Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第25巻 「共戦」 共戦

小説「新・人間革命」

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60  共戦(60)
 五月二十二日――山本伸一の山口訪問の最終日である。彼は、この日の午後四時に、北九州へ向かうことになっていた。
 この日の午後、山口文化会館で、「山口広布功労者追善法要」が行われた。
 伸一は、導師を務め、広宣流布の開拓者の方々に、懇ろに追善回向の題目を送った。
 席上、故人の代表に「名誉副理事長」などの名誉称号が贈られ、伸一のあいさつとなった。
 「本日、追善申し上げた功労者の方々は、日蓮大聖人の仰せ通りに、仏法にすべてを捧げ、広宣流布の礎となられた、立派な地涌の菩薩であり、まことに尊い仏であります。
 ご遺族の方々は、この名誉ある道を歩んだ先覚者の遺志を、必ず継承していってください。その意味から、ご自分を、単なる『遺族』と考えるのではなく、南無妙法蓮華経という宇宙根源の法を持った、広宣流布の『後継者』であると、強く自覚していっていただきたいのであります。
 また、ただ今、故人に対して名誉称号を贈らせていただきましたが、これは、世間によく見られるような権威の象徴ではありません。御本仏・日蓮大聖人の御聖訓のままに信・行・学を貫いた、仏法上の厳然たる証拠としての称号であります。
 したがって、これを軽視することは、妙法広布に生きた、故人の尊い足跡をないがしろにすることに通じます。ご遺族は、この称号を、最高の誉れとし、後継者として信仰の大道を歩み、故人の遺徳を証明していってください。それがまた、一家、一族に大きな功徳の花を咲かせることは間違いありません」
 ここで伸一は、「広宣流布に戦い、殉じた人は、いったい、どうなっていくか。それを大聖人は端的に記されています」と言って、「千日尼御返事」の一節を拝した。
 「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東きにをはすと日蓮は見まいらせて候
61  共戦(61)
 千日尼は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に、夫の阿仏房と共に帰依したとされている。
 その千日尼に対して、大聖人は、「亡くなった阿仏房の聖霊は、法華経の明鏡に照らして見るならば、霊鷲山にある多宝仏の宝塔の中で、東向きに座っておられると、日蓮は見ている」と述べられている。
 山本伸一は、この御文を通して、確信をもって訴えていった。
 「霊鷲山とは、インドにある山の名前で、釈尊が法華経を説いた場所です。その霊鷲山の多宝仏の宝塔とは、生命論のうえから結論して言うならば、御本尊のことであります。
 妙法広布に活躍するわれら地涌の勇者は、死後は御本尊にいだかれ、未来世は、ずっと、東天に朝日が昇るように、生き生きと生命力豊かに、御本尊と共に生まれてくるのであります。
 つまり、広宣流布という未曾有の聖業に、尊い生涯を捧げた人の生命は、この地球上に、または、この地球と同じような国土に生まれ、大歓喜のなか、広宣流布のために活躍していけることは間違いありません。
 また、戸田先生は、『亡くなった人には、題目を唱えて祈念する以外に何も通じないのだ』と、よく言われていた。妙法とは、この大宇宙において生命と生命をつなげていく、いわば電波のような働きといえます。
 この意味からも、力強い題目を唱えることが肝要です。生命力を満々とたたえた皆さんの題目によって、諸精霊が威光勢力を増し、それによって、追善した自身の威光勢力も、増していくのであります。この生命の交流を先祖無数の方々につなげていくのが、われわれの追善法要の意味といえます。
 本日の厳粛な儀式を、先覚の同志も、心から喜んでいるものと確信いたします。
 私どもは、単に哀悼の感情にひたり、故人を回向するのではなく、強盛なる信心で、妙法の不可思議なる生命の力を確信し、故人と共に、三世にわたって、勇んで広宣流布の道を歩んでまいろうではありませんか」
62  共戦(62)
 追善法要に続いて、山本伸一は、「山口未来会」の三十人ほどのメンバーと懇談会をもった。三年前に結成され、年長の人は、既に大学生になっていた。
 伸一は、最初に皆と記念撮影したあと、一人ひとりに言葉をかけながら、信心は、持続が大切であることを訴えた。
 「高校生ぐらいまで純粋に信心に励んでいても、大学生になって、さまざまな誘惑に負け、自分を磨くことをやめて、遊びほうけてしまう人もいる。
 また、大学時代まで一生懸命に頑張って、一流企業に就職する。すると、自分が偉くなったような気になって、貧しいなかで懸命に学会活動に励む同志の偉大さがわからなくなってしまう。そして、庶民を蔑むようになり、学会から離れていった人もいます。
 君たちには、そんな生き方をしてほしくないんです。諸君が守るべきは、民衆です。最も苦労し抜いてきた学会員です。その使命を果たすための未来会です。
 どうか、年々歳々、広宣流布への情熱を燃え上がらせていってください」
 メンバーの瞳が、凛々しく輝いていた。
 山口文化会館の庭には、北九州へ出発する伸一を見送ろうと、多くの同志が詰めかけていた。それを聞くと、伸一は、皆を大広間に案内するように指示した。時刻は午後三時半を回っている。四時には、出発しなければならない。しかし、彼は大広間に向かった。
 「これから一緒に題目を唱えましょう。特別唱題会です。皆さんの願いが、すべて叶うように、私も、しっかりとご祈念します」
 法のため、同志のために、自身の生命を削らずしては、広宣流布の開拓はできない。わが身を燃やして、皆の魂に不退の火をともしていくのだ。伸一は自らの行動を通して、それを伝えたかったのである。また、そこに、「第二の山口開拓指導」の眼目があった。
 唱題が終わると、彼は言った。「さあ、今度はピアノを弾きます!」

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