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日蓮大聖人・池田大作

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第9巻 「鳳雛」 鳳雛

小説「新・人間革命」

前後
46  鳳雛(46)
 山本伸一は、担当幹部から、愛唱歌「我が青春譜」の発表をはじめ、部員会の詳細な報告を聞くと、定時制高等部は、完全に軌道に乗ったことを感じた。
 そして、彼は、それを、さらに盤石なものにするために、高等部長の上野雅也と相談し、定時制にも鳳雛会を結成することにしたのである。
 定時制鳳雛会が男女各二十七人をもって発足したのは、この一九六八年(昭和四十三年)の十月二十七日であった。
 翌月の十一月十七日、伸一は、この定時制鳳雛会のメンバーを、すき焼き店に招待した。
 東京・青山にある格式の高い店だけに、皆、最初は緊張した顔をしていた。
 「今日は、おなかがいっぱいになるまで、どんどん食べなさい」
 伸一に促され、湯気を上げた、すき焼きをつつき始めると、屈託のない笑みが広がった。
 やがて、伸一を囲んでの指導会となった。
 「仕事をし、夜学に行っていると、どうしても疲れがたまり、健康を損ないがちになるので、特に体を大事にしていきなさい。
 賢人とは、自分で自分をリードしていける人のことです。健康管理は、自分の智慧で行っていくしかない。
 私は、皆さんの体のことが、一番、心配なんです」
 師の真心の言葉を、皆、胸を熱くして聞いた。
 「今は、どんなに大変な境涯であろうとも、どんなに厳しい職場であろうとも、それでいいんです。若い時に、逆境のなかで生きた人の方が、かえって将来、立派に人生の総仕上げをしていけるものです。
 最も苦労している諸君であるがゆえに、私は、一番大きな期待をかけております。定時制鳳雛会は、本命中の本命です。これだけのメンバーがいれば、広宣流布は必ずできます。
 私は、一年ごとに、十年ごとに、諸君がどう成長していくか、見ていきます。いざという時に、私とともに、広宣流布のために立ち上がることのできる、本当の山本門下生になってもらいたい」
 「はい!」
 元気な声が響いた。
 すると伸一は、意外なほど厳しい口調で言った。
 「返事は簡単です。決意することも簡単だ。口先だけの人を、私は、たくさん見てきた。
 信心は実証です。持続です。まことの時に、また、生涯を通して、何をなしたかです。
 諸君は、本物の勇者だったと、賛嘆される人になってもらいたい」
 厳父の指導であった。
47  鳳雛(47)
 最後に、山本伸一は、つぶやくように語った。
 「私は嬉しい。今日は、本当に嬉しい。
 私も夜学、戸田先生も夜学だった……」
 定時制鳳雛会のメンバーは、自分たちの想像を遙かに超えた、山本会長のありのままの姿に、親しみを覚えた。また、あまりにも大きな期待に、身の引き締まる思いがした。
 伸一は、皆に視線を注ぎながら笑顔で言った。
 「何か歌を歌おう」
 メンバーの一人が答えた。
 「それでは、みんなで作った、定時制高等部の歌を歌わせてください」
 「聴きたいな」
 「はい!」と言って、全員が立ち上がった。
 そして、「我が青春譜」を歌い始めた。
 一、強き同志の 絆もち
  向学に燃え 励みゆく
  負けるな友よ 若人の
  英知溢るる 情熱は
  我が黄金の青春譜
 ゆっくりとしたテンポの、力強い歌である。
 二、若き我等の 精進は
  師匠が歩んだ
       道なれば
  我等無上の 誇りなり
  広布の偉業 我が使命
  ああ感激のこの縁
 三、輝く栄光 ひとすじに
  若き平和の 戦士征く
  世界の友よ 肩くみて
  明日の希望の 太陽を
  謳おう我等の青春譜
 一番では「苦闘」を、二番で「師弟不二」を、三番で「世界への雄飛」の決意を歌っていた。生涯、師とともに生きんとする、誓いを込めた熱唱であった。
 その歌声は、伸一の心に、びんびんと響いた。
 「いい歌だ。もう一度」
 伸一の言葉に、再び力強い合唱が始まった。
 「本当にいい歌だ。今度は、男子が一番を、女子が二番を、三番は男女一緒に歌おう。この歌をテープに吹き込んで、聴かせてもらうよ」
 伸一の要請で、数回、合唱が繰り返された。
 歌が終わると、彼は言った。
 「みんながよければ、今月の本部幹部会で歌って、全国のメンバーにも聴いてもらおう」
 予期せぬ提案に、メンバーは感激に目を潤ませながら、「はい」と、元気な声で答えた。
 「また、この歌の四番の歌詞を、私がみんなのために作ってあげよう」
 皆、わが耳を疑った。誰もが驚きを隠せなかった。
 この日の会食は、メンバーにとって、″生涯の宝″となったのである。
48  鳳雛(48)
 山本伸一は、帰りの車中で、早速、「我が青春譜」の四番の歌詞を考えた。
 彼の思いは、そのまま、歌詞となった。歌は、一瞬にしてできあがった。
 四、富士の高嶺を
       あおぎゆく
   君よおいたて
       ぼくは待つ
   使命は深し 生死あり
   進む君等に 光あれ
   未来に燦たる青春譜
 この歌詞は、翌日には、メンバーに伝えられた。
 約束を虚妄にしない、山本会長の誠実さに、また、その迅速さに、まず、メンバーは感動した。そして、歌詞を見ると、その感動は衝撃に変わった。
 なんという信頼、なんという深き自己の使命か――皆、限りなく優しい師の腕に包まれている喜びに、胸が震えるのであった。
 十一月二十五日、東京・両国の日大講堂で行われた本部幹部会では、定時制高等部員の誓いの歌声がこだました。
 山本伸一は、壇上で、その歌声に耳を傾けながら、心で叫び続けた。
 ″今は、苦しく、辛いこともあるだろう。しかし、負けるな! 断じて、負けるな!
 最も厳しい環境のなかから、最高の大指導者が育つということを、君たちが証明するのだ。
 道を開け! 二十一世紀のパイオニアたちよ″
 こうした山本会長の陣頭指揮ともいうべき育成によって、高等部は、目覚ましい発展を遂げていった。
 結成二年後の一九六六年(昭和四十一年)六月には、部員十万を達成し、さらに、六八年(同四十三年)には、部員十八万へと、飛躍的に拡大していったのである。
 また、この六八年には、女子高等部長が誕生し、本部の海外総局で、英語版の月刊誌「セイキョウ・タイムズ」の編集にあたり、副高等部長を務めてきた大河内智子が、初代女子高等部長に就任している。
 会長山本伸一が、「本門の時代」の出発に際し、高等部、中等部、少年部という、未来の人材の泉を掘ったことによって、創価後継の大河の流れが、一段と開かれ、二十一世紀への洋々たる水平線が見えてきたのである。
 使命の苗を植え、育む、伸一の人間教育は、青少年の心に、精神の不屈なる力を培っていった。
 それは、戦後日本の荒廃した教育に、新しき光を投げかけるものであった。
 だが、それに気づく教育者も、学者も皆無であったといってよい。

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