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日蓮大聖人・池田大作

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第23巻 「勇気」 勇気

小説「新・人間革命」

前後
51  勇気(51)
 山本伸一が「人間革命の歌」を作った翌日の七月十九日夜には、早くも各地の会合で、この歌が、声高らかに歌われた。
 なかでも、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で、夕刻から行われた第二十五回女子部総会は、「人間革命の歌」に始まり、「人間革命の歌」に終わったかのような、晴れやかな新出発の集いとなったのである。
 ″山本先生が権力の魔性と戦い、魂魄を留めた、常勝の天地・関西に、そして、日本中、世界中に、二十一世紀に響け!″とばかりに、「創価の華」たる女子部員の、はつらつたる歌声が、こだました。
 参加者は、この日、雨の中を集って来た。やがて、小雨となり、開会前にはあがった。
 総会も終わりに近づいたころ、整理役員が場外に出て、空を見上げた。息をのんだ。″虹よ! 虹だわ!″美しい、大きな七彩の虹が、暮れなずむ空に懸かっていた。その知らせは、女子部長の田畑幾子から、全参加者に伝えられた。
 「ただ今、空には、美しい虹が懸かっております。『人間革命の歌』にある『君も見よ 我も見る 遙かな虹の 晴れやかな』の通りになりました。山本先生と共に『陽出ずる世紀』へ旅立つ私たちへの、諸天の祝福であると思いますが、いかがでしょうか!」
 大歓声が起こった。皆が頬を紅潮させた。
 「人間革命の歌」は、瞬く間に、全国で、さらに、世界各地の同志にも歌われるようになっていくのである。
 この年の八月から十月にかけて、県・方面の文化祭が盛大に開催される。どの会場でも、歓喜に満ちあふれた「人間革命の歌」の合唱が響いた。
 文化は、人間という生命の大地に開く花である。新しき文化の創造も、未来の建設も、そして、人類の宿命の転換も、一人ひとりの人間革命から始まる。この歌は、創価学会のテーマともいうべき、その人間革命運動の推進力となっていったのである。
52  勇気(52)
 山本伸一は、「人間革命の歌」で、戸田城聖が獄中で悟達した、「われ地涌の菩薩なり」との魂の叫びを、いかに表現し、伝えるかに、最も心を砕いた。
 戸田は、この獄中の悟達によって、生涯を広宣流布に捧げんと決意し、一人立った。
 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」と仰せである。
 この悟達にこそ、日蓮大聖人に直結し、広宣流布に生きる、仏意仏勅の団体である創価学会の「確信」の原点がある。
 「地涌の菩薩」の使命の自覚とは、自分は、人びとの幸福に寄与する使命をもって生まれてきたという、人生の根源的な意味を知り、実践していくことである。
 それは、人生の最高の価値創造をもたらす源泉となる。また、利己のみにとらわれた「小我」の生命を利他へと転じ、全民衆、全人類をも包み込む、「大我」の生命を確立する原動力である。
 いわば、この「地涌の菩薩」の使命に生き抜くなかに、人間革命の道があるのだ。
 伸一は、若者たちが、人生の意味を見いだせず、閉塞化した精神の状況を呈している時代であるだけに、なんのための人生かを、訴え抜いていきたかった。
 そして、彼は、その思想を、「人間革命の歌」の二番にある、「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり」との歌詞で表現したのである。
 この年の暮れには、伸一の四十九歳の誕生日にあたる、翌一九七七年(昭和五十二年)一月二日を記念し、学会本部の前庭に「人間革命の歌」の碑が建立され、その除幕式が行われた。山本門下生として、地涌の使命を果たし抜かんとの、弟子一同の誓願によって建てられたものだ。
 「人間革命の歌」は、師弟の共戦譜である。そして、生命の讃歌である。碑の歌詞の最後に、伸一は刻んだ。
 「恩師戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 山本伸一」

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