Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第15巻 「開花」 開花

小説「新・人間革命」

前後
45  開花(45)
 避難者の受け入れが決まると、大石寺の雪山坊にいた山本伸一は、幹部たちに言った。
 「避難して来るボーイスカウトのメンバーは、ずぶ濡れになり、さぞかし心細い思いをしているにちがいない。
 だから、みんなで盛大に歓迎しよう。
 温かいシャワーも使えるようにして、毛布の用意もするんだ。
 大講堂の一階には、机やイスを出し、電話も引いて、ボーイスカウト受け入れの歓迎指揮本部を設置しよう」
 彼は、矢継ぎ早に指示すると、雪山坊を飛び出し、車で総本山の売店に向かった。
 時計の針は、午後六時十分を指していた。
 風雨は、車の窓ガラスを叩きつけるように激しく打っていた。
 売店に着いた彼は、販売しているタオルに手を伸ばしながら尋ねた。
 「これは一束で何枚になっていますか。全部で何枚、用意できますか」
 いつもは笑顔で、包み込むように声をかけてくる伸一だが、切迫した声であった。
 売店の人が、緊張した表情で答えた。
 「とりあえず、これで八百枚です」
 「わかりました。これは、全部、購入します」
 伸一は、雨に濡れたボーイスカウトには、まず最初に必要なのはタオルであると考え、自ら購入に走ったのである。
 配慮とは、相手の立場に立ってものを考えることから始まる。そこから″かゆいところに手が届く″ような、的確な対応が生まれる。
 瞬間、瞬間、相手を思い、最大の誠意を尽くすなかに、人間性は輝きを放つのである。
 伸一は車を運転してくれている青年に言った。
 「タオルを積んだら、大至急、数息洞に向かってください!」
 数息洞は、普段は、参詣者の休憩施設として使われてきた建物で、避難者の第一陣を、まず、ここに受け入れることにしていたのである。
 朝霧高原から大石寺までは、車で二十分ほどであり、伸一が数息洞に着いた時には、ちょうど、第一陣のメンバーが到着した時であった。
 バスから降りてくるボーイスカウトたちは、雨で、びしょ濡れになり、靴や足は泥まみれになっていた。疲れて、ぐったりとした少年もいる。
46  開花(46)
 山本伸一は、ボーイスカウトの少年たちに、快活に声をかけた。
 「ようこそ! 皆さんを歓迎します」「安心して、くつろいでください」「どうか、風邪をひかないように!」――こう一人ひとりに語りかけながら、用意したタオルを手渡していった。
 そこに、ボーイスカウトの日本連盟の理事長がお礼にやって来た。
 「このたびは、緊急にもかかわらず、受け入れていただき、本当にありがとうございます」
 伸一は、笑顔で包み込むように言った。
 「大変でしたね。
 世界各国から来られた未来を担う人たちです。私どもも、全力で応援させていただきます。
 雨に濡れたので、風邪をひく人が出なければよいと願っています。
 食料も、毛布も用意します。シャワーも利用できるよう手配しております。私どもの友情です」
 こう言って差し出した伸一の手を、理事長は感無量といった顔で、強く、強く握りしめた。
 窮地という闇夜に光るのは、人を思いやる心と行動である。それは、人への尊敬から発する、誠実の火といってよい。
 アメリカの第三十二代大統領の夫人エレノア・ルーズベルトは、「文明社会のあらゆる人間関係の基となっているのは、相互の尊敬である」と述べている。
 それから伸一は、大講堂に向かった。雨は断続的に降り続いていた。
 大講堂の前に立つと、伸一は言った。
 「これからメンバーが次々と大講堂に到着することになるから、この周辺に歓迎のかがり火をたこう。
 みんな、元気が出るし、安心するから。すぐに用意をしよう!」
 大講堂のロビーには、トレニアとイスが運ばれ、歓迎指揮本部がつくられていた。
 「ここには、誰にでもわかるように、大きく『指揮本部』と書いて張り出そう。英語でも書くんだよ。
 ところで、今、大講堂でやっている会合は?」 役員の青年が答えた。
 「午後六時から、高等部の全国部員会が行われています」
 「ここにもボーイスカウトを収容することになるので、少し早めに終わってもらおう。国境、民族を超えた国際友情のためだもの」
47  開花(47)
 山本伸一は、さらに、こう提案した。
