Nichiren・Ikeda
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46 幸風(46)
山本伸一の激励は、撮影のあとも続いた。
「皆さんは、常勝関西の尊い基礎をつくった功労者です。私は、生涯、皆さんのことを忘れません。
今日の写真は、皆さんとともに生きるという意義を込めて、会長室にも一枚ずつ保管します。
そして、皆さんに題目を送りますから、しっかり受けとってくださいよ」
その時、会場の隅の方から、「先生!」と呼ぶ、かわいらしい声が響いた。母親についてきた、五歳ぐらいの男の子の声であった。
伸一は、手を振りながら、目を細めて言った。
「もうすぐ、終わるから待っていてね」
それから、伸一のために用意してあった、テーブルの上のブドウを、坊やにあげた。
そして、再びマイクを手にした。
「どうか、お子さんが立派に成長し、広宣流布の晴れ舞台に立てるように、よろしくお願いします。
お子さんにとって、お母さんは、信心の最大の手本です。純粋な母の信心があれば、必ず、子供も信心に励むようになります。
お母さんは太陽です。どんな苦しみの闇も、太陽が輝けば、すべては希望の光に包まれる。
何があっても、お母さんさえしっかりしていれば、ご一家は安穏です。幸福の花園となることは間違いありません」
さらに、伸一は、年配者の姿を見ると、言葉をかけ、色紙や、念珠、書籍などを贈った。
だが、メンバーの入れ替えとなり、控室に戻ると、彼は、倒れるようにソファにもたれるのであった。
熱のために、顔はますます上気していた。目も充血して赤かった。体は熱いのに、悪寒を感じた。
しかし、数分もすると、伸一は、生命力を振り絞って、毅然として起き上がって言うのである。
「さあ、行こう! みんなが待っているから」
歩きながら、彼は、同行の幹部に伝えた。
「最後に、役員の青年とも記念撮影をしよう。みんな、一生懸命にやってくれたんだもの」
同行の幹部は、何を言い出すのだろうと思ったが、伸一の気持ちを考えると、制するわけにはいかなかった。まさに、「臨終只今」の思いで、同志を励ます山本会長の姿に、皆、胸を熱くするのであった。
班長、班担当員の記念撮影は四十八グループで終わり、最後の役員の記念撮影となった。
47 幸風(47)
役員の撮影は、二グループに分かれて行われた。
山本伸一は、一人ひとりに視線を注ぐように、撮影台に立つ青年を見上げながら語った。
「お休みの日曜日に、朝早くから、陰の力として頑張ってくれた諸君に、心から感謝いたします。
ありがとう。また、ご苦労様です。
最高の王者とは誰か。常に民衆を守りゆく人です。
最も尊い人は誰か。大切な仏子のために、黙々と汗を流した人です。
ゆえに、役員の皆さんこそ、一番、尊敬すべき方であり、私は、最大の敬意を表して、皆さんと写真を撮ります」
最後のフラッシュが閃光を放った。
実に、四時間五十五分を費やし、五十グループにわたる撮影会は、午後五時前に終了した。
閃光を浴び続けたせいか、伸一の目は痛み、目を閉じても、炸裂する光が瞼の裏に点滅していた。
発熱に苛まれながらの記念撮影であったが、それに気づいた関西の同志はいなかった。
彼は、翌日には、舞台を名古屋に移し、愛知県の班長、班担当員一万二千人と記念のカメラに納まった。
以来、班の幹部をはじめ、組織の最前線の同志との記念撮影は、約十年にわたり、北は北海道から、南は沖縄の宮古島、石垣島まで、全国各地で行われたのである。
その間、伸一は、激務のために、何度か、体調を崩したが、走り続けた。
最愛の同志とともに、カメラに納まり、刹那に永劫をとどめんと。励ましの言葉を贈らんと。
広宣流布とは、全同志が獅子となって立ち上がってこそ、初めて成就できる聖業である。
ゆえに、伸一は、同志の心の暖炉に、永遠なる「誓いの火」を、「歓喜の火」を、「勇気の火」を、断じて、ともさねばならないと決意していたのだ。
石と石とがぶつかり合うなかで、火は生まれる。広宣流布の火もまた、人間の魂と魂の触発のなかからしか生まれないことを、伸一は熟知していた。
写真撮影の、どの会場にも、伸一との、生命の熱い交流のドラマがあった。
多くの同志は、今なお、その写真を大切に保管し、感動をもって口々に語る。「生涯の宝」「人生の誓いの原点」と。
そして、記念撮影を通して彼が結んだ、数十万の同志との魂の絆が、新しき広布の飛翔の原動力となっていったのである。