Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第3巻 「平和の光」 平和の光

小説「新・人間革命」

前後
40  平和の光(40)
 翌二月十二日、一行はカンボジアを発って、タイのバンコクに入り、ここで一泊すると、十三日には香港に戻った。
 空港では、再びメンバーの代表が出迎えてくれた。
 山本伸一がロビーに姿を現すと、皆、元気に跳び上がって手を振った。
 森川一正が言った。
 「不思議ですね。最初に会った時と比べ、みんな見違えるほど明るく、元気になっている」
 伸一は、すかさず同行の幹部に語った。
 「人間は変わっていく。仏法の指導者というのは、常にみんなを元気にし、生命力を豊かにさせ、希望と勇気を与えていくものだ。
 反対に、皆の生命力を奪い、元気をなくさせていくならば、それは『魔』の働きになってしまう。幹部が自分中心の考え方に陥ってしまうと、この『魔』の働きをするようになる。注意しなければいけない」
 伸一は、笑顔でメンバーの方に歩きかけたが、岡郁代の顔を見ると、急に売店に向かった。
 彼が購入したのは、世界の切手のセットであった。岡の家で行われた座談会の際、岡の息子の趣味が切手集めであることを聞き、プレゼントする約束をしていたからである。
 伸一から、息子あての切手セットを預かった岡の驚きは大きかった。
 彼は、恐縮している岡に言った。
 「今晩は座談会を行うことになっていましたね。今日は、ベテランの理事である、関さんに行ってもらいます。みんなで楽しい座談会にしてください」
 一行は、ひとまずホテルに向かい、荷物を置くと、買い物に出掛けた。日本で留守を守ってくれている同志への土産である。
 夕方、関久男が座談会に出発すると、残ったメンバーで、伸一を中心に、今後の活動の打ち合わせが行われた。
 最初のテーマは、アジアの組織を、いかにつくり上げていくかであった。
 秋月英介が発言した。
 「今回、訪問した地域には、カンボジアを除いて、一応、メンバーがいることは確認されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難しいのではないかと思います」
 すると、森川が頷きながら言った。
 「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全うできるかどうか……」
41  平和の光(41)
 理事たちは、皆、深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
 山本伸一は、微笑を浮かべながら語り始めた。
 「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困っていたのではしようがない。
 森川さんは、三十年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
 「三十年後ですか……」
 森川一正は答えに窮した。
 「私は、たとえば、この香港には、数万人の同志を誕生させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。
 そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
 ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
 だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない。
 まず、具体化しなければならないのが、本部から幹部を派遣し、指導の手を入れることです。これは早い方がよい。世界に先駆け、五月には実施できるようにしてはどうだろうか。メンバーは理事クラスの最高幹部と、東南アジアに近い沖縄の幹部にしよう。
 そして、順次、アジアにも地区を結成していくんです。それも、焦らずに、着実に進めていくことです」
 アジアの組織建設の青写真が、次第に練り上げられていった。
 更に検討課題は、国内の今後の活動に移った。伸一の会長就任一周年となる五月三日までの、詳細なスケジュールが組み上がった。
 検討が終わると、伸一は語った。
 「これでよし。明日、日本に帰ったら、もう一度、理事会で検討し、直ちに戦闘開始だよ」
 既に、彼の心は、日本に飛んでいた。世界の広宣流布を考えるならば、日本に、広布の模範をつくる必要があったからだ。そして、そのためには、まず、最初の目標である三百万世帯を達成し、堅固な基盤をつくり上げなければならなかった。
 伸一は立ち上がり、窓の彼方を仰いで言った。
 「さあ、前進、前進、また、前進だ!」
42  平和の光(42)
 二月十四日は、いよいよ帰国の日であった。
 午前九時過ぎ、岡郁代と平田君江が、一行をホテルに迎えに来てくれた。
 空港に着くと、山本伸一は、出発を待つ間、終始、二人と語り合い、励まし続けた。
 「当面の目標として、香港は百世帯を目指してみてはどうだろうか。
 こういうと、大変なことになったと思うかもしれないが、たいした努力をしなくても達成できるような目標では、皆さんの成長がなくなってしまう。
 困難で大きな目標を達成しようと思えば、御本尊に真剣に祈りきるしかない。そうすれば功徳があるし、目標を成就すれば、大歓喜がわき、信心の絶対の確信がつかめます。だから、目標というのは、大きな方がよいのです」
 伸一は二人に、地区の幹部としての、本格的な訓練を開始していたのである。
 彼は、岡が御書を持っているのを見ると言った。
 「香港の皆さんを代表して、記念に何か揮毫して差し上げましょう」
 そして、こう認めた。
 「妙法に照らされ 世界一の幸福者に」
 岡は、揮毫された御書を抱き締めて言った。
 「先生、今度はいつ、香港に来ていただけるのでしょうか」
 「来年も必ず来ます。再来年もやって来ます。安心してください」
 伸一は、こう言って微笑み、二人と固い握手を交わして、別れを告げた。
 現地時間の午前十一時過ぎ、飛行機は啓徳(カイタック)空港を飛び立った。
 また一つ、恩師との誓いを果たし、アジアに平和の太陽の光を注いだ伸一の心は、晴れやかであった。
 ″この秋にはヨーロッパだ。そして、来年の今ごろは中近東にも足を運ぼう″
 世界の広宣流布をわが使命とする彼の構想は、止まるところを知らなかった。
 一行の乗った飛行機が羽田に到着したのは、午後三時過ぎであった。
 伸一が空港の控室に姿を現すと、大きな拍手がわき起こった。
 「お帰りなさい!」
 「お疲れさまでした!」
 口々にあいさつする代表の幹部たちに、伸一は力強い声で語った。
 「ありがとう。私は、日本の指導にまいりました。
 東洋広布の道標は打ち立てられた。香港の同志も立ち上がりました。
 さあ、今度は広布の大舞台・日本です!」
 獅子吼は轟いた。
 今、新たな日本の大回転が始まろうとしていた。

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