 「ボーイスカウトは世界から集まって来ているんだ。高等部の語学委員会や英語ができる
 メンバーで通訳団をつくろう。言葉が通じないほど不安なものはないからね。 大至急、高等部員に協力を呼びかけてほしい」
 伸一の指示を受けて、幹部が走った。
 高等部の全国部員会で、担当幹部が、マイクを通して呼びかけた。
 「ただ今、世界ジャンボリーに参加したボーイスカウトのメンバーが、台風のために総本山に避難してきております。
 通訳が必要ですので、英語に自信がある人は手をあげてください!」
 嬉しいことに、直ちに百五十人ほどの手があがった。すぐに会場から出てもらって、避難してくるボーイスカウトの通訳と世話を頼んだ。
 「日ごろの勉学が役に立つ」と、メンバーは大はりきりであった。
 伸一の陣頭指揮のもとに、青年部の幹部も、輸送班も、高等部員も、皆が一体となり、歓迎と受け入れの歯車が、轟音をあげて回り始めた。
 伸一の指示は、間断なく発せられた。
 「怪我をした人や病気になった人もいるかもしれないので、医者にも来てもらうように!」
 「次のバスは何時何分に到着するのか、すぐに掌握を!」
 「毛布の数は、全部で何枚あるのか、直ちに報告すること」
 「食料品は、何と何が幾つ確保できたか、そのつど、報告を!」
 伸一は、あいまいさを許さなかった。一つ一つ厳しく確認した。
 もし、緊迫した状況のなかで、いい加減な情報に基づいて物事が進められれば、大失敗や大事故につながる。正確さこそが、行動の生命だ。
 伸一たちの奮闘を目の当たりにしていた音楽隊、鼓笛隊から、「避難してくるボーイスカウトの歓迎演奏をさせていただきたい」と申し出があった。
 皆が心を一つにして、自分に何ができるかを考える時、自ずから、よき提案が生まれる。
 伸一は言った。
 「ありがとう! みんなで大歓迎しよう。世界のボーイスカウトにとって、いい思い出をつくってあげたいんだ。
 明るく、にぎやかな演奏を頼むよ」
48  開花(48)
 山本伸一の指示は、素早く、的確であり、しかも詳細であった。
 「みんな、おなかを空かせているだろうから、最優先して確保するのは、パンなどの食べ物やジュースだ。
 少年たちにとっては、空腹ほど辛いものはないからね」
 こう言うと、彼は自ら指揮本部に設置された電話を取り、売店に残っている食べ物を聞き、注文していった。
 午後七時二十分、かがり火の用意ができた。
 ボーイスカウトの乗った第二陣のバスが、次々と到着し始めた。
 途中から、全国部員会を終えた高等部員たちも大講堂前に並んだ。
 赤々と燃えるかがり火と、音楽隊、鼓笛隊の奏でる軽快な調べ、そして、高等部員の温かい大拍手に迎えられたボーイスカウトの少年たちは、驚きを隠せなかった。
 不安そうに、寒さに震え、背中を丸めてバスを降りたメンバーの顔にも、安堵と喜びの花が咲いた。
 伸一も、指揮本部にいた幹部と一緒に、大講堂の入り口に立ち、やって来た少年たち、一人ひとりに温かな声をかけた。
 「よく来たね。もう大丈夫だよ」
 「ゆっくり休んでください」
 すると、笑顔と感謝の言葉が返ってきた。
 「サンキュー・フォー・エア・カインドネス」(ご親切に感謝します)
 なかには、覚えたての日本語で、あいさつを返す人もいた。
 「ドウモ、アリガト」
 「スミマセン」
 伸一は、一緒に出迎えた幹部たちに言った。
 「みんなも黙って立っていないで、どんどん声をかけようよ」
 たとえ言葉はわからなくとも、声をかければ心は伝わる。それが励ましになって、勇気の火がともされる。大切なのは心の交流である。
 大講堂のなかは、ボーイスカウトたちで、埋まっていった。
 少年たちは、全身がびっしょりと雨に濡れていた。膝まで泥にまみれている人もいた。
 また、靴を脱ぐ習慣がないため、土足のまま、上がってしまうメンバーもいた。
 高等部員の通訳が、靴を脱ぎ、足を拭くように伝えるのを、幹部たちは汚れを心配しながら、ハラハラして見ていた。
49  開花(49)
 大講堂は、意義ある建物であり、建立寄進した学会としても、大切に、大切に使ってきた。
 それだけに、大講堂の廊下や床が汚れるのを見ると、幹部たちは、いたたまれぬ気持ちでいたのである。
 山本伸一は言った。
