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日蓮大聖人・池田大作

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第14巻 「智勇」 智勇

小説「新・人間革命」

前後
51  智勇(51)
 つまり、創価学会の運動には、個人の身近な幸福の追求と革命の理想とが、地球が自転しながら公転しているように、なんの矛盾もなく、共存し、連動しているのである。
 そして、同志の語る体験談には、まさに「人間革命」の実証があった。
 会合では、人間不信に陥り、勤労意欲もなくなり、家に閉じこもりがちだった青年が、入会後は、生きがいと勇気をもち、積極的に仕事に励むようになっていった報告もあった。
 また、人間関係に行き詰まって、信心を始めたところ、自分があまりにも自己中心的であったことを痛感。そんな自分を変えようと唱題を重ねていくなかで、人への思いやりをもてるようになったという、婦人の体験発表も聞いた。
 その一つ一つが、民衆の自立と蘇生のドラマとして、海野の胸を激しく打った。
 しかも、そうして立ち上がった庶民が、自分たちこそ、社会建設の主体者であるとの深く強い自覚をもち、友の幸福や地域の繁栄、さらに、国家や世界の平和を願い、真剣に行動しているのだ。その原動力こそ、自分たちは広宣流布を成し遂げるために生まれてきた「地涌の菩薩」なのだという、強い宗教的使命感であることを、海野は知ったのである。
 広宣流布、すなわち人びとの幸福の実現のためには、仏法という生命の尊厳と慈悲の哲理を伝えるとともに、自らその教えを実践し、体現していかなくてはならない。そして、人間を不幸にする、戦争や貧困、病、差別などをなくすために、教育、政治、経済等々の、社会のあらゆる改革に立ち上がらなければならない。
 いわば、宗教的使命の自覚が、必然的に、社会的使命、人間的使命の自覚を促していったのである。
 インドの独立運動の指導者ガンジーは言う。
 「私は、人間の活動から遊離した宗教というものを知らない。宗教は他のすべての活動に道義的な基礎を提供するものである。その基礎を欠くならば、人生は『意味のない騒音と怒気』の迷宮に変わってしまうだろう」海野は、学会の運動によって、民衆の大地が動き始めたと感じた。
 それに比べ、自分たちは、大闘争を展開していたように錯覚していたが、樹木の小枝の先を、むきになって揺すっているにすぎなかったとさえ思えるのであった。
52  智勇(52)
 学生運動の第三の道を開くために、新学同が結成されたことを聞いた海野哲雄は、勇んで、この運動に参加することになるのである。
 新学同は、一九七〇年(昭和四十五年)六月に日米安保条約の期限が切れることから、安保の自動延長に反対し、世界各国と平和友好条約を締結することや、沖縄の即時無条件全面返還等を掲げて、恒久平和実現の道を模索し、運動を展開していった。
 「七〇年安保」以後、学生運動は急速に下火となっていったが、新学同は、人間主義の立場から人権を守るために、公害など、環境問題にも積極的に取り組んでいった。
 だが、時代の変化のなかで、大衆運動の推進という、新学同に求められる役割も変わり、新たな時代を創造する理論集団としての使命を担っていった。そして、新しき人間主義のパイオニアの重責を果たした新学同は、結成から十余年を経た八〇年代初めに解散している。
 学生部員は、この活動を通して、仏法者の立場から社会の諸問題をいかにとらえ、どう行動していくべきかを、真剣に考え、試行錯誤を重ねていった。
 やがて学会は、青年部による難民救援の運動や反戦出版など、広範な平和運動を展開していくことになるが、その推進力となっていったのは、新学同に携わり、山本伸一の薫陶を受けてきた青年たちであった。いわば、新学同は、学会が、平和・教育・文化の運動を本格的に推進していく先駆的試みとなったのである。
 大聖人は「すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」と仰せである。
 自身の幸福を願うならば、まず社会の繁栄と平和を祈るべきであるとの御指南である。
 仏法即社会なるがゆえに、仏法者は、自身の人間革命の光をもって社会を照らし、時代建設の汗を流し続けるのだ。
 わが学会が、その名称に「創価」すなわち「価値の創造」を掲げていること自体、社会への貢献を使命とする宣言といってよい。また、そこに学会が、人類史を画する、人間宗教たるゆえんがある。

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