Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第4巻 「大光」 大光

小説「新・人間革命」

前後
33  大光(33)
 しばらく行くと、レンガ塀越しに、東ベルリンのなかが見える一角があった。
 そこには、二、三十人ほどの人が集まり、東ベルリンの方に向かって、時折、手を振っていた。
 山本伸一が、東ベルリンの方を眺めると、彼方の建物の窓に小さな人影が見えた。ここに集まっている人の縁者なのであろう。
 その人影は、こちらに向かって、盛んに手を振っていたかと思うと、サッと隠れるように、建物のなかに姿を消した。
 東ベルリンで警備に当たっている兵士らに見つかると、西ドイツに内通している者と見なされてしまう恐れがあるからであろう。
 分断の現実を思い知らされ、同行のメンバーは、言葉を失っていた。
 また、ベルナウアー通り近くの境界通路では、数人の西ベルリン市民が、検問所の東ベルリンの警察官に、通路の向こうでたたずむ老婦人へ、伝言を頼んでいる光景に出あった。
 若い警察官は、その依頼を聞き入れ、老婦人に伝言を伝えた。
 老婦人は、こちらを見ながら、何度も頷いた。すると、それを見ていた、傍らの兵士が彼女に歩み寄り、犬でも追い払うように、立ち去るように命じた。
 西ベルリンの人たちは、老婦人の姿が見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも、傘や手を振っていた。寂しく、悲しい光景であった。
 この後、一行は、車で境界線を回った。レンガやコンクリートの壁が、どこまでも続いていた。その壁の前で、じっとたたずむ人びとの姿があった。
 眼前に立ち塞がる壁の高さは、わずか、三、四メートルに過ぎない。取り除こうと思えば、すぐに、壊すことができよう。
 だが、その壁が、自由を奪い、人間と人間を、同胞を、家族を引き裂いているのだ。
 何たる人間の悪業よ!
 人間は何のために生まれてきたのかと、伸一は炎のような強い憤りを感じた。
 ──人間がともに生き、心を分かち合うことを拒否し、罪悪とする。それは、人間に、人間であるなということだ。そんな権利など誰にもあるわけがない。
 だが、壁はつくられた。まぎれもなく人間によって。東西の対立といっても、人間の心に巣くう権力の魔性がもたらしたものだ。
 そして、このドイツに限らず、韓・朝鮮半島も、ベトナムも、分断の悲劇に襲われた。いや、それだけではない。ナチスによる、あのユダヤの人びとの大量殺戮も、あらゆる戦争も、核兵器も、皆、権力の魔性の産物にほかならない。
34  大光(34)
 山本伸一の脳裏に、戸田城聖の第一の遺訓となった「原水爆禁止宣言」がまざまざと蘇った。
 ──あの宣言の精神も、″人間の生命に潜む魔性の爪をもぎ取れ″ということであった。魔性に打ち勝つ力はただ一つである。それは、人間の生命に内在する仏性の力だ。
 仏性とは慈悲の生命であり、破壊から創造へ、分断から融合へと向かう、平和を創造する原動力である。人間の胸中に、この仏性の太陽を昇らせ、魔性の闇を払い、人と人とを結びゆく作業が、広宣流布といってよいだろう。
 車は、再び、ブランデンブルク門を望む、の前に出た。伸一は、もう一度、ここで車を降りた。
 いつの間にか、雨はすっかり上がり、空は美しい夕焼けに染まっていた。
 荘厳な夕映えであった。太陽は深紅に燃え、黄金の光が空を包んでいた。
 それは、緊迫の街に一時の安らぎを与え、心を和ませた。
 一行が夕焼けを眺めていると、近くにいた、ドライバーの壮年が、笑みを浮かべて教えてくれた。
 「こんな美しい夕焼けの時には、私たちは、こう言うのです。『天使が空から降りて来た』と……」
 辺りの塔も、ビルも、そして、閉ざされた道も、ブランデンブルク門も、金色に彩られていた。
 伸一は思った。
 ″太陽が昇れば、雲は晴れ、すべては黄金の光に包まれる。
 人間の心に、生命の太陽が輝くならば、必ずや、世界は平和の光に包まれ、人類の頭上に、絢爛たる友情の虹がかかる……″
 彼は、ブランデンブルク門を仰ぎながら、同行の友に力強い口調で言った。
 「三十年後には、きっとこのベルリンの壁は取り払われているだろう……」
 伸一は、単に、未来の予測を口にしたのではない。願望を語ったのでもない。
 それは、平和を希求する人間の良心と英知と勇気の勝利を、彼が強く確信していたからである。また、世界の平和の実現に生涯を捧げ、殉じようとする、彼の決意の表明にほかならなかった。
 一念は大宇宙をも包む。それが仏法の原理である。
 ″戦おう。この壁をなくすために。平和のために。
 戦いとは触発だ。人間性を呼び覚ます対話だ。そこに、わが生涯をかけよう″
 伸一は、一人、ブランデンブルク門に向かい、題目を三唱した。
 「南無妙法蓮華経……」 深い祈りと誓いを込めた伸一の唱題の声が、ベルリンの夕焼けの空に響いた。

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