Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第7巻 「萌芽」 萌芽

小説「新・人間革命」

前後
41  萌芽(41)
 春山富夫は、早稲田大学の政経学部を出て、難関といわれた商社に入り、エリートコースを驀進してきた有能な青年であった。
 入会は一九五四年(昭和二十九年)で、先に入会した両親の姿を見て、自分も信心を始めたのである。
 彼は、信心に励むなかで、題目の力は実感してきたようであったが、本格的に学会活動に取り組んだことはなかったし、広宣流布をしていこうという自覚も乏しかった。
 また、はっきりとものを言う性格で、頑固で、皮肉屋な一面もあった。
 しかし、山本伸一は、彼が学会のすばらしさを心から理解すれば、大きな力を発揮していくであろうと確信していた。
 春山は、理性的なものの考え方をする人物であったが、それも広宣流布を進めるうえでは大事なことであるし、また、アメリカにあっては、はっきりとものを言うことも、必要不可欠な資質である。
 更に、彼が信心に励んでいくならば、頑固さは、不屈の信念となって輝いていくはずである。
 初めから完成された人間などはいない。一人ひとりのもっている可能性を見いだし、全力を注いで、皆を人材に育て上げていくことが、幹部としての責任といってよい。
 春山は、伸一の話を、真剣に聞いていた。
 「学会の真実の姿を見極めずに、軽く見ていると、将来、大きな後悔をすることになります。
 学会はこれからも、更に大発展していきます。やがては、世界各国に、たくさんの学会員が誕生することになるでしょう。
 また、学会が母体となって、将来は、高校や大学もつくっていきます。音楽の交流のための財団もつくります。
 仏法を根底に、政治、教育、芸術など、あらゆる文化の大輪を咲かせ、人びとの幸福を実現する社会をつくり、人類の永遠の平和を築こうとしているのが創価学会です。
 人間の一生には限りがある。そのなかで、人生をいかに生きるかが、最も重要な問題です。
 もしも、自分の社会的な地位や名声、財産を得ることに汲々として、人生を送るとするならば、最後は、空しさだけが残るに違いありません。
 結論していうならば、人びとの絶対的な幸福のために、世界の平和のために貢献していくことです。
 つまり、広宣流布のために生き抜いてこそ、最高の歓喜と充実のなかに、最も意義ある自分自身の人生を完結していくことができる。そのための信仰です」
42  萌芽(42)
 山本伸一の言葉には、強い力が込められていた。彼は必死であった。
 ここで春山富夫に本当の信仰をわからせ、奮い立たせなければ、妻の栄美子も十分に力を発揮することができないし、メンバーがかわいそうであると思ったからだ。
 また、春山を幹部に推薦したのは伸一であり、彼の奮起を促すことは、自分の責務であると、伸一は決意していた。
 「春山さん、私は、あなたなら、立派な組織をつくると確信しております。二人して、戦おうではないですか!」
 伸一は、こう言うと、じっと春山の目を見た。春山の隣にいた妻の栄美子も、夫の顔に視線を注いだ。春山の目がキラリと光り、静かに頷いた。
 伸一は更に続けた。
 「ニューヨークの支部長になり、男子部の北米部長になったということは、このニューヨーク中の人びとを、また、アメリカ中の人びとを、幸福にしていく使命を担ったことです。
 最初は、総支部の婦人部長である奥さんの運転手でかまいませんが、みんなをどう励ますのか、いかに指導するのかを早く吸収して、大支部長になってください。
 あなたの場合、仕事の関係で、いつ、どこへ行くのかわからないのだから、特に一日一日が勝負になる。まず、このニューヨークで、人生最大の広宣流布の思い出をつくることです。
 ニューヨークを頼みますよ。アメリカを頼みます」
 春山は、幾分、緊張した顔で、「はい!」と返事をした。
 伸一が笑みを浮かべると、細面の春山の顔にも、微笑の花が咲いた。
 栄美子は瞳を潤ませて、その光景を見ていた。
 この日から春山夫妻の二人三脚が始まるのである。夫妻は、富夫の運転する車でロングアイランドへ、ボストンへ、ワシントンへと友の激励に走った。一日に三百キロ、四百キロと走ることも珍しくなかった。
 最初、富夫は、話は栄美子に任せ、彼は一言、「頑張りましょう!」と言うだけであったが、しばらくすると、自分の体験などを語り、力強く指導、激励するようになった。
 更に、座談会の後などに、栄美子がメンバーの婦人たちを激励していると、彼は、妻の送迎のためにやって来た未入会の夫たちと英語で懇談し、仏法への理解を促していった。
 そして、富夫は後年、商社を退職し、学会本部の職員となり、SGI(創価学会インタナショナル)の発展に貢献していくことになるのである。
43  萌芽(43)
 一夜が明けて一月十五日は、山本伸一がヨーロッパに発つ日であった。
 伸一は、午前七時三十分に、春山富夫の運転する車で、空港に向かった。
 ヨーロッパに行くのは、伸一と十条潔、それに正木永安の三人で、ほかのメンバーは二手に分かれ、アメリカ各地を回って、会員の指導にあたることになっていたのである。
 空港には、八時過ぎに着いた。
 伸一は、出発までの間、見送りに来てくれた十数人のメンバーとロビーで懇談した。
 清原かつが言った。
 「ハワイは夏で暑かったし、ロサンゼルスは春の陽気、そして、ニューヨークは真冬でこの寒さ……。
 日本を出発して、まだ一週間ぐらいしかたっていないのに、一年間もたったような気がするわ」
 それを聞くと、伸一は笑いながら言った。
 「清原さん、ニューヨークにも春が来ていたよ。妙法の太陽に照らされて、たくさんの地涌の若芽が育っていたじゃないか。
 また、一週間で、春から冬まで体験できたというのは、それだけ世界が狭くなったということだよ。
 これからも、ますます交通手段は発達し、一日もあれば、世界中、どこへでも行けるようになる。しかし、時間の溝は埋まっても、社会体制の溝、国家の溝が埋まらなければ、人間は交流することはできない。
 アメリカとソ連が、その最たるものだ」
 「先生、次はアメリカには、いつ、おいでいただけるのでしょうか」
 一人の婦人が尋ねた。
 「また、すぐに来ます。実は来月、ワシントンでケネディ大統領と会うようになると思います。ある筋を通して、私に会いたいという連絡があったのです。
 あの″キューバ危機″のような危険な事態を、再び引き起こさないためにも、私は会って話し合おうと思っている。
 体制の溝、国家の溝といっても、結局は、人間の心の溝から、すべては始まっている。だから、その人間の心の溝に、私は橋を架けたいんだ。
 こんなに小さな地球に住む人間同士が、争い合っていることほど、愚かなことはない……」
 メンバーは、伸一がケネディと会見する予定であることを聞いて驚きはしたものの、彼が何を成そうとしているのかは、想像もつかなかった。
 この時、伸一の胸中には、燦然と光り輝く、世界を結ぶ友情と平和の金の橋が、幾重にも、描かれていたのである。
   (この章終わり)

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