Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第12巻 「愛郷」 愛郷

小説「新・人間革命」

前後
49  愛郷(49)
 最後に、山本伸一は、こう語って話を結んだ。
 「私は、皆さんのことは、永遠に忘れません。
 飛騨には、なかなか来ることはできませんが、皆さんのご健康とご長寿を、また、ご一家と飛騨の地域の繁栄を祈っております。お題目を送り続けます。お元気で!」
 伸一が高山会館を後にしたのは、午後二時過ぎであった。
 空には、夏の太陽が燃え、うだるような暑さであったが、メンバーは、シャワーを浴びたような爽快さを感じていた。
 涼風が生気を蘇らせるように、伸一との出会いが、新しい活力を呼び覚ましたのである。
 ところで、飛騨は、このころから観光の名所として人気を集め、飛躍的な発展の軌跡を描いていくことになる。
 行政も本格的に観光に力を注ぎ始め、この年には、高山市の観光用の映画も作られた。
 さらに翌年には、高山地区が中部圏都市開発区域の指定を受け、国の補助が出され、道路整備など、開発が進められることになった。
 そして、江戸時代の郡代・代官所の高山陣屋をはじめ、数々の文化遺産をもつ高山市や、合掌造りで知られる白川郷などが、″心のふるさと″として、脚光を浴びるようになっていった。
 また、何よりも、飛騨地方の風光明媚な大自然が、多くの人びとを魅了していったのである。
 高山市を見ても、伸一が訪問する前年の一九六六年(昭和四十一年)には、観光客は年間約十九万人にすぎなかったが、六八年(同四十三年)には二倍の約三十八万人に増加。
 七四年(同四十九年)には約二百万人となり、以来、今日に至るまで、日本有数の観光地として人気を博している。
 こうした繁栄の陰には、地域の発展を祈り、わが使命としてきた、多くの同志の知恵と献身が光っている。
 昔から村に受け継がれてきた伝統文化を復興させようと、塾を発足させた婦人もいる。
 村の旅館組合の組合長や連合町内会の会長、村の社会教育委員会の委員などとして、地域の振興に尽力してきた学会員も少なくない。
50  愛郷(50)
 やがて、飛騨の山河には、功徳の花々が咲き薫っていった。
 総支部長だった土畑良蔵も、後年、新たに始めた運送関係の仕事が軌道に乗り、生活も安定。後継者にも恵まれ、意気揚々と、飛騨の広布に走り続けた。
 旅館業で成功を収めた人もいる。家庭不和や病を乗り越えた人もいる。それぞれが見事な幸福の花園を築き上げていったのである。
 村(町)おこしや地域の活性化は、どこでも切実な問題であるが、特に過疎の村や山間の地などにとっては、存亡をかけた大テーマであろう。
 だが、住民が、その地に失望し、あきらめをいだいている限り、地域の繁栄はありえない。
 地域を活性化する源泉は、住民一人ひとりの愛郷の心であり、自らが地域建設の主体者であるとの自覚にある。いわば、住民の心の活性化にこそ鍵がある。
 大聖人は仰せである。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり
 いかなるところであろうが、私たちが信心に励むその場所が、仏のいる寂光土となる。
 ゆえに創価の同志は、現実を離れて、彼方に理想や幸福を追い求めるのではなく、自分のいるその地こそ、本来、宝土であるとの信念に生き抜いてきた。
 そして、いかなる逆境のなかでも、わが地域を誇らかな理想郷に変え、「幸福の旗」「勝利の旗」を打ち立てることを人生哲学とし、自己の使命としてきた。
 地域の繁栄は、人びとの一念を転換し、心という土壌を耕すことから始まる。
 そこに、強き郷土愛の根が育まれ、向上の樹木が繁茂し、知恵の花が咲き、地域は美しき幸の沃野となるからだ。
 また、そのための創価の運動なのである。
 今、高山市内には、二〇〇二年(平成十四年)の完成をめざして、「二十一世紀研修道場」の建設が進んでいる。敷地内には、高山文化会館も誕生する。
 それは、飛騨の新しき栄光の未来を築く、光源となるにちがいない。

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