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日蓮大聖人・池田大作

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第21巻 「共鳴音」 共鳴音

小説「新・人間革命」

前後
46  共鳴音(46)
 山本伸一は、五月十九日の午後には、ロンドンからパリに戻り、その足でパリ郊外にある作家のアンドレ・マルロー宅を訪問した。
 マルローは″行動する作家″として知られる。
 青年時代に仏領インドシナを訪れた彼は、植民地政策に疑問を感じ、反植民地運動、さらに中国の革命運動を支持する。
 そして、小説『征服者』『王道』『人間の条件』などを世に出す。
 やがて、スペイン内戦が起こると、共和派の義勇軍として参加し、その体験を『希望』として発表する。
 第二次世界大戦では、戦車部隊として戦うが負傷し、ドイツ軍の捕虜となる。
 脱走したマルローは、レジスタンス運動の闘士となり、戦後はド・ゴール政権下で文化相などを務めた。
 伸一との最初の出会いは、一九七四年(昭和四十九年)五月のことであった。日本での「モナ・リザ展」の開催のため、フランス政府特派大使として来日した際に、聖教新聞社で会談したのである。
 この時の語らいは三時間近くに及び、テーマも芸術・文化論、生死観、核問題、環境破壊など多岐にわたった。その時、フランスでの再会を約し合ったのである。
 以来、一年ぶりの語らいである。
 マルロー邸は、芝生の広がる緑の館であった。
 会談では、日本の針路をはじめ、世界情勢と二十一世紀の展望などについて語り合った。人間の変革こそ最重要事であるというのが、二人の一致した意見であった。
 ″行動する作家″は訴える。
 「今、何が大事か――それは人間です。人間の精神革命から始まります。自分は一個の人間として何ができるかを考え、行動を起こしていくことです」
 伸一は答える。
 「おっしゃる通りです。人間の変革以外に人類の新たな局面を開くことはできません。エゴを抑え、人類の善性を最大限に拡大することです」
 人間革命は、人類の未来を考える世界の知性の帰結なのだ。
 伸一は、このアンドレ・マルローとも、これらの語らいをまとめ、翌年八月、対談集『人間革命と人間の条件』を発刊している。
47  共鳴音(47)
 山本伸一は五月二十日には、パリ会館でアカデミー・フランセーズ会員で美術史家のルネ・ユイグと会談した。
 彼とも、前年四月、聖教新聞社で初めて会い、会談していた。
 戦時中、学芸員であった彼が、ナチスの手からルーブル美術館の至宝を守り抜いたことは、つとに有名である。
 今回の会談では、精神の力の復興が大きなテーマとなり、ここでも、人間革命をめぐって話が弾んだ。
 彼との対話も、対談集『闇は暁を求めて』となって結実するのだ。
 さらに翌二十一日の午前、伸一はパリの南ベトナム臨時革命政府の大使館を訪れ、レ・キ・バン代理大使と会談した。
 ベトナム戦争は、停戦(一九七三年)後も南北間の戦闘が続いてきた。北ベトナム軍の戦車がサイゴン(当時)に無血入城し、南ベトナムが解放され、戦争にピリオドが打たれたのは、まだ二十日余り前のことである。
 会談では、今後の日本との外交、南と北の統一の問題などについて意見が交わされた。
 「どうか、会長から日本の人びとへ、われわれベトナム人民の心を伝えてください」
 その言葉に伸一は、平和と友好を願う魂の声を聞いた思いがした。
 そして午後には、フランス社会党の執行委員で社会運動の論客として知られるジル・マルチネ宅を訪ねた。マルチネとも前年の三月に東京で会談しており、二度目の語らいであった。
 会談では、文明論、さらに指導者論にも話が及び、二人の意見は「指導者の条件は明快さにある」との結論に達した。
 伸一はこのヨーロッパ訪問では、可能な限り、識者と対話を重ねた。彼の胸には「対話を!」との、トインビー博士の言葉がこだましていた。
 そして、語り合った一人ひとりが、人間の変革を志向し、伸一の語る人間革命の哲理に感銘し、精神の共鳴音を高らかに響かせたのである。
 十九世紀後半、ビクトル・ユゴーは「フランス革命を完遂すること、そして、人間的な革命を始めることを義務とする、今世紀」と記した。
 今、まさに、その「人間革命」の本格的な時代が、遂に、遂に、到来したのだ! 時は来たのだ!

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