Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5巻 「歓喜」 歓喜

小説「新・人間革命」

前後
44  歓喜(44)
 ローマ帝国の弾圧のなかでも、殉教を誉れとする人びとの最期は、崇高であった。
 猛獣の餌食となっても、なお、毅然とし、悠然としていた。その姿こそ、彼らの「正義」の証明であり、それは、むしろ、ローマ市民に感動を与え、権力の暴虐を浮かび上がらせることにもなった。
 迫害も功を奏さず、次第に指導者層や兵士のなかにも、キリスト教徒が増えていった。
 そして、約三百年。屈したのは、キリスト教徒ではなく、武力を自在に操り、弾圧してきたローマ帝国であった。
 三一三年、遂にローマ皇帝コンスタンティヌスは、キリスト教を公認し、やがて、ローマは、キリスト教の都となったのである。
 山本伸一は、カタコンベで、キリスト教の歴史を振り返りながら、信仰の道の険しさを思った。
 ――キリスト教が公認されるまでの三百年の間に、いかに多くの人びとが拷問され、処刑されていったことか。その苦闘と試練のなかで、彼らは殉難を誉れとして、教えを広めていったのだ。
 学会は、牧口先生の殉教から、まだ、わずか十七年である。今は、時代も、社会状況も、戦時中とは異なり、平和と民主の時代となった。
 しかし、経文に、また、日蓮大聖人の御聖訓に照らしてみるならば、仏法という最高の大法を行ずる我らに、大弾圧、大迫害が競い起こることは間違いない。
 「からんは不思議わるからんは一定」との御聖訓は、永遠の光を放っている。
 戦後、戸田先生が学会の再建に立ち上がられてから今日に至るまで、学会は幾多の難を受けはしたが、まだまだ小難にすぎない。
 すると、前途には、想像を絶する大難が待ち受けていよう。それも″民主″の仮面を被り、巧妙に世論を操作しての弾圧となるに違いない。全人類を救いゆく広宣流布の道が安穏のわけがないからである。
 それが十年後か、二十年後か、あるいは三十年、四十年後になるのかは、今は伸一には測りかねた。
 彼は、既に殉難の生涯を誉れとする不屈の決意を固めていた。そして、いかなる事態に直面しても、微動だにしない多くの信仰の人がいなければ、仏法の永遠の大道は開けぬことも痛感していた。
 しかし、できることならば、犠牲は、自分一人にとどめたいというのが、彼の会長としての切実な願いであった。
45  歓喜(45)
 カタコンベの見学を終えて、外に出ると、同行の青年が感無量の顔で、山本伸一に言った。
 「先生、苦難の歴史を経ることによって、不屈の信仰が形成されていくものなんですね……」
 「そうだ。私も、そのことを、ずっと考えていた。
 キリスト教の歴史を見る時、三百年という長い苦節はあったが、その教えはローマに広まり、遂に勝利を得たことで、彼らの信ずるイエスの『正義』は証明された。大切なのは後に残った弟子がどうするかだ。
 学会も、初代会長の牧口先生は獄死された。戸田先生という弟子がいなければ、学会も壊滅していたし、大聖人の仏法も滅していた。
 更に今後、私たちが何をするかだ。もし、学会が滅びてしまえば、真実の仏法を伝えることはできない。牧口先生の価値創造の哲学も、戸田先生の平和思想も滅びてしまうことになる。いや、牧口先生の死も犬死にになってしまう。
 ともかく、残った弟子がすべてに勝つ以外にない。自分に勝ち、宿命に勝ち、逆境に勝ち、人間王者になることだ。大勝が仏法を、広宣流布を永遠ならしめる。また、大勝のなかにこそ、信仰の大歓喜がある。
 さあ、いよいよ明日は帰国の途につく。日本の広宣流布という、民衆の幸福のための新しき戦場が待っている。
 戦おうよ、力の限り。そして、勝とう!」
 皆、決意に燃えた目で、伸一を見ながら、大きく頷いた。
 一行は車で、ローマ市内を目指した。
 石造りの建物が建ち並ぶローマの街は、美しい夕焼けに染まっていた。
 伸一は、「ローマは一日にして成らず」との言葉を思い出していた。一都市国家から始まったローマが、大帝国を築き上げるまでには、数百年の歳月を要している。
 ましてや、人類の胸中に「永遠の都」ともいうべき生命の黄金の城を築き、世界の平和を打ち立てんとするのが広宣流布である。その大偉業は、もとより、一朝一夕に成るものでは決してない。
 百年、二百年、あるいは、数百年以上の歳月を要するかもしれない。
 しかし、それは、断じて成し遂げなければならない創価学会のテーマである。
 そのためには、当面する一つ一つの課題に勝ち切ることだ。
 今の勝利なくして未来の栄光はない――伸一は、落日に燃えるローマの街並みを見ながら、強く拳を握り締めた。

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