Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第25巻 「福光」 福光

小説「新・人間革命」

前後
58  福光(58)
 山本伸一は、戸田城聖を思い浮かべるように、目を細めながら語っていった。
 「戸田先生は、自ら誓願された会員七十五万世帯を達成された。昭和三十三年(一九五八年)三月には、憔悴しきっておられた。先生と私とは、二十八歳の年の差がある。
 牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
 次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
 したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。
 ゆえに私は、青年部の、また、高等部をはじめ、未来に生きる各部の皆さんの育成に、真剣勝負で臨んでいるんです。
 広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」
 伸一は、それから、青年期は、苦闘と葛藤の連続であり、さまざまな誘惑もあることを述べた。
 「しかし、どんなことがあっても、人生の究極の法である仏法の世界から、創価学会という仏意仏勅の組織から、絶対に離れるようなことがあってはならない。どうか、日蓮大聖人の、『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』との御言葉を心肝に染めていただきたい。
 人生には、常に、悩み、苦しみがあるものです。しかし、二十年、三十年と信心を貫き、広宣流布の使命に生き抜いていくならば、何ものにも負けない、強い、金剛不壊の自身を築くことができます。その生命の変革があってこそ、所願満足の人生を歩んでいくことができるんです」
59  福光(59)
 山本伸一の声に、一段と力がこもった。
 「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。
 苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力――それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です。
 どうか、皆さんは、大試練の時こそ、″われらは、創価の後継者なり″″われらは、新時代の山本伸一なり″との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる姿が、広宣流布の力となります。
 これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」
 会場は、雷鳴を思わせる青年たちの決意の大拍手に揺れた。
 伸一は、さらに、皆のために、ピアノを弾いた。曲は、楠木正成と正行の父子の別れと誓いをうたった、あの″大楠公″であった。
 ″君たちの闘魂で、英知で、力で、二十一世紀の広宣流布の突破口を開くんだよ!″
 彼は、こう語りかける思いで、三曲、四曲とピアノを弾き続けた。″福光の種子は植えられた″との、手応えをかみしめながらの、喜びの演奏であった。
 伸一が、栃木県・那須にある関東総合研修所(現在の栃木研修道場)に向かうため、福島文化会館を発ったのは、午後七時五十分であった。
 車窓から見る空は、漆黒に包まれていた。しかし、彼の胸には、群雲を破り、燦然たる黄金の光が降り注ぐ、巍々堂々たる会津富士(磐梯山)が広がっていた。それは、福島の、そして、東北の、青年たちの英姿と、二重写しになっていった。
 ″福島を頼むよ! 東北を頼むよ!″
 伸一は、心で叫んでいた。

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