Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第22巻 「命宝」 命宝

小説「新・人間革命」

前後
57  命宝(57)
 呉での合計三度の勤行会を終えた山本伸一は、さらに控室で、地元の功労者や教育部の代表らと会い、激励を重ねた。
 呉会館を出発する時も、各部屋を見て、こまやかな配慮を怠らなかった。
 「今、私が控室として使わせてもらった部屋は、今後は、婦人部と女子部の部屋にしてはどうだろうか。
 それから、第二集会室となっている部屋は、男子部が使うようにしてはどうだろうか」
 また、階段の電灯を見ると、「少し暗いね。事故などが起きては大変だから、明るいものにしよう」とアドバイスするのである。
 大事故も、その原因は、小事にある。ゆえに、細かいことへの注意が、事故を未然に防ぐ力となるのだ。
 会館の玄関に来ると、置かれていた水槽を眺めた。鯛が悠々と泳いでいた。
 「すばらしいね。生きたままの鯛が見られるなんて。誰が用意してくれたの?」
 地元の幹部が答えた。
 「青年部が、ぜひ、先生にご覧いただこうと、捕ってきたものです」
 伸一は、中国方面の幹部に言った。
 「ありがたいね。水槽を見て、ただ、″立派な鯛だ。きれいだな″と思うだけでは、指導者の資格はないよ。その陰には、大変に苦労をされた方がいるはずだ。
 鯛の泳ぐ姿から、その一つ一つの苦労が、にじんで見えるようでなければ、本当の指導者とはいえない。
 目に見えないところにまで心を配り、陰で頑張っている人、さらに、その陰の陰で黙々と戦っている人を探し出し、一人ひとり、全力で激励していくんです。
 幹部がそれを忘れたら、創価学会ではなくなってしまう。冷酷な官僚主義だ。学会は、どこまでも、真の人間主義でいくんです」
 伸一が、車に乗り込んだのは、午後六時前であった。
 呉の同志への激励は、帰途の車中でも、まだ続くのである。
58  命宝(58)
 山本伸一の乗った車は、広島市へと急いだ。午後七時から行われる、広島文化会館での勤行会に出席するためである。
 途中、生花店の前に、十人ほどの人たちが、人待ち顔で道路の方を見て立っていた。婦人や壮年に交じって、女子中学生や女子高校生もいた。
 伸一は、運転手に言った。
 「″うちの人″たちだよ。ちょっと、車を止めてくれないか」
 呉会館の勤行会に、間に合わなかったために、「せめて、ここで、山本会長をお見送りしよう」と、待っていた人たちであった。
 そこに黒塗りの乗用車が止まった。窓が開き、伸一の笑顔がのぞいた。歓声があがった。
 女子中学生の一人が、抱えていたユリの花束を差し出した。伸一に渡そうと、用意していたのだ。
 「ありがとう! 皆さんの真心は忘れません。また、お会いしましょう」
 伸一は、こう言って、花束を受け取った。
 ――それから間もなく、そこにいた人たちに、伸一から菓子が届いた。
 また、しばらく行くと、バスの停留所に、何人かの婦人たちがいた。はた目には、ただ、バスを待っている人にしか見えなかった。
 「今、バス停に、″うちの人″が五人いたね。念珠と袱紗を贈ってあげて」
 伸一の指示を無線で聞いた後続車両の同行幹部が、念珠などを持って停留所に駆けつけると、確かに五人の婦人たちは、皆、学会員であった。同行幹部の驚きは大きかった。
 学会員は、皆が尊き仏子である。皆が地涌の菩薩である。その人を、讃え、守り、励ますなかに、広宣流布の聖業の成就がある。
 ゆえに、伸一は、大切な会員を一人として見過ごすことなく、「励まし」の光を注ごうと、全生命を燃やし尽くした。だから、彼には、瞬時に、学会員がわかったのである。
 「励まし」は、創価の生命線である。
 彼は、その会員厳護の精神を、断じて全幹部に伝え抜こうと、決意していたのである。
59  命宝(59)
 広島文化会館に到着した山本伸一は、勤行会の会場に姿を現した。
 勤行会でのあいさつで、彼は訴えた。
 「本当の仏法は、絢爛たる伽藍の中で、民衆を額ずかせ、僧侶が教えを説く、僧侶中心の伽藍仏法ではない。大聖人の仏法は民衆仏法です。主役は社会で戦う在家の民衆です。
 事実、皆さんは、立派な社会人として生活され、常識豊かに、社会の尊敬と信頼を勝ち得つつ、布教に汗を流し、指導もし、広宣流布を推進してくださっている。
 そして、万人が『仏』の生命を具えているという、生命尊厳の思想を、広く世界に伝え抜いておられる。
 この私たちの運動は、前代未聞の仏教運動といえます。いわば、創価学会の広宣流布運動こそ、現代における宗教革命の新しき波であり、人間仏法、民衆仏法の幕開けであることを、知っていただきたいのであります」
 中国・広島で、激闘の限りを尽くした伸一は、翌十二日には舞台を中部に移し、愛知、岐阜でも、全力の激励が続いた。
 全身全霊を注いでの山本伸一の指導行は、師走に入っても、とどまることはなかった。
 十二月三日から十日までは、鹿児島の九州総合研修所(当時)で第一回冬季講習会の指揮を執り、さらに、二十四日から二十九日まで、栃木・群馬指導が行われたのである。
 崩れざる幸福を築くには、わが生命を磨き、輝かせるしかない。そのための信仰であり、それを教えるための指導である。
 トルストイは、「生命は幸福の為めに我々に与えられている」と述べている。
 私たちは、幸福になるために生まれてきたのだ。皆が、幸福であると胸を張って断言できてこそ、真実の平和といえるのだ。
 伸一は、吹き荒れる北風の中を走った。彼は、寒風に挑むかのように、新しき年へ、ますます闘志を燃え上がらせていった。
 間断なき挑戦と闘争のなかにこそ、生命の歓喜と躍動があるのだ。

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