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日蓮大聖人・池田大作

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第2巻 「勇舞」 勇舞

小説「新・人間革命」

前後
45  勇舞(45)
 戸田城聖は、牧口常三郎の死について語ると、いつも、最後に、阿修羅のごとく、言うのであった。
 「私は必ず、先生の敵を討つ! 今度こそ、負けはしないぞ。
 先生の遺志である広宣流布を断じてするのだ。永遠に平和な世の中をつくるのだ。そして、牧口先生の偉大さを世界に証明していくのだ。伸一、それが弟子の戦いじゃないか」
 戸田は、恩師牧口の命を奪った″権力の魔性″に対する怒りと闘争を忘れなかった。邪悪への怒りを忘れて正義はない。また、悪との戦いなき正義は、結局は悪を温存する、偽善の正義に過ぎない。
 山本伸一は、牧口常三郎の第十七回忌法要の席にあって、戸田がいかなる思いで、牧口の法要に臨んできたかをしのぶのであった。
 焼香、牧口門下の代表のあいさつに続いて、山本伸一がマイクの前に立った。彼は、静かに語り始めた。
 「戸田先生を私どものお父様とするなら、牧口先生はお祖父様であります。つまり、戸田門下生は孫弟子にあたります。孫弟子の私は牧口先生にお目にかかることはできませんでした。しかし、その高潔な人柄、そして、社会の救済に立ち上がられた尊きご精神については、戸田先生から常々お聞きしてまいりました。
 牧口先生亡き後は、戸田先生が死身弘法の大精神をそのまま受け継ぎ、国のため、法のため、人々の幸福のために、苦闘に苦闘を重ねられ、今日の創価学会を築いてくださいました。
 私は、この偉大なる先師牧口先生、恩師戸田先生のあとを継いで、第三代会長に就任いたしましたが、余りにも未熟でございます。
 しかし、一日一日を、ただ、ただ誠心誠意をもって戦い抜き、両先生にお応えしていこうとの思いでいっぱいでございます。
 創価学会には、初代会長の大精神が、力強く脈動しております。牧口先生は、かつて『宗教改革造作なし』と叫ばれましたが、今や、宗教革命は眼前にあり、先生の仰せのごとく、広宣流布の桜の花は、爛漫と咲き始めております。
 力のない私でございますが、本日の法要を契機に、また覚悟を新たにし、どんな苦難も厭わず、牧口先生の理想を実現してまいる決意でございます」
 烈々たる誓いであった。
 伸一は、話し終わると、会場の最前列にいた牧口の孫娘を見た。牧口の三男の蓉三の娘・蓉子である。牧口が逮捕される三年半ほど前に生まれた孫であった。
46  勇舞(46)
 牧口常三郎が逮捕された時、三男の蓉三は、徴兵され、中国にいた。牧口は、蓉三には自分の逮捕を知らせぬよう家族に指示した。そして、牧口逝去の二カ月半前の八月三十一日、蓉三は戦病死している。父・常三郎の逮捕を知らぬままの死であった。
 孫の蓉子は、四歳で父と祖父を亡くしたのである。山本伸一は、その彼女が、結婚することになったという報告を聞いていた。
 伸一は言葉をついだ。
 「なお、牧口先生のお孫さんである蓉子さんが、明後日、結婚式を挙げる運びになっております。最も先生が愛情を注がれた、血の通った方でございます。
 本日は清原婦人部長の指揮で、皆で『黎明の歌』を歌って、蓉子さんの前途を祝福したいと思います」
 清原が立つと、伸一は蓉子にも立つように促した。清原は「黎明の歌」の冒頭の一節を歌い始めた。
 「ああ若き血は 燃えたぎる」
 続いて、皆が唱和した。
 この歌は学会の青年たちに愛唱されていた歌で、恩師の心を胸に、日本、世界の広宣流布に馳せる若人の心意気を歌ったものだ。
 清原の横に立つ、まだ少女の面影を残す蓉子のに涙が光った。
 伸一が、「黎明の歌」の合唱を提案したのは、蓉子に牧口の孫娘として、その遺志を受け継ぎ、学会員の誇りを胸に、生涯を広宣流布に生き抜いてほしかったからである。
 孫娘の祝福の場となった牧口の法要は、さわやかな感動のなかに幕を閉じた。
 伸一は、この日のあいさつでは、多くを語らなかったが、彼の胸には、新たな誓いの火が燃えていた。
 それは、先師牧口の遺志である広宣流布を成就するためにも、まず三百万世帯を達成することであった。
 また、現代に人類の救済の光を投じた牧口を、永遠に世界に顕彰しゆくことであった。特に、牧口が日も当たらぬ獄舎で、寒さにさいなまれながら秋霜の季節に逝去したことを思うと、風光明媚な温暖の地に、彼の遺徳を称える記念の園を開設したいと思った。更にいつの日か、牧口の名を冠した学会の中心となる会館を建設しようと決意した。
 そして、牧口の創価教育を実証する総合的な教育機関の、一日も早い開設を深く心に期したのである。
 法要を終えて、伸一が外に出ると、晩秋の夜風は冷たかった。彼は、火柱のごとく燃え盛る、先師への誓いを胸に、木枯らしの道をさっそうと歩き始めた。

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