 「大変な思いでいる人たちに救援の手を差し伸べることが、仏法の精神なんだ。今は、床や畳の心配をするのではなく、この人たちを守り抜くことだ。
 後で、きれいに掃除をすればいいし、もし、畳がだめになったら、替えればいいじゃないか」
 自分たちの心を見抜いたかのような伸一の言葉であった。幹部たちは、仏法の人間主義の奥深さを知った思いがした。
 伸一は言葉をついだ。
 「雨でびしょ濡れになるというのは、切ないものなんだよ。
 私は、少年時代、新聞配達をしていたが、途中から雨に降られることが一番いやだった。新聞が濡れないように、上着やシャツで覆いながら、自分は、ずぶ濡れになって配ったこともある。
 そのやるせない気持ちは、経験した者でなければわからないだろうな。
 あの少年たちは、異国の地でキャンプし、嵐にあった。泣き出したいほど不安な気持ちだったにちがいない。
 そのうえ、風邪でもひいたりしたら、かわいそうじゃないか。だから、せめて、私たちの手で、安全な一夜を保障し、楽しい思い出をつくって、帰ってもらおうよ」
 伸一の心を知り、幹部は、自分たちの考え方を反省した。
 午後八時ごろになると、三陣、四陣と、ボーイスカウトの乗ったバスが、続々と到着し、大講堂前は入場を待つ人で埋まった。
 伸一の指示が飛んだ。
 「ここだと雨があたるから、後から来るメンバーは、一時、大客殿のピロティで待機してもらうようにしよう。
 また、鼓笛隊や音楽隊には、どんどん歓迎演奏をやってもらおう。楽しく、明るい雰囲気をつくることが大事だよ」
 皆に寂しい思いをさせまいとする伸一の、強い一念と責任感が、最も適切で臨機応変な対応となっていったのである。
 演奏を聴いた少年たちは、大喜びだった。口笛や指笛を鳴らすメンバーもいた。
50  開花(50)
 避難してきたボーイスカウトたちには、通訳の高等部員らの手で、パンやオニギリ、スイカ、ジュース、牛乳、菓子等が配られていった。
 オニギリは、総本山の売店の人たちなどが、炊き出しをしてくれたものであった。
 また、そのほかの食料品は、輸送班の青年たちが、雨のなか、総本山の売店をはじめ、富士宮市街にまで行って調達してきたものだ。
 高等部員は、忙しく立ち働いた。皆、ことのほか生き生きとしていた。
 充実感も、歓喜も、瞬間瞬間、わが使命を見いだし、真剣に行動するなかにこそ、みなものだ。
 ボーイスカウトの少年たちのなかには、まだ寒そうな表情をしている人もいた。山本伸一は、それを見ると、輸送班の青年に、大量の新聞紙を用意してもらった。
 そして、通訳の高等部員に言った。
 「寒い人は、新聞紙を衣服の下に入れると暖かくなるよ。
 毛布がそろうまでの間、そうするように教えてあげてください」
 高等部員とボーイスカウトの少年たちは、ほとんどが同世代であった。パンなどを配っているうちに、すぐに打ち解け合っていった。
 「友だちに交わるのは一種の藝術です」とは、中国を代表する女性作家の謝冰心の言葉だが、高等部員の真心は、容易に対話の扉を開いた。
 一段落すると、あちこちで、英語での談笑の輪が広がった。自己紹介にはじまり、学校生活や町の様子などを尋ね合い、語らいが弾んだ。
 「日本の食べ物では何が好きですか」と聞かれたアフリカの高校生は、即座に答えた。
 「ここで食べたライスボール(オニギリ)が好きです。おいしい」
 指相撲を教えたり、新聞紙で折り紙をしてみせる高等部員もいた。
 アメリカから来た少年は、頬を紅潮させて語っていた。
 「昨夜は、雨でテントが水浸しになり、どうなってしまうかと思ったんです。不安で仕方がありませんでした。
 でも、もう安心です。みんなと友だちになれたし、いい思い出ができました。ここに来ることができて本当によかった。感謝しています」
51  開花(51)
 やがて、世界ジャンボリーの役員たちが、指揮本部にそろった。
 山本伸一は、歓迎の言葉を述べた。
 「誇り高きボーイスカウトの皆さん方が、安心して休息し、世界ジャンボリーが大成功に終わりますよう心から念願し、歓迎いたします。
 どうか、お困りのことがありましたら、遠慮なく言っていただければと思います。また、ゆっくりとお休みください」
 伸一の歓迎に応えて、ボーイスカウト日本連盟の役員が、感無量の面持ちで叫ぶように言った。
 「私どもは、こうした機会を得たことに、心から感謝しようではありませんか!
