Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第26巻 「法旗」 法旗

小説「新・人間革命」

前後
56  法旗(56)
 山本伸一は、「たくさんの人が集まれば、意見が異なるのは当然ではないですか」と言って微笑みを浮かべ、話を続けた。
 「学会は、多種多様な人びとが集まって、人間共和を形成しているんです。老若男女がおり、世代も違う。職業も違う。生い立ちも違う。出身地だって違います。それなのに皆が全く同じ意見であったら、むしろ不気味ではありませんか!」
 笑いが起こった。
 「でも、信心を根本にして、広宣流布のためという大目的に立ち返っていけば、心は一つになれます。そうなれば、活動の進め方をめぐって、多少の意見の違いがあったとしても、互いに相手を尊重し、包容していくことができます。
 よく社会の組織では、方法論についての意見の違いから、憎み合ったり、分裂したりするケースがあります。しかし、私たちは、信心を根本にすれば、それを乗り越えていくことができます。ここに、学会の異体同心の団結の強さがあるんです。
 意見の違いから、互いに感情的になったり、憎み合ったりするならば、それは、生命が魔に破られた姿なんです。私たちは、何かあったら、すぐに、御本尊という信心の原点に返ろうではありませんか!」
 伸一は、会場を見回した。彼の視線が、前日、懇談した婦人部員の一人をとらえた。彼女が、『私が弘教し、入会させたメンバーが退転してしまい、深く悔やんでいます』と語っていたことを思い起こした。その問題についても、ぜひ、語っておこうと思った。
 「学会には実に多くの人がおります。なかには、退転していく人もいるでしょう。末法にあって正法を信受し抜いていくことは、極めて難しいことだからです。大聖人は『修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし』と言われている。また、竜の口の法難から佐渡流罪の時には、『千が九百九十九人は堕ちて候』と仰せのように、多くの門下が退転しています」
57  法旗(57)
 自分が弘教した人を、人材に育てようと、懸命に努力し、面倒をみていても、思うに任せぬこともあるだろう。
 山本伸一は、一人の人を一人前の信仰者に育て上げることがいかに大変かを、熟知していた。それだけに、弘教した相手が退転したからといって、自分を責め、苦しむことのないように、励ましたかったのである。
 「こちらは、精いっぱい手をかけ、真心を尽くした。しかし、それでも、退転してしまうケースもあります。それは決して、弘教した紹介者の責任ではありません。
 たとえば、一生懸命に橋を造った人がいる。この橋を渡れば、幸福に至ると教えているのに、渡りかけて、途中で引き返してしまう。それは、渡ろうとしない人が悪いんです。本人自身の問題といえます。
 したがって皆さんは、そうしたことで落胆する必要はありません。仏の使いとしての使命を果たそうと、苦労して折伏をしたという事実は、永遠に生命に刻まれ、功徳の花を咲かせます。自身の幸せへの軌道は、間違いなく開かれているんです。どうか、そのことを強く確信して、新しい気持ちで、晴れ晴れと、勇んで弘教に邁進していってください」
 広宣流布をめざし健気に活動する友の、心の重荷を取り除き、楽しく乱舞できるようにするために、励ましがあるのだ。
 「最後に、愛する、大切な愛媛の皆さんを讃え、歌を贈り、私のあいさつといたします。
  成仏の
    幸の道あり
      妙法の
    千里の山も
      功徳といざ征け」
 伸一は、このあと、「皆さんが喜んでくださるなら」と言って、何曲かのピアノ演奏を行った。
 さらに、役員らと庭に出て記念撮影をし、出発間際まで同志を励まし、午後一時五十分、愛媛文化会館を後にしたのである。
58  法旗(58)
 松山駅から午後二時二十三分発の予讃本線(現在の予讃線)・特急「しおかぜ2号」に乗車した山本伸一は、香川県の高松に向かった。
 車窓には、曇り空の下に、穏やかな瀬戸の海が広がっていた。深い緑に染まった大小の島々が浮かび、一幅の名画のようであった。
 ″さあ、次は香川だ!″
 胸を躍らせながら、伸一は思った。
 ″人生とは、一冊のノートに似ている。日々、ページをめくると、真っ白な新しい空白が広がっている。そこに、力の限り、大叙事詩を書き綴っていくのだ。
 昨日も、今日も、明日も、あの人、この人に、励ましの声をかける。肩を叩き、抱きかかえ、その胸に生命の共鳴音を響かせる。幸福の道を示し、共に歩みを開始する。それが広宣流布だ! それがわが人生だ!″
 同時に伸一は、広布第二章の「支部制」の発足というこの時を契機に、全同志が心を新たにして、自身の人生ノートに、共に勝利の大叙事詩を書き綴ってほしかった。
 彼は、思わず、すべての愛する法友たちに、心で語りかけていた。
 ″私は、見ている。見守っているよ。
 弱ければ、強くなればよい。臆病なら、勇敢になればよい。裸のままの、ありのままの自分でよい。その人が、法旗を手に敢然と立ち上がるからこそ、何よりも尊く、大いなる共感が広がる。困難はドラマの始まりだ。逡巡は挑戦へのステップだ。苦闘は感動を生み出すためにある。胸を張り、腕を振り、勇気の一歩を踏み出すのだ。時は今だ!″
 伸一の瞼に、使命の法旗を翻し、広布第二章の決戦に馳せる師子たちの勇姿が浮かんだ。
 彼は、逸る心で、かつて戸田城聖が詠んだ歌を思い起こしていた。
  旗もちて
    先がけせよと
      教えしを
    事ある秋に
      夢な忘れそ

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