Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第23巻 「敢闘」 敢闘

小説「新・人間革命」

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51  敢闘(51)
 山本伸一のテーブルにいるメンバーは、緊張した顔で、彼の話を聞いていた。
 「自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。
 私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきました。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。
 結局、彼らは、金銭問題等を起こし、学会に迷惑をかけ、自滅していきました。皆、最後は惨めです。仏罰に苦しんでいます。
 仏法の因果は厳しい。人の目はごまかせても、仏法の生命の法則からは、誰人も逃れられない。
 人間革命、宿命転換、一生成仏のための信心です。それには、見栄、大物気取り、名聞名利の心を捨てて、不惜身命の精神で戦う以外にない。広宣流布への師弟不二の信心を貫き通していくことです。遊び、ふざけなど、絶対にあってはならない」
 伸一は、祈るような思いで語っていった。
 「生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関紙の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。
 それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。
 模範の一兵卒たり得てこそ、広布の大リーダーの資格がある。私は、君たちが五十代、六十代、七十代……と、どうなっていくか、見ています。人生の最後をどう飾るかだよ。大事な、大事な、中核の『伸一会』だもの、創価の師弟の大道を全うして、広宣流布の歴史に名前を残してほしい……」
 彼の「伸一会」への期待は大きかった。一人も堕ちていくような人間を出したくなかった。だから、信仰の王道を訴えたのだ。
52  敢闘(52)
 九州総合研修所での行事を終え、東京に戻った山本伸一は、八月二十八日には、神奈川の県民ホールで、「二十一世紀への船出」をテーマに行われた、’76神奈川県文化祭に出席した。
 どの演目も、すばらしかった。なかでも、日蓮大聖人と生死を共にせんとした四条金吾の姿を通して、師弟不二の道を進む心意気を表現した、壮年部員七十二人による創作舞踊「四条金吾」に、伸一は感銘を覚えた。
 壮年部が、広宣流布の一切の責任を担い立てば、皆が安心できる。婦人も、青年も、力を出し切ることができる。壮年部が、社会建設の全面に躍り出てこそ、立正安国の幕は開くのだ。
 彼は、この「四条金吾」の舞に、「壮年部の時代」の到来を感じたのである。
 翌二十九日には、「ロワール埼玉に常勝の詩」をテーマに掲げ、埼玉・大宮市民会館で開催された、’76埼玉県文化祭に出席した。
 伸一は、九州総合研修所で、埼玉の青年に、「新生・埼玉の勝利の扉を開く文化祭に」と励ました。その青年たちが、自分の思いを、いかに受け止め、どんな文化祭にしてくれるのか、楽しみで仕方なかった。
 埼玉県文化祭は、まさしく、「勝利の扉を開く」決意が、いかんなく発揮されていた。特に、「共戦太鼓」と題する男子部の演目に、それが象徴的に表れていたのである。
 交差した長さ八メートルのハシゴに挟まれた、三組の太鼓が舞台に現れる。それを、別のハシゴに乗った三人の青年が、力強く叩き始める。
 彼らのハシゴは、リズムに合わせて、右に左に揺れる。そのなかで、勇壮に、連打が続く。玉の汗が光る。
 やがて、ハシゴは次々と組み替えられ、最後は、扇状の布に書かれた、墨痕鮮やかな「共戦」の文字が広がる。圧巻であった。
 なんと、この演目は、本番の四日前に、迫力のあるものにしようと、一から企画を練り直し、つくり変えたものだ。“なんとしても大成功させよう!”という、執念の闘魂が切り開いた、勝利の敢闘劇であった。
53  敢闘(53)
 埼玉県文化祭翌日の八月三十日、山本伸一は、埼玉文化会館(現在の大宮文化会館)で、文化祭の運営関係者らと共に、新装記念勤行会を行った。
 同会館は、一九六九年(昭和四十四年)に埼玉本部として開館し、この七六年(同五十一年)に新装され、埼玉文化会館と改称されたのである。
 勤行会の席上、伸一は、埼玉創価学会が、さらに発展を重ねていくために、「伸びのびと」「朗らかに」「忍耐強く」との三項目の指針を示したのだ。
 皆が、伸び伸びと、朗らかに活動に励んでこそ、自主性、創造性が生まれ、運動は無限の広がりをもっていく。
 また、地球が宇宙の軌道を、リズム正しく運行するように、忍耐強い信仰の持続のなかにこそ、広宣流布の前進はある。
 彼は、それを、愛する埼玉の同志に、強く訴えておきたかったのである。
 ――八月は終わろうとしていた。伸一は、この夏も、間断なく、走りに走った。疲労はあった。しかし、充実と達成感に満ちた、心地よい疲労であった。彼の胸には、黄金の太陽が輝く、晴れやかな青空が広がっていた。
 「真の信仰とは、今自分がしているすべてのことに全力をつくして打ち込むことなのです」(注)とは、ナイチンゲールの箴言だ。
 来る日も、来る日も、自身を完全燃焼させ、力を尽くし、同志を励ます。もう一人、もう一軒、もう一会場と、自らを鼓舞して、歩みを運ぶ。そして、友の奮起を、幸せを祈り、生命を振り絞るようにして、対話を交わす。
 その目立たぬ、地道な労作業のなかにこそ、広宣流布を決する「敢闘」があるのだ。
  敢闘の
    歴史留めし
      幾山河
    勝利勝利と
      旗翻る

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