 世界ジャンボリーの成功と、心からの感謝を込めて″弥栄!″」
 その発声に、各国のメンバーも続いた。
 「イヤサカ!」
 「弥栄」とは、ともどもに、ますます栄えていこうとの意味である。
 外は、雨が降り続いていた。だが、ここは、歓談の花が咲き、和やかな友情の曲に包まれた。
 午後九時を過ぎても、十時になっても、バスは次々と到着した。
 そのたびに伸一は、大講堂の入り口に立って、ボーイスカウトのメンバーを温かく出迎えた。
 人間の真実は行為にこそ表れる。人びとのために、今、何をし、今日、何をなすかである。
 その姿を見ていた、ある国のチーフが、伸一に感謝を述べに来た。
 「私たちの仲間には、砂漠の国から来た者もいます。生まれて初めて、台風を体験した少年もいます。恐ろしさで、胸がいっぱいだったと思います。
 それだけに、これほど深い真心に包まれ、一夜を送れることは、生涯の思い出となるでしょう。ありがとうございます」
 伸一は答えた。
 「人間として当然のことをしているだけです。次代を担う少年を守り、育むことは、大人たちの義務です。
 そこには、国境も、宗教の違いも、民族の違いもありません」
 チーフの目が潤んだ。
 この日、約六千人のスカウトの受け入れを終えて、伸一が大講堂から雪山坊に戻ったのは、午後十一時半過ぎであった。
 夕方から、約六時間、時に激しい風雨にさらされながら、彼は陣頭指揮をとり続けたのである。
52  開花(52)
 翌朝、ボーイスカウトの少年たちは、目覚めると、大講堂の廊下を駆け回るなど、すっかり元気になっていた。皆、熟睡し、体力を回復したようであった。
 メンバーにとって、大広間で国の別なく、一緒に一夜を過ごしたことは、忘れられない思い出となったようだ。
 お互いを身近に感じ、まさに、ジャンボリーのテーマである、「相互理解」の深まる一夜となったのである。
 メンバーは、この日、大石寺から、御殿場の自衛隊駐屯地などへ移動することになっていた。
 午前十時過ぎから、バスの乗車が始まった。
 まだ、雨は降り続いていたが、ゆっくり休んだ少年たちの表情は明るかった。
 前夜、雨に打たれた山本伸一は、風邪をひいたらしく、熱があり、体が重たかった。咳も出た。
 しかし、彼は、勇んで見送りに向かった。
 皆、二十一世紀を担いゆく少年たちである。世界の宝である。その未来に、励ましの光を送りたかったのである。
 この日は、三日間の夏季講習会を終えた高等部員も、下山する日であった。それぞれのバスに乗るため、高等部員とボーイスカウトは、並んで道を歩いた。
 ボーイスカウトのメンバーに傘を差しかけたり、荷物を持ってあげる高等部員もいた。
 バス乗り場の前では、あちこちで、「シー・ユー・アゲイン」(また会いましょう)と言って、固い握手を交わし合い、ニッコリと頷き合う姿があった。
 そこには、若き魂の共鳴があり、美しき触れ合いのドラマがあった。
 それは、国境を超えた″友情の名画″を思わせた。
 伸一は、前夜、受け入れの慌ただしさのなかではあったが、集められるかぎりの花束を集めるように、青年部の幹部に頼んでいた。
 人を思う強き一念は、細やかな配慮となって表れるものだ。
 バス乗り場で彼は、その花束を、一台一台、車窓からメンバーに手渡していった。
 「お元気で、また、日本にいらしてください」
 「アリガト……」
 頬を紅潮させて少年が答えた。
53  開花(53)
 山本伸一は、バスのなかにいる、ボーイスカウトの少年たちに向かって語りかけた。
 「今回、嵐に遭遇したことは、大変だったかもしれない。でも、それは忘れ得ぬ、生涯の思い出になります。
 人生も一緒です。皆さんのこれからの人生には辛いこと、苦しいこともたくさんあるでしょう。
