布の未来は、皆さんたち青年部に託す以外にない。女子部がいるだけで、組織は花園になります。希望の光に包まれます。女子部、頼むよ。皆さんを見守っていきます」
 父の祈りにも似た言葉であった。
67  奮迅(67)
 新しい峰へ。希望の旅へ――。
 民衆詩人ホイットマンは高らかに歌った。
 「さあ、もはやここにはとどまるまい、いざ錨を上げて船出をしよう」
 戦う人生は美しい。戦う日々には、生命の燃焼と充実と歓喜がある。
 一九七八年(昭和五十三年)一月の初めに発表された広布第二章の「支部制」は、山本伸一の奮闘によって魂が打ち込まれ、組織の隅々まで新生の息吹にあふれていった。全国各地の各支部が、各部が、轟音を響かせ、広宣流布の新章節に、雄々しく飛翔していったのである。
 伸一は、三月の半ば、首脳幹部に語った。
 「ようやく支部制も軌道に乗りました。一つのことを決め、スタートさせたならば、本格的に軌道に乗るまでは、あらゆる角度から考え、さまざまな手を打ち続けていくんです。
 人間は、物事が軌道に乗ると、すぐに安心してしまう。すると、油断が生じ、組織の活動も惰性に陥り、マンネリ化していきます。それを、日々、打ち破っていってこそ、みずみずしい息吹で前進することができる。したがって、これからも『日々挑戦』なんです。
 広宣流布の道は険路です。平穏であるはずがない。必ず大難が競い起こるでしょう。ゆえに、全会員が決して堕ちることなく、幸せになるように、一人ひとりの胸中深く、創価の『師子王の魂』を打ち込む時なんです。それは、広宣流布に生き抜く『師弟の精神』です。『一人立つ心』です。私は、そのために生命を削ります。皆にもその決意がなければ、魔に翻弄されていきます!」
 学会は、この時、猛り立つ波浪のなかを突き進んでいた。宗門の悪侶らによる誹謗中傷が、日ごとに激しさを増していたのである。
 伸一は、今こそ、不撓にして不屈なる創価の「師弟の精神」が脈動した組織を、つくり上げなくてはならないと痛感していた。彼は、広宣流布を破壊せんとする魔軍の跳梁をひしひしと感じながら、雄々しき二十一世紀の広布の峰を仰いだ。

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