Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第10巻 「新航路」 新航路

小説「新・人間革命」

前後
47  新航路(47)
 山本伸一は話を続けた。
 「ポルトガルが大航海時代の覇者となっていった最大の功労者が、このエンリケ航海王子なんだよ」
 エンリケは、一三九四年に、ポルトガル国王ジョアン一世の三男として生まれている。
 青年となった彼は、大ポルトガル建設の大志をいだいて、イベリア半島西南端のサグレスで、航海学校を創設したといわれている。
 そこは、大西洋の荒波が寄せ返す、荒涼たる地であった。
 だが、王子もここで暮らし、民族を問わず、航海術や地図作製、造船、地理学、天文学、数学など、さまざまな分野の一流の学者を招いた。
 王子は、ポルトガルの新しき時代を開くには、東洋への新航路を発見しなければならないと考えていた。
 それには、新しき人材が必要であると、粘り強く、育成に取り組んでいったのである。
 人びとは、結婚もせず、新航路発見の礎をつくり続ける彼を、「海と結婚した王子」と呼んだ。
 王子は、この事業のために、次々と財産を注ぎ込んでいった。
 彼は、″大航海″の成功のために、最新の情報、学問、知識を集め、人材を集めた。そして、目的のために、皆の力が有効に発揮されるように、「組織」をつくり上げていった。
 さらに、造船の技術改良を重ね、風に向かって走ることのできる船を開発させたのである。
 しかし、エンリケによって育まれた船乗りが、アフリカ西海岸を、何度、探索しても、新航路を発見することはなかった。
 彼らは、カナリア諸島の南二百四十キロメートルにあるボジャドール岬より先へは、決して、進もうとはしなかったからである。
 そこから先は、怪物たちが住み、海は煮えたぎり、通過を試みる船は二度と帰ることができない、「暗黒の海」であるとの中世以来の迷信を、誰もが信じていたからだ。
 エンリケは叫ぶ。
 ″岬を越えよ! 勇気をもて! 根拠のない妄想を捨てよ!″
 それに応えたのは、エンリケの従士の、ジル・エアネスであった。
 彼も探索の航海に出て、恐怖にとらわれて逃げ帰って来た一人であったが、再度、エンリケから、航海を命じられると、成功を収めるまでは、決して帰るまいと心に決めて出発した。
 そして、一四三四年に、ボジャドール岬を越えたとの報告をもって、王子のもとに帰って来たのである。
48  新航路(48)
 ジル・エアネスの航海の成功は、小さな成功にすぎなかった。
 カナリア諸島に近い、ボジャドール岬を越えただけであり、新航路の発見にはほど遠かった。しかし、その成功の意義は、限りなく大きく、深かった。
 「暗黒の海」として、ひたすら恐れられていた岬の先が、実は、なんの変わりもない海であったことが明らかになり、人びとの心を覆っていた迷信の雲が、吹き払われたからである。
 「暗黒の海」は、人間の心のなかにあったのだ。エアネスは、勇気の舵をもって、自身の″臆病の岬″を越えたのである。
 ポルトガルの航海者の船は、アフリカ沿岸をさらに南下するようになるが、エンリケは、新航路の発見を待つことなく、一四六〇年に世を去る。
 だが、エンリケによる人材の育成が礎となって、ポルトガルは、喜望峰の発見、インド航路の発見と、ヨーロッパからアフリカを回って東洋に至る新航路を次々と開き、「世界の王者」の地位をつくり上げていくのである。
 山本伸一は、しみじみとした口調で語った。
 「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。
 大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。
 広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の″臆病の岬″を越えることだ」
 それから伸一は、テージョ川の彼方を仰ぎながら語った。
 「未来を築くということは、人間をつくることだ。それには教育しかない。
 二十一世紀は、民族や国家などの壁を超えて、人類が、ともに人間として結ばれる、″精神の交流の時代″であり、″平和への大航海時代″としなければならない。
 そのために、私も、いよいよ、創価高校、そして、創価大学の設立に着手するからね。私の最後の事業は、教育であると思っている。大切なのは礎だ。
 輝ける未来を開こうよ。黄金の未来を創ろうよ」
 西の空に燃える太陽が、記念碑を赤く染め始めた。
 伸一の顔も燃えていた。
 彼は、自らに語りかけるように言った。
 「時は来ている。時は今だ。さあ、出発しよう! 平和の新航路を開く、広宣流布の大航海に」
 真っ赤な夕日が、微笑んでいるように、伸一には思えた。

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