Nichiren・Ikeda
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第20巻 「友誼の道」
友誼の道
小説「新・人間革命」
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74 友誼の道(74)
遂に別れの朝が来た。それは、永遠なる友誼への新しき旅立ちの朝であった。
午前八時、山本伸一の一行は、宿舎の広東迎賓館を出発した。
広州駅で、北京到着以来、一緒であった中日友好協会秘書長の孫平化、陳永昌と別れた。
葉啓ヨウと殷蓮玉は、出迎えてくれた深センまで送ってくれるという。
一行の乗った列車が、中国最後の駅である深セン駅に到着したのは、午前十時五分であった。そこから、往路と同様に、徒歩で香港側の羅湖駅に向かった。
狭いところでは川幅が数メートルほどの小さな川が、中国とイギリス領香港との境界線である。この川に架かる鉄橋で、葉啓ヨウと殷蓮玉ともお別れである。
伸一は二人に言った。
「大変にお世話になりました。お二人のご恩は生涯、忘れません。
私たちの友情は永遠です。また、お会いしましょう。ぜひ、日本にも来てください」
伸一は、二人と固い握手を交わした。
そして、伸一は葉啓ヨウの、峯子は殷蓮玉の肩を強く抱き締めた。
それから、訪中団のメンバー全員が、この二人の案内者と握手した。
名残は尽きなかった。
「謝謝。再見!」(ありがとう。さようなら)
伸一は笑顔で言うと、歩き始めた。
葉と殷は目を潤ませ、一行の後ろ姿に、いつまでも手を振り続けた。
伸一たちも、何度も振り返っては、「再見!」と叫んで手を振った。
まさに、そこに確かなる友誼の実像があった。
伸一は、歩きながら、深く心に誓っていた。
″この中国の友人たちのためにも、中ソの戦争は絶対に回避しなければならない。さあ、次はソ連だ!″
彼の胸には、中ソの平和を実現するための、新たなる闘魂が赤々と燃え上がっていた。
「私は今までやっていた仕事が仕上がったその日に、次の仕事を始めたものであった。一息入れて休むということは絶対にしなかった」
これは、伸一が対談を重ねたトインビー博士の信念である。大業を成すための要件といえよう。
なお、博士は、伸一の訪中の直前に、心からの喜びの声を寄せてくれていた。
75 友誼の道(75)
羅湖駅を出発した列車が次の上水駅に停車すると、車内をのぞき込みながら、ホームを走ってくる数人の人たちがいた。
香港の幹部である周志剛らであった。
誰もが自由に乗り降りできるのは、この上水駅からである。
周たちに気づいた山本伸一と峯子は、列車の窓を開けて手を振った。
「あっ、先生!」
周をはじめ、メンバーが、列車に乗り込んで来た。周の額には、汗が噴き出していた。
彼は、満面に笑みを浮かべ、メガネの奥の目を細めて言った。
「お疲れさまです。中国訪問の大成功、大変におめでとうございます」
香港のメンバーは、日本から送られてくる聖教新聞を読み、訪中の様子を知っていたのである。
「出迎えありがとう。友誼の道を開いてきたよ。香港の皆さんのためにも、中国の平和と繁栄に、私は私の立場で、全力を注いでいくからね」
周は、自分たちのことを思ってくれる伸一の真心を感じ、心が熱くなるのである。
車内で伸一は、原稿用紙を取り出し、盛んにペンを走らせ始めた。
十七日間にわたる中国訪問の終盤から、彼は時間を見つけては、原稿の執筆を始めた。
出発にあたって、今回の訪中の印象記を書くように、幾つもの新聞や雑誌から依頼されていたのである。
帰国後のスケジュールは、ぎっしりと詰まっていた。また、中国への共感や賞讃を記せば、非難の的になることは明らかであった。
しかし、伸一は、すべてを覚悟し、少しでも多くの人が中国のことを知り、理解を深めてほしいとの思いで、勇んで執筆を引き受けたのである。
「今」という一瞬に、未来を開く勝負がある。だから伸一は、真剣であった。必死であった。全生命を完全燃焼させた。
この訪中後、彼が書いた原稿は、本一冊分近くになった。それをまとめて、『中国の人間革命』として発刊している。
伸一は、北京での答礼宴で、こう宣言した。
「もはや言葉ではありません。私たちのこれからの行動を、見てください!」
日中の永遠の友好へ、命をかけての、信義の実践が開始されたのだ。