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日蓮大聖人・池田大作

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第12巻 「天舞」 天舞

小説「新・人間革命」

前後
50  天舞(49)
 クーデンホーフ・カレルギー伯爵と山本伸一が再会したのは、一九七〇年(昭和四十五年)の十月であった。
 対談の第一回は、七日、創価文化会館で、約三時間にわたって行われた。
 さらに、十七日には、創価学園(一九六八年開校)で、伯爵が「私の人生」と題する講演を行ったあと、四時間以上にわたって語り合った。
 また、二十五日、二十六日の両日は、落成間もない聖教新聞社の新社屋で行われ、対談は、延べ十数時間に及んだ。
 二十一世紀に向かって進みゆく青年のために、指標を残したい――その一心で、伸一は会見に臨んだ。
 対談は、伸一から問題提起をするというかたちで進められた。
 話は、日本論に始まって、国際情勢、国連論、国家論、自然と人間、公害問題、宗教の復権、指導者像、太平洋文明、民主主義、生命の尊重、青年論、女性論、教育論等々、多岐にわたった。
 その底流には、いかにして世界平和を実現するかという、明確な問題意識があった。伯爵は語る。
 「第三次大戦の回避は、なんらかの精神運動によって、人種、宗教、イデオロギー、国籍などによるあらゆる違いと対立を超えて、人類の共存と相互信頼の重要性が徹底された場合にのみ可能だと思います」
 伸一が答える。
 「私が主張する思想的条件とは、まさにその精神的な運動のことです。
 共存への機運がいかに高まったとしても、国家間の対立を止揚するものがなければ、第三次大戦は阻止できないかもしれません。この、あらゆる対立を超えさせるものを、人類の精神の中に構築しなければならないと思います。
 ……つまり、地球民族としての普遍的な精神を打ち立てなければならないと思います。あなたのパン・ヨーロッパ運動が果たした役割も、そこにあったと思うのです。私は、パン・ヨーロッパ主義は、やがて全人類を含めたインターナショナリズムへのワンステップとなるべきものと考えるのですが」
 「おっしゃる通りです」
 魂と魂が触れ合い、発光するかのように、二人の語らいは、人類の暗夜を照らし出す、英知の光となって輝いていった。
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 日本を「独自の文明をもつ、太平洋に存在する大陸」であると位置づける伯爵の、日本への期待は大きかった。
 伯爵は、力を込めて、伸一に訴えた。
 「大事なことは、偉大な思想を(日本が)外国に向かって、世界に向けて紹介することです。私は、その時が、すでにきていると信じます。その偉大な思想とは、インドに起こり、中国を経て、日本で大成した、平和的な、生命尊重の仏教の思想です」
 それは、伯爵の熱願であったにちがいない。
 伸一には、その言葉が遺言のように感じられてならなかった。
 現代社会の不幸の元凶は、人間生命が尊厳なる存在であるという、本源的な考えが欠如していることだ。この思考を欠いては、人間の復権はありえない。
 生命の尊厳とは、人間の生命、人格、個人の幸福を、いかなることのためにも、手段にしないということである。そして、それを裏付ける大哲理が世界に流布されなくては、本当の人類の幸福も平和もない。
 伯爵は、それを痛感していたのであろう。
 伸一は、誓いを込めて語った。
 「それは、私自身、これまでも真剣に取り組んできた問題です。これからも、生涯の念願として、世界の平和のため、人類の幸福のために、微力をつくす決意でおります」
 伯爵の口もとがほころび、顔には幾重にも深い皺が刻まれた。
 この対談は、翌一九七一年(昭和四十六年)の二月から、サンケイ新聞に、「文明・西と東」のタイトルで、半年間にわたって連載された。
 週二回、五十三回にわたって、紙面を飾ったのであった。
 さらに、七二年(同四十七年)には、対談集『文明・西と東』として、サンケイ新聞社出版局から発刊されたのである。
 この書を手にした人びとは、世界的な知性が創価学会を渇仰していることに驚愕した。また、同志は、いよいよ仏法という希望の旭日が、世界の海原に昇りゆく、時代の到来を感じるのであった。

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