Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第23巻 「未来」 未来

小説「新・人間革命」

前後
55  未来(55)
 二〇〇八年(平成二十年)の三月には、韓国のソウルに、世界で六番目となる「創価の人間教育」の幼稚園が開園した。
 自分の幸福はもとより、人びとの幸福を創造していく子どもたちを育てようとの趣旨から、その名を「幸福幼稚園」とした。
 幸福幼稚園は、豊かな緑に囲まれ、約三千平方メートルの敷地に立つ園舎は、地上三階、地下二階で、最新の設備を整えている。
 山本伸一は、戸田城聖が、韓・朝鮮半島の人びとの幸せと平和を、心の底から祈り念じていたことが思い出されてならなかった。
 なかでも一九五〇年(昭和二十五年)、朝鮮戦争(韓国戦争)が勃発した時、戸田が「かわいそうだ。あまりにも悲惨だ……。民衆一人ひとりの胸中に、平和の哲学を打ち立てるとともに、平和の指導者を育まねばならぬ」と語っていたことが忘れられなかった。
 その朝鮮戦争の休戦から五十五年、韓国に創価の人間主義教育の城が誕生したことに、伸一は、深い感慨を覚えた。
 彼は、幸福幼稚園の創立者として、未来に希望の陽光を仰ぐ思いで、開園式に、メッセージを送った。
 伸一は、そのなかで、一人ひとりが自分自身の幸福を築くだけでなく、周囲の人びとも幸福にしていける人に育つよう念願するとともに、「皆さんこそ、幸福をつくる『太陽の王子』であり、『太陽の王女』なのです」と訴えた。さらに、「この幸福幼稚園から、韓国の未来を、そして人類の未来を担いゆく大人材が、続々と躍り出ることを」と、満腔の期待を寄せたのである。
 ″韓国の、世界の、未来を頼むよ!″
 伸一は、心で、こう叫びながら、このメッセージを綴った。
 「善い教育とは、まさに世界のあらゆる善が生じる源泉にほかならない」とは、哲学者カントの洞察である。
 人間の一生には限りがある。だからこそ伸一は、次代のため、未来のために、″人″を残そうと、教育に生涯を捧げたのである。
56  未来(56)
 初代会長・牧口常三郎の『創価教育学体系』の第一巻が発刊された一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日は、「創価学会創立記念日」であるだけでなく、「創価教育原点の日」でもある。
 山本伸一は、二〇〇八年(平成二十年)、この十一月十八日を記念して、世界六カ国に広がった創価幼稚園(日本・札幌、中国・香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国)に、新たな指針を贈った。
 「何があっても 負けない人が 幸福な人」
 「みんな仲良く僕たち家族」
 「父母を 大切にする人が偉い人になる」
 彼は、最も大切な幸せへの道を、人間としての生き方を、清らかな子どもの生命に、あらためて打ち込んでおきたかったのである。
 モノや知識は豊富に与えられても、精神の砂漠に放り出され、人間の道を教わらぬ子らもいる。戦火に怯え、飢餓に泣く子らもいる。
 そうした、世界のすべての子どもたちが、自ら価値を創造し、幸福を実現していくために、創価教育はある。
 創価教育の父・牧口常三郎は、『創価教育学体系』の発刊にあたり、自身の思いを、「児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかり」と記している。
 伸一は、先師の、その慈愛の一念から生まれた創価教育を、人間主義教育を、人類の未来のために、伝え、生かしていくことを、自らの使命とし、最後の事業としていたのだ。
 そのための、創価幼稚園であり、創価学園であり、創価大学である。
 伸一は、深く、強く、心に誓っていた。
 「教育の種を植えれば、未来は、幸いの花園になる。
 教育の道を開けば、未来は、平和の沃野へつながる。
 私は、種を蒔く。今日も、明日も。
 私は、この道を開く。全精魂を注いで。
 生命ある限り、生命ある限り……」

1
55