 でも、それを乗り越えた時には、最高の思い出ができます。最も光り輝く体験がつくられ、人生の財産になります。
 ゆえに、将来、何があっても、苦難を恐れてはならない。敢然と立ち向かっていく、皆さんであってください」
 伸一は、高等部員に語りかけている時と、全く同じであった。彼には、相手が学会員であるかないかなど、問題ではなかった。
 伸一は、眼前にいる、未来に生きる少年たちを、ただただ、全精魂を注いで励まそうとしていたのである。
 英語のできる青年部の幹部が、彼の言葉を通訳した。皆、瞳を輝かせ、大きく頷いていた。
 伸一は、バス乗り場でメンバーを送り出すと、大講堂の指揮本部に向かった。
 ここでは全体の出発状況を確認したあと、大講堂の周辺にいたボーイスカウトと言葉を交わした。
 中米のホンジュラスから来たメンバーがいることを知ると、語らいのひと時をもち、一緒に記念撮影をした。
 また、イギリス隊のメンバーを見ると、彼は言った。
 「昨日、皆さんの勇気ある行動についてお聞きし、感銘いたしました」
 ――イギリス隊は、自分たちのテントは水浸しになりながらも、ほかの国のメンバーを先に避難させ、最後の最後まで、皆の安全のために奮闘した。その姿が、皆に勇気を与えたというのだ。
 臆病者の溜め息は、希望を奪う。しかし、一人の勇気ある行動は、万人を勇者へと変える。
 伸一は、賞讃を惜しまなかった。
 「皆さんには、ボーイスカウト発祥の地の誇りがあります。誇りは勇気の母です。人間を支える力です。
 将来、何があったとしても、私はイギリス隊だと、胸を張って生きてください。 イギリス隊、万歳!」
54  開花(54)
 山本伸一は、この日も陣頭指揮をとり続け、午後三時前、再びバス乗り場にやって来た。最終バスに乗るボーイスカウトを見送るためである。
 音楽隊、鼓笛隊の奏でる「蛍の光」の調べが響き、見送りのメンバーの歌声がこだましていた。
 「サヨウナラ!」
 「アリガトウ!」
 ボーイスカウトたちはバスの窓をいっぱいに開け、口々に感謝の言葉を語りながら、大きく手を振っていた。
 ここでの一夜は、国境や民族、宗教を超えて、相互理解を深め合った、もう一つの「ジャンボリー」となったのである。
 アインシュタインは、「信頼は個人の結びつきを培うことによってのみ、つくり出されうる」と分析している。
 ボーイスカウト日本連盟の世話役の一人が、伸一に駆け寄って来て、感慨深げに語った。
 「私どもは、外国の人と理解を深めることはもちろんですが、その前にもっともっと、日本のなかで、理解すべきものがあったことを知りました。それは、創価学会についてです。
 このたび、私たちは、暴風雨という大変な事態のなかで、皆様方の真心と人間性に触れることができました。
 この温かい友情に包まれた一夜に、山本会長のご好意を身に染みて感じた次第です。私たちは、この友情の灯を、消してはならないと思います」
 伸一は言った。
 「全く同感です。友情は人間性の証です。友情を広げ、人間と人間を結び合い、人類の幸福と平和の連帯をつくるのが、私どもの目的です」
 世話役の壮年は、大きく頷いた。二人は、固い固い、握手を交わした。
 この救援活動に、学会員は、慈悲の光を万人に注ぐ、社会貢献の時代の到来を強く感じた。
 後日、ボーイスカウト日本連盟の理事長は、学会本部を訪問して、山本伸一に感謝状と楯を贈っている。
 また、伸一は、後年、世界を旅するなかで、「あの時、お世話になりました」という青年たちと、思いがけぬ嬉しい再会を重ねることとなる。
 社会を離れて仏法はない。ゆえに、わが地域、わが職場に、君の手で、人間主義の花を断じて咲かせゆくのだ。

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