Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第2巻 「先駆」 先駆

小説「新・人間革命」

前後
38  先駆(38)
 「健児之塔」は、「鉄血勤皇隊」として部隊に配属された十五歳から十九歳の学徒隊の慰霊塔である。
 彼らは、伝令や、食糧調達の任務を負わされ、砲爆撃のなかを奔走した。従軍した男子生徒のうち、約半数が戦死している。
 しかも、これらの学徒隊は、法的な根拠もないままに、組織されていったのである。
 山本伸一は、人々が身を隠したという洞窟や、いくつかの慰霊碑を見た後、摩文仁丘に立った。
 切り立った断崖の向こうには、青く澄んだ瑚礁の海が広がっていた。
 太陽の光を浴びて、岸の緑は鮮やかに映え、海の彼方は、銀色に輝いていた。
 この美しい島で、わずか十五年前に、凄惨な地獄絵が展開されていたかと思うと、無残さは、なおさらつのった。
 「戦争は悲惨だな……」
 伸一は、誰に語るともなく、しみじみとした口調で言った。
 彼は、生前、恩師戸田城聖が、「もう、二度と戦争を起こしてはならん。そう誓って、私は敗戦の焼け野原に一人立ったのだ」と、しばしば語っていたことを思い起こしていた。
 まさに、戸田の生涯は、その戦争を遂行しようとする権力の魔性との、壮絶な闘争であった。
 信教の自由を貫き、正法正義を守り抜いたがゆえの二年間にわたる獄中生活。過酷な軍部政府の弾圧は、彼の体を衰弱の極みにいたらしめたのみならず、敬愛してやまぬ恩師牧口常三郎の命をも奪った。
 そして、出獄した彼は、焼け野原に立って、「大悪をこれば大善きたる」と、御聖訓に照らして広宣流布の時の到来を自覚したのである。
 彼の起こした戦いは、人間の生命の魔性の爪をもぎとり、一人一人の胸中に平和の砦を打ち立てる戦いであった。
 その波は、一波が万波を生むように、戸田の晩年には、彼の念願であった七十五万世帯の民衆の平和のうねりとなって、日本全国、津々浦々にまで広がったのである。
 その戸田の遺訓が、逝去の前年の九月八日、横浜・三ツ沢の競技場で発表された「原水爆禁止宣言」であった。
 彼はこの宣言で、世界の民衆は生存の権利をもっており、原子爆弾を使用するものは、それを脅かす魔もの、サタンであると断じ、その思想を、全世界に広めゆくことを、青年たちに託したのであった。
39  先駆(39)
 今、戸田城聖の起こした平和の大潮流は、慟哭の島・沖縄にも波の花となって広がり、友の歓喜は金波となり、希望は銀波となったのである。
 山本伸一は、その恩師の偉業を永遠に伝え残すために、かねてから構想していた、戸田の伝記ともいうべき小説を、早く手掛けねばならないと思った。
 しかし、彼には、その前に成さねばならぬ誓いがあった。戸田の遺言となった三百万世帯の達成である。伸一は、それを恩師の七回忌までに見事に成就し、その勝利の報告をもって、恩師の伝記小説に着手しようとしていた。
 戸田は「行動の人」であった。ゆえに弟子としてその伝記を書くには、広宣流布の戦いを起こし、世界平和への不動の礎を築き上げずしては、恩師の精神を伝え切ることなどできないと彼は考えていた。文は人である。文は境涯の投影にほかならないからだ。
 伸一は、恩師の七回忌を大勝利で飾り、やがて、その原稿の筆を起こすのは、この沖縄の天地が最もふさわしいのではないかと、ふと思った。
 彼の周りに、見学を終えた友が集まって来た。
 伸一は語りかけた。
 「かつて、尚泰久王は、琉球を世界の懸け橋とし、『万国津梁の鐘』を作り、首里城の正殿に掛けた。沖縄には、平和の魂がある。その平和の魂をもって、世界の懸け橋を築く先駆けとなっていくのが、みんなの使命だよ」
 高見福安が答えた。
 「必ずそういたします。沖縄はアメリカの統治下にあるので、海外に行く手続きは本土より簡単なため、世界に羽ばたこうとしている人がたくさんいます。また、基地に働くアメリカ人で、信心する人も増えております」
 「そうか。そこからまた広がっていくね。沖縄は広宣流布の″要石″だ。この美しき天地を、永遠の平和の要塞にしていこう。
 仏法には三変土田という原理がある。そこに生きる人の境涯が変われば、国土は変わる。最も悲惨な戦場となったこの沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのが私たちの戦いだ。やろうよ、力を合わせて」
 「はい!」
 決意を込めた友の声が、潮騒のなかに響いた。
 伸一は、ニッコリと頷くと、彼方を仰いだ。
 ここに、新しい沖縄の、輝く未来への歴史のページが開かれたのである。
 それは、″汝自身″の使命を自覚した人間による、民衆のための平和と文化を創りゆく戦いの始まりであった。
 彼は、沖縄の天地に、生命の世紀の太陽が昇るのを見る思いであった。

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