Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5巻 「開道」 開道

小説「新・人間革命」

前後
36  開道(36)
 翌十月十五日は、ロンドンを発って、次の訪問地である、スペインのマドリードに向かう日であった。
 一行の搭乗機の出発予定時刻は、午前十時四十分である。山本伸一たちは、九時前に空港に到着した。
 ところが、濃霧のために飛行機の出発は遅れるとのことであった。しかも、いつまで待つことになるか、わからないという。
 空港には、ロンドンの連絡責任者となったシズコ・グラントも、見送りに来てくれていた。
 伸一は、待合室で、彼女に言葉をかけた。
 「わざわざありがとう。
 励まし合える友人も、指導してくれる先輩もいないところで、信心を続けるのは大変なことだ。歓喜し、決意に燃えている時はよいが、ともすれば自分に負け、ついつい惰性化してしまうのが人間の常です。
 しかし、御書には『心の師とはなるとも心を師とせざれ』と仰せです。自分の弱い心に負け、弱い心を師として従ってはならない。
 その時に、帰るべき原点が御書です。御書こそが、心の師となる。ゆえに、教学が大切になります。
 その意味で、今日は、この時間を使って、教学の試験をしよう」
 「試験ですか!」
 彼女は戸惑いの表情を浮かべた。
 「心配しないで大丈夫だよ。あなたが、これまでに学んできたことを、確認するだけだから。
 それに、ヨーロッパでは今のところ、教学の試験の予定もないので、教学部員になるチャンスをつくっておきたいのです」
 伸一は、傍らにいた同行の幹部に、設問を考え、試験官になるように伝えた。
 一人の友の成長のために何ができるか−−彼は、常にそのことばかりを考えていた。
 広宣流布とは、人間性の勝利の異名だ。そうであるならば、人を磨き、鍛え、育て、輝かせていく以外にその成就の道はない。
 待合室の一隅で、シズコ・グラントの試験が行われている間、伸一も御書を拝読していた。
 時刻は正午を過ぎた。
 昨夜、会食をした商社の関係者が、一行のために、昼食のオニギリを届けてくれた。その人は帰りがけに、こう語った。
 「昨日の山本先生の、その国に永住し、愛し、貢献していくぐらいの決意でなければならないとのお話は、心に残りました。私たちが忘れている大事なことを教えてくれました。やはり″腰掛け″のような気持ちではいけませんね」
 心の共鳴は、広がっていたのである。
37  開道(37)
 滑走路は、まだ濃い霧に覆われていた。飛行機が飛び立つ様子はなかった。
 川崎鋭治らが空港の係員に、何度も出発の見通しを尋ねていたが、「わからない」との答えが返ってくるばかりであった。
 皆、次第にイライラし始めていた。
 それを感じ取ると、山本伸一は言った。
 「霧の都ロンドンに、霧が出るのは仕方がない。ロンドンに来て、霧も見られないとしたら、かえって寂しいじゃないか。
 それに、今度の旅では、ベルリンで少し雨に降られた以外は、晴天に恵まれてきた。いつも、そんなにうまくいくものではない。大雨もあれば、濃霧もあって当然だ。
 広宣流布の道だって同じだよ。いつ、何が待ち受けているかわからない。順風の日ばかりであるはずがないもの。
 しかし、霧が立ちこめたり、嵐があったり、時には絶体絶命の窮地に陥りながらも、そのなかで戦い、勝っていくから痛快なんだ。
 『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』だよ。みんな勇気をもって、すべてを楽しみながら、壮大な広布のドラマを演じていこうよ」
 伸一は悠然としていた。
 「さあ、せっかく時間ができたんだから、少しでも勉強しよう」
 彼は、こう言うと、再び御書を開いた。
 そして、一時間ほど御書を研鑽すると、今度は、絵葉書を取り出し、日本の同志にあてて、次々と激励の一文を書き始めた。待合室は、まさに書斎となり、執務室となった。
 人が無為に過ごす時間というのは、かなり多いに違いない。その時間を有効に生かし、活用することによって、人生に、いかに大きな実りをもたらすか計り知れない。
 空港のアナウンスが、マドリード行の飛行機への搭乗を告げたのは、午後五時近かった。既に六時間余りの遅れである。
 伸一は、見送りに来てくれたシズコ・グラントに丁重に礼を述べ、飛行機へと向かった。搭乗機は、更に待機した後、離陸し、雲のなかを上昇していった。
 しばらくして、伸一は、窓の外を見た。満天の星である。
 その星々のなかに、恩師戸田城聖の顔が浮かんだ。
 ″先生は、私の旅を、じっと見守ってくださっている。日々、新しい歴史のページを開き続けよう″
 伸一は、いささか疲れを感じていたが、戸田を思うと、胸には、泉のように闘志がわくのであった。

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