Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第18巻 「師恩」 師恩

小説「新・人間革命」

前後
50  師恩(50)
 恩を感じ、恩に報いるということは、人類共通の倫理といえよう。
 ラテンアメリカ解放の父シモン・ボリバルは「忘恩は人間があえて犯すことのできる最大の犯罪である」と叫び、スペインの哲学者オルテガは「最も重大な人間の欠点は忘恩である」と結論する。
 イランの詩人サアディーは「恩を弁える犬は感謝を知らぬ人間に勝る」と断ずる。
 日蓮大聖人は、「報恩抄」で、人間として恩に報いることの大切さを述べられ、「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」と仰せになっている。
 父母の恩、師匠の恩に続いて国恩とあるが、これは、国家、社会の恩恵といってよい。
 だが、その国家は、大聖人に何をしたか。弾圧に弾圧を重ね、命をも奪おうとしたのだ。
 それでもなお、国恩に報いることを述べられているのはなぜか。
 それは、その迫害によって、法華経を身読され、一生成仏への大道を開かれたからである。そこには「難即悟達」の原理がある。
 また、ここで仰せの師恩とは、大聖人が十二歳の時に安房(千葉県南部)の清澄寺にのぼり、修学された折の師匠である道善房への恩である。
 道善房は師匠ではあったが、臆病であり、念仏者の地頭・東条景信の迫害を恐れ、保身のために念仏を離れることもできなかった人物である。
 しかし、それでも大聖人は、仏法を教えてくれた師であるがゆえに、師恩を深く感じられ、手厚くその恩に報いられたのである。
 山本伸一は思った。
 ″ましてや、正法正義のために殉教された牧口先生、そして、日本の広宣流布の基盤を築かれたわが恩師である戸田先生のご恩は、いかに深甚であることか。その希有の師に巡り会えた福運はいかばかりか。なんと幸せなことか。
 戸田先生は、私に久遠の使命を教え、心血を注いで仏法の指導者に育て上げてくださった。
 先生なくば、今の自分も、創価学会も、そして、広宣流布の現在の広がりもなかったにちがいない。
 ゆえに私は、広宣流布の大師匠への、報恩感謝の生涯を生きるのだ!″
51  師恩(51)
 日蓮大聖人は、「日蓮は草木の如く師匠は大地の如し」と仰せである。師匠の存在がなければ弟子はない。
 では、その師への報恩の道とは何か――日蓮大聖人は結論されている。
 「此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか
 仏法を学び究め、幸福と平和の道を開く智者、すなわち広宣流布の大リーダーに育つことなのである。
 弟子は、師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くし抜くのだ。
 その功徳は師に回向され、最高の追善となっていくのである。いや、師の評価も、師の構想が実現できるかどうかも、弟子によって決定づけられてしまう。
 大聖人は「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」と御断言になっている。
 師弟不二の道こそ、創価学会の魂であり、広宣流布の生命線なのだ。
 山本伸一は、栃木県幹部総会で、新たなる地域社会の発展のためには、人間の精神の総開発が急務であり、そこに仏法者の使命があることを力説していった。
 檜山浩平は、二階の来賓席で、教え子の伸一の講演を、感無量の面持ちで聴き入っていた。
 幹部総会が終了したあと、再びマイクを取った伸一は言った。
 「本日は、私の小学校時代の大切な恩師である、檜山先生ご夫妻がおいでくださっております。
 先生のご健康、ご長寿を願い、感謝を込めて、ここで万歳を三唱させていただきます」
 大拍手が起こった。
 伸一は、「檜山先生、万歳!」と叫び、大きく手を振り上げた。
 その声に、全参加者が唱和した。
 「万歳! 万歳!万歳!」
 檜山は、民衆のたくましき大リーダーに育った教え子の姿に、目を潤ませながら、じっと彼を見つめていた。
 伸一は、広宣流布の師である戸田城聖もまた、微笑みを浮かべて、自分がいかに戦い抜くかを、じっと見ているように感じられてならなかった。

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