Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第8巻 「宝剣」 宝剣

小説「新・人間革命」

前後
46  宝剣(46)
 富士会館への車中、山本伸一は、戸田城聖の精神に立ち返るならば、僧侶たちの腐敗や学会への誹謗を、絶対に放置していてはならないと思った。
 しかし、彼が宗門に徹底して抗議をすれば、多くの僧侶の反発を招くことはわかっていた。
 だからといって、今の事態を見過ごすならば、宗門の「悪」を野放しにし、助長させることになってしまうことは明らかである。
 伸一は、宗門に諫言できるのは、もはや自分しかいないことを痛感していた。また、心ある僧侶は、自分の真心の諫言に耳を傾け、わかってくれることを彼は信じていた。
 ″戦わねばならぬ。広布のため、会員のため、宗門を守るために……″
 彼は心を決めた。
 車窓には、雲を突き抜けて、富士が堂々と天空にそびえ立っていた。
 伸一が富士会館に到着すると、さっきの役僧から電話が入った。
 問題のある僧侶については、個別的に、よく指導するので、穏便にすませたいとの意向であった。
 伸一は言った。
 「皆さん方は、この事態を、どう受け止めていらっしゃるんですか!
 私たちは、これまで、何度となく、そうしたお話をうかがってきました。しかし、同じことが繰り返されてきたではありませんか。
 僧侶も、法華講も、大聖人の仰せ通りに信心に励んで、広宣流布を推進している学会を批判し、学会員を差別して苛める。私たちは間違ったことなどしておりません。
 それをはっきりさせていただきたいのです。問題をあいまいにし、お茶を濁すような対応はおやめいただきたい。後世に禍根を残すことになります。
 私は納得できません」
 ほどなく、役僧は「わかりました。検討します」と言って電話を切った。
 伸一は、午後三時過ぎから、静岡本部の結成式に出席した。
 結成式が終わって、間もなく、役僧が富士会館にやって来た。
 伸一は、ここで、再度、僧侶の振る舞いや学会への謗言、法華講の問題などを具体的にあげ、学会員がどれほど苦しみ、いやな思いをしているのかを、諄々と語っていった。
 しかし、役僧の態度は、どこまでも他人事であり、ただ「困ったことですな」と、繰り返すばかりであった。
 役僧は言った。
 「山本先生、あまり、苛めないでくださいよ」
 反省の色はまるでない。
47  宝剣(47)
 山本伸一は怒りを堪えながら、宗門自らが、宗内の「悪」と戦わなければ、やがて「悪」によって滅んでいくことを訴えたあと、力を込めて語った。
 「来春には、念願の大客殿も落成し、記念の三百万総登山も始まります。
 学会員は、僧俗和合し、いよいよ本格的に広宣流布を推進していくべき時を迎えたと、懸命に活動に励んでおります。
 その学会を、僧侶が誹謗し、しかも、法華講の学会への謗言をあおっている事実もあります。
 さらに、僧侶が遊興にふけり、世間のもの笑いになるような行為を続けている。あまりにも情けない、堕落しきった姿であり、純粋な信徒を欺く行為です。いや″聖僧たれ″との、日興上人の御指南への反逆ではありませんか。
 もしも、学会に対して、おっしゃりたいことがあるなら、私に、直接、言ってください。意見でも、要望でも、文句でも結構です。
 しかし、私には、何も言わないで、陰で学会の批判をし、会員を苛めるようなことをしている。これではあまりにも卑劣です。
 学会員は、世間から悪口を言われ、時には村八分にされたりしながら、健気に必死になって折伏に励み、宗門の興隆のために働いております。
 大聖人ならば、この尊い仏子たちを、衣の袖で覆うように、包容してくださるはずです。しかし、仏弟子を名乗る僧侶が、その会員を足蹴にするような振る舞いや発言をする。
 そんなことが、許されてよいわけがありません。
 もし、宗門で対処できないとおっしゃるなら、私が戦います!」
 この言葉を聞くと、役僧は慌てて言った。
 「いや、宗門として、必ず対応いたします。
 猊下ともご相談し、これからは、こうした問題が起こらないようにいたしますから……」
 「今度は、本当に信じていいんですね」
 伸一は、役僧の顔を見すえて言った。
 「はい」
 「では、具体的にどうしていくかは、お任せいたします。
 しかし、これまでのようにあいまいにせず、責任をもっていただきたい」
 伸一は、役僧を会館の玄関まで出て見送ると、こうつぶやいた。
 「これでは、学会員がかわいそうだ……」
 訓諭を宗門が発表したのは、それから一週間後の、七月十五日であった。
48  宝剣(48)
 宗門の庶務部長は、この訓諭を受けて、聖教新聞に談話を発表している。
 「今回の訓諭にお示しのとおり、御本尊様のご威光により、また、よき檀那である創価学会の熱心な折伏で、わが宗門は世界的なものとなった。
 宗務院としては、猊下の仰せどおり、僧俗一体で進んでいくことを心に期している。
 今や大客殿の完成を間近に控え、猊下の訓諭をわが身に体して、ご先師のご遺訓を守って、創価学会と協力していくことを誓うものである……」
 また、法華講も、全国連合会の会長が、聖教新聞に談話を発表した。
 そこには、「法華講員たる者、ひとりもあますことなく、これを奉戴し、広布への障害になるようなものは、断固これを排し、学会の進軍のあとについて、自行化他の信心に邁進し、猊下のご深慮にお応えしたてまつる覚悟である」とあった。
 そして、「不世出の大指導者、法華講大講頭」である学会の会長の山本伸一の「慈愛あふれるご指導によって、法華講員の一人ひとりが、信心強盛に、広宣流布、仏国土建設への戦いを勝ち取りうるよう祈る次第である」と結ばれていた。
 この訓諭の発表を契機にして、学会員を苛め抜いてきた大阪の蓮華寺、高知の大乗寺といった寺が、やがて宗門から離脱していくことになる。
 また、これによって、僧侶、法華講の学会への誹謗は、一応は収まり、大石寺の僧侶が、富士宮などで遊ぶ姿を見ることは少なくなった。
 しかし、本質的には、何も改まることはなかった。陰に回れば、相変わらず学会への誹謗がなされていたし、遊興の場が、目立たぬところに移ったにすぎなかった。
 そして、後年、権力欲と保身の権化さながらの日顕が、宗門のリーダーたる管長、法主の座に就くと、宗門は完全に邪悪と謗法の巣窟となっていくのである。
 伸一は、訓諭の発表に、ひとまずは安堵したが、僧侶たちの心に巣くう悪の根は、断たれていないことを痛感していた。
 「魔」は、広宣流布を断絶せんがために、宗門という根本部分につけ入ってくることは、歴史を振り返れば明らかであった。
 彼は、宗門を仏法破壊の一凶とさせぬために、信心の宝剣をもって、衣の権威に潜む魔性との闘争を開始していったのである。
 (この章終わり)

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