Nichiren・Ikeda
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36 開拓者(36)
翌二十四日は、いよいよ帰国の日であった。
一行は、午前十一時過ぎに空港にやってきた。
ロビーには、四、五十人のメンバーが見送りに来ていた。
山本伸一の周りに幾重にも人垣ができ、歓談の輪が広がった。
「先生、また、アメリカに来てください」
若い婦人が、名残惜しそうな顔をして言った。
「来ますよ。皆さんが幸せになるまで、何度でも来ます。その代わり、来年は皆さんが日本に来てください。そこで、また、お会いしましょう。
その時は、幸福になった姿のお土産をください。皆さんが功徳をたくさん受け、幸せになったという体験が、私には最高のお土産なんです」
明るい語らいが弾んだ。
伸一は、皆に飲み物を振る舞った。彼は、男子部のロスの中心者になった、留学生の中原雄治を見ると、笑顔で言った。
「アメリカの青年の、栄光の未来のために乾杯だ」
ジュースで愛する青年部の前途を祝った。
その和やかな語らいを、人垣の一番後ろで、浮かぬ顔でながめている婦人がいた。カズコ・エリックであった。
彼女は、支部結成式となった、あの座談会の夜は、泣きじゃくりながら家に帰った。
──私は、これまで一番頑張ってきたはずだ。それなのに、婦人部長になれないなんて……。
エリックは、そう思うと、悔しくて仕方なかった。家に着いても、何もする気にならなかった。心はいつまでも高ぶり、気持ちの整理がつかないのだ。
彼女は、ともかく御本尊様に、自分の胸の内を聞いてもらおうと思った。唱題が始まった。
初めは無性に涙があふれて止まらなかったが、題目を唱えると、次第に心は平静さを取り戻していった。
山本会長の指導が、彼女の胸に蘇ってきた。冷静に考えていくと、婦人部長になれないからといって、いじけてしまうのは、確かに信心ではなく、名聞名利であったことに気づいた。
すると、今度は、自分の態度が悔やまれた。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。翌日も、食事が喉を通らなかった。
──どうしよう。素直に謝れば、先生は許してくださるだろうか。でも、たとえ許してもらえなくても、先生にお詫びだけはしなくては……。
エリックは、そう心に決めて、空港にやって来たのであった。
37 開拓者(37)
カズコ・エリックは、山本会長に、非を詫びる機会をうかがっていた。
しかし、気後れがして、言うチャンスが見つからなかった。
伸一は、ロビーのイスに腰掛け、メンバーが差し出す書籍やノートに、次々と激励の揮毫をし始めた。
──どうしよう。言い出せない。……でも、今、謝らなかったら、きっと、一生、後悔するわ!
彼女は意を決して、伸一に声をかけた。
「先生! ……」
伸一の視線がエリックをとらえた。
「ごめんなさい! 素直になれなくて、申し訳ありませんでした」
彼女は、頭を下げると、怖々とのぞきこむように、伸一の顔を見た。彼の顔に優しい微笑が浮かんだ。
「そうだよ。信心は素直であることが大事だ。純真に信心を続けた人が、最後は必ず勝つんだからね」
「はい! 頑張ります」
エリックは嬉しかった。に大粒の涙が光った。
そして、思った。
──そうだ、私も揮毫していただこう。
彼女は、手にしていた書籍を、伸一の前に差し出して言った。
「先生、私にも何か書いてください」
「しようがないな。あなたが最後だよ」
彼は、さらさらとペンを走らせた。
「勇猛精進 伸一 十月二十四日 於 ロス飛行場」
それから伸一は、婦人部長になったキヨコ・クワノを呼んだ。
「クワノさん、エリックさんと仲良くやっていくんだよ。二人は、きっと、久遠からの姉妹なんだ。
二人が力を合わせれば盤石な組織になる。そして、世界一、仲の良い支部をつくっていくんだよ。期待しているからね」
「はい!」
二人の声が、相和してロビーに響いた。
伸一は、ニッコリ笑って頷いた。
「先生、間もなく搭乗の時刻です」
秋月英介が告げた。
伸一は立ち上がると、皆に向かい、頭を下げた。
「お忙しいなか、お見送りいただき、ありがとう。また、お会いしましょう。日本でお待ちしています。お元気で!」
メンバーは、伸一を拍手で送った。
そよ風が凍てた大地の眠りを覚まし、春の到来を告げるように、伸一は、友の心に希望の光を注いで、足早に去って行った。
38 開拓者(38)
山本伸一の一行が乗った日本航空八一一便は、午後一時四十五分、ロサンゼルスを発ち、ハワイを経由した後、一路、東京を目指して飛び続けた。
機内放送は、午後九時三十五分の羽田到着が、一時間余り遅れることを告げていた。時刻は、間もなく、日本時間の十月二十五日の午後十時半になるところだった。
伸一は、深くシートに身を沈め、目を閉じた。彼をさいなみ続けた発熱も、下痢も、幸いに止まっていたが、彼の肩は凝り固まり、首筋も、腰も痛かった。しかし、彼は、生命を燃焼し尽くし、自らの使命を果たした、心地よい疲労を覚えていた。
思えば、十月二日に日本を発ち、二十四日間のうちに三カ国九都市を巡るという、強行スケジュールであったが、二支部十七地区の結成をみたのである。南北アメリカに、広宣流布の黄金の種は下ろされたのだ。
伸一は思った。
──戸田先生も、私の戦いを、きっと、お喜びくださっているにちがいない。
伸一の胸に、恩師の顔がありありと浮かんだ。
──さあ、今度はいよいよアジアだ。先生が「雲の井に月こそ見んと願いてし
アジアの民に日をぞ送らん」と詠まれたアジアに、燦々と、平和と幸福の光を注ごう。
この時、既に翌年一月末からのインド、ビルマ(現ミャンマー)、タイ、セイロン(現スリランカ)、カンボジア、香港への平和旅が決定していたのである。
──更に、次はヨーロッパ、その次は中近東だ。
彼の世界広布への夢は、限りなく広がっていった。そして、その構想を果たすうえでも、すべての基盤となる日本各地の組織の建設に、全魂を注がなくてはならないと思った。
伸一が成さねばならない課題は山積していた。行事も、翌週からは、関東、中部、甲信越、北陸の各支部の結成大会をはじめ、男女青年部の総会などが待ち受けていた。
彼は、三十二歳の若さであったが、一生という限りある時間のなかで、自らが成すべき仕事を考えると、人生はあまりにも短く感じられてならなかった。
今、旅は終わろうとしていた。しかし、伸一にとって、この旅は、果てしなき平和への遠征の始まりであった。
彼は、満々たる闘志を胸にたぎらせ、固くを握り締めた。
下降し始めたジェット機の窓の下には、街の灯が、まばゆく輝いていた。広宣流布の本陣・東京の街の明かりであった。