Nichiren・Ikeda
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第18巻 「師子吼」
師子吼
小説「新・人間革命」
前後
50 師子吼(50)
山本伸一は、全精魂を注いで、聖教新聞の職員の育成にあたった。それが、二年、三年と続いていったのである。
どうすれば記者たちが誇りと張り合いをもって仕事に励めるかにも心を砕き、本部幹部会で、各部の記者を壇上に上げ、紹介したりもした。
また、人に即して、さまざまな角度からの育成を心がけた。創価学会史や教学問題などのテーマを与えた記者もいた。
そうした研究成果や、海外紀行の新聞連載などを本にし、出版できるようにもした。社会部・機報部員による体験集『我が青春記』の出版も提案した。
さらに伸一は、交通渋滞に巻き込まれながら、記者の家庭を訪問したこともあった。
一人ひとりの職員が成長し、いかんなく力を発揮できるようにするために、彼は労を惜しまなかった。
伸一が最も粘り強く指導・激励を重ねたのは、愚痴や文句の多いメンバーに対してであった。
彼は、そうした記者の意見をすべて聞いたうえで、諄々と訴えた。
「もし、学会に批判があるなら、ただ文句を言っているのではなく、君が自分で、理想的な学会をつくっていくことだ。私もそうしてきた。
自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流布の建設もない。
同じ一生ならば、傍観者として生きるのではなく、広宣流布のために、学会と運命をともにしようと心を定め、力の限り戦い抜くことだ。そうでなければ、あとで後悔することになる。
お互いに赤裸々な人間として力を合わせ、学会の世界に、理想の連帯をつくっていこうよ」
そう言って伸一は、青年の手を、何度も何度も握り締めるのであった。
また、仲間同士で集まって酒を飲んでは、先輩幹部の批判ばかりしている、二、三人の記者がいた。
彼らは大物ぶっていたが、付和雷同的な傾向があり、自分を見つめる姿勢に欠けていた。
ゲーテは断言する。
「きみがだれと付き合っているかを言いたまえ。そうすれば、きみがどのような人間であるかを言ってあげよう」
51 師子吼(51)
幹部などの批判ばかりしている記者たちがいるという話は、山本伸一の耳にも入った。
伸一も気にかかっていたメンバーであった。
大事な職員である。伸一は、彼らが大成するために、誤りに気づいてほしかった。
職員の会合の折、伸一は、彼らを次々と指名し、「みんなが感銘するような指導をしなさい」と言った。
彼らは、しどろもどろになり、何も実のある話はできなかった。伸一は厳しい口調で語った。
「批判は簡単だ。では自分は何ができるのだ。
真剣に自分を磨くことを忘れてはいけない。不平不満は、自分を惨めにするだけだよ」
その言葉は、深く彼らの心に突き刺さった。
太陽を浴びて、草木が見る見る繁茂していくように、伸一の激励に触れた聖教の職員たちは、目覚ましい成長を遂げ、日ごとに生き生きとしていった。
文句ばかり言っていた記者も、自分の言動を恥じ、学会を担う誇りに燃え、果敢に学会活動にも励むようになった。
「ぼくは山本先生のことを知らなすぎた。ただ広宣流布に、人びとの幸福と平和のために生きる″不惜身命の人″が、師匠であることに最高の誇りを感じる。
先生の正義を叫び抜くことは、その実像を知った弟子の義務だ!」
なかには、伸一が真心を尽くして、指導、激励を重ねても、学会を見下し、広宣流布を忘れ、批判を繰り返す者もいた。
しかし、やがて彼らは、誰からも相手にされなくなり、皆、自分から職員を辞めていった。
清らかな信仰の世界では、悪心の者は、その醜悪なる正体が明らかになり、出て行かざるをえないのである。
広宣流布をめざす清浄無比なる異体同心の連帯が聖教であり、本部である。ゆえに、悪を絶対に許してはならない。
「悪人は叩き出すのだ! そうでなければ、学会が蝕まれてしまう」
それが戸田城聖の叫びであった。
伸一の生命を削るかのような、この聖教新聞への指導によって、聖教に永遠不滅の精神の柱が打ち立てられたのである。
そして、この時、言論城に、赫々たる師弟の太陽が燦然と昇ったのだ。