Nichiren・Ikeda
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39 月氏(39)
午後三時三十分。
日達上人の導師で、唱題が始まった。埋納の儀の開始である。
日蓮大聖人の立教開宗から七百余年、その太陽の仏法が、今まさに月氏を照らし、東洋広布の未来への道標が打ち立てられる瞬間であった。
初めに山本伸一が「東洋広布」の石碑を手にした。
彼は、石碑の表を、北東の霊鷲山、日本の方角に向けて、地中に納めた。
続いて、「三大秘法抄」などを納めたステンレスケースが埋納された。
そして、日達上人、山本伸一、同行のメンバーの順に、クワで土がかけられていった。
埋納が終わると、その上に用意しておいた板が立てられ、そこに御本尊を奉掲し、読経が始まった。
方便品に続いて、寿量品に入った。
「一切世間。天人及。阿脩羅。皆謂今釋牟尼佛。出釋氏宮。去伽耶城不遠。座於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。然善男子。我實成佛已來。無量無邊。百千萬億。由佗劫……」
(一切世間の天人、及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏、釈迦氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に座して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり)
このブッダガヤの地での釈尊の成道は仮の姿であるとして、仏の生命の永遠が明かされていく個所である。
その法華経の本門寿量品の文底に秘沈された、南無妙法蓮華経という末法の大法が、月氏に還ったのだ。いよいよ、その大法が旭日となって、東洋を照らし出していくのである。
寿量品の長行に続いて、一閻浮提広宣流布を祈念する「願文」を、日達上人が朗読していった。
「……虔みて宗祖日蓮大聖人御聖教三大秘法抄一巻と並に法華経要品一冊及び記念品として 大石寺域の土を以て焼ける湯呑一個を 今此の伽耶城の霊跡に納め奉る
其の意趣如何となれば 夫れ此の地は大聖釈尊始成正覚の妙域なり 法華経を説きて近成を破し久成を立つると雖も畢竟して釈尊は是れ五百塵点本果脱益の教主なり されば即ち霊山虚空会 法華経神力品の時地涌の大士上行菩薩に寿量文底三秘の大法を付嘱して云く日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅すと云々……」
その声は、厳かに辺りに響いた。
40 月氏(40)
日達上人の「願文」の朗読が続いた。
「茲に於て上行の再誕宗祖日蓮大聖人 本地は久遠元初自受用身 本因下種の本仏として末法日本国に出現し給ひ 三秘の大法を以て普く一切の衆生を利益し給ふ
是等の仔細則ち此の三大秘法抄に顕然なり 然らば本因下種の仏法閻浮に流るべきこと必定なりと云ふべし……」
「願文」は、あの「諫暁八幡抄」の仏法西還を予言した御文をあげ、次のように結ばれていた。
「……この地月氏国印度に到り 東洋広布の魁をなせり 門葉緇素の感激之に過ぐるものあらず
願くは本仏日蓮大聖人 我等が微意を哀愍せられ 一閻浮提広宣流布の大願を成就なさしめ給はんことを
一九六一年 日本国昭和三十六年二月四日……」
再び読経に移り、自我偈を読誦し、題目に入った。
月氏の天地に、朗々たる唱題の声が響き渡った。
山本伸一は、東洋の民衆の平和と幸福を誓い念じながら、深い祈りを捧げた。
埋納の儀式は、やがて、滞りなく終わった。
その時、儀式を見ていた一人の見物人が、伸一たちの方に、静かに歩み寄って来た。チュパと呼ばれるチベットの民族衣装を身にまとい、頭にターバンに似た布を巻いた老人であった。
老人は、てのひらに花びらを捧げ持ち、一行の前まで来ると、深く頭を垂れ、それを大地に散らし、手を合わせた。予期せぬ散華の儀式となったのである。
今ここに、仏法西還の先駆けの金字塔が打ち立てられた。
伸一は、戸田城聖を思い浮かべた。彼の胸には、恩師のあの和歌がこだましていた。
雲の井に
月こそ見んと
願いてし
アジアの民に
日をぞ送らん
この歌さながらに、空には太陽が輝き、そびえ立つ大塔を照らし出していた。
彼は、恩師への東洋広布の誓願を果たす、第一歩を踏み出したのである。
アジアに広宣流布という真実の幸福と平和が訪れ、埋納した品々を掘り出す日がいつになるのかは、伸一にも測りかねた。
しかし、それはひとえに彼の双肩にかかっていた。
″私はやる。断じてやる。私が道半ばに倒れるならば、わが分身たる青年に託す。出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ″
月氏の太陽を仰ぎながら彼は心で叫んだ。