Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1巻 「新世界」 新世界

小説「新・人間革命」

前後
31  新世界(31)
 一行の乗った車は、鬱蒼と木々の生い茂る森の前で止まった。
 ミューア・ウッズ国定公園の入り口である。
 園内に入ると、入り口の近くに、コースト・レッド・ウッドの巨木を輪切りにした断面が展示してあった。直径二メートルほどの大きな断面である。
 そこには、年輪がびっしりと同心円を描いて刻まれていた。そのところどころに、「五百年」「千年」……と生長過程が表示してあった。
 一行は展示された巨木の輪切りを叩いて、硬度を調べたり、乾燥による亀裂の入り方などを丹念に見ていった。
 そして、木陰でオニギリの昼食をとった。賑やかな食事が終わりかけたころ、公園の係員がやって来て、英語でまくしたてるようにしゃべり始めた。
 すると、ポール・テーラーが立ち上がり、大きな声で応じた。
 正木永安が、そのやりとりを伸一に教えた。
 「係員は、この場所は飲食をしてはいけないところなので、移動するように言ってきたのです。
 それに対して、ミスター・テーラーは『わかった。私たちは知らなかった。すぐに移動します』と答えたあと、先生のことを説明しております。
 ──ところで、あなたは日本の創価学会の会長である、山本伸一先生を知っていますか。あそこにいる方がそうです。偉大な仏法の指導者だ。あの方に会えたことは、あなたにとっても非常に光栄なことだ。
 こう言っているのです」
 皆、苦笑してしまった。
 「さすが地区の顧問ですな。自覚が違うね。これは、学会員以上に頼もしい。たいしたものだ」
 山平忠平が言うと、爆笑が起こった。
 食事をすますと、一行は園内を散策した。
 巨木の間を縫うように遊歩道が走り、辺りは昼なお暗く、森閑としていた。
 周囲に林立する木々の多くは、展示されていた輪切りの断面から考えると、樹齢千年を、はるかに超えていることになる。日蓮大聖人 の御在世当時から、既に、ここにそびえ立っていたのであろう。
 伸一には、これらの木々が、アメリカ大陸に妙法の太陽が昇る日を、ひたすら待ちわびてきたように思えてならなかった。
 一陣の風に、深緑の葉がそよいだ。
 それは世界広布の朝の到来に、喜びに震えているようにも見えた。
32  新世界(32)
 ミューア・ウッズ国定公園の帰途、一行は、サンフランシスコ湾を見下ろす、「テレグラフ・ヒル」と呼ばれる丘の上に立った。
 サンフランシスコには珍しく、霧も晴れ、彼方には、夕日を浴びた海が光っていた。ゴールデン・ゲート・ブリッジやベイ・ブリッジも手にとるように見渡すことができた。
 メンバーは、秋のさわやかな風に吹かれながら、眼前に展開される大自然のパノラマに息を飲み、眺望を楽しんだ。
 丘の頂には、消防用ホースの筒先に似た、コイト・タワーが建っていた。サンフランシスコを愛し続けた富豪のリリー・ヒッチコック・コイト夫人によって、建てられた塔である。
 そのすぐ下の広場の中央に、長いマントを羽織り、胸に十字架をつけた一体の銅像があった。
 「あれは、誰の銅像なんだろう」
 山本伸一が言うと、正木永安が、銅像の台座に書かれた文字を見にいった。
 「山本先生、クリストファー・コロンブスです。アメリカ大陸を″発見″したといわれる、あのコロンブスです」
 コロンブスが、イタリアのジェノバの出身とされるところから、イタリア系の市民によって、一九五七年の十月十二日に建てられたものであるという。
 コロンブスが、アメリカ大陸到達の端緒となるバハマ諸島のワットリング島に上陸したのは、一四九二年の十月十二日のことであるから、その四百六十五周年に建造されたことになる。
 「十月十二日といえば、大聖人の大御本尊の建立と同じ日だね……」
 つぶやくように伸一が言った。その声には、深い感慨がこめられていた。
 もともとコロンブスの旅は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に、大陸の東の海上一、五〇〇マイルにある黄金の島「シパング」として記された、日本を目指しての旅であった。
 日本を黄金の国として紹介したマルコ・ポーロが、アジアに滞在していた一二七九年(弘安二年)、日蓮大聖人は日本にあって、一閻浮提総与の大御本尊を御図顕されたのである。
 実際の日本は、マルコ・ポーロが口述したような、黄金に輝く財宝の国ではなかった。
 しかし、大聖人の大御本尊の御図顕によって、全人類の幸福と平和を実現しゆく、大仏法の黄金の光が、アジアの東のこの島から、世界に向かって放たれたのである。
33  新世界(33)
 「シパング」に魅せられたコロンブスが、サンタ・マリア号、ニーニャ号、ピンタ号の三隻の帆船を連ね、スペインのパロスの港を出たのは、一四九二年八月三日の早朝であった。
 カナリア諸島を経由し、大西洋を突き進むこと七十一日、十月十二日に彼はワットリング島を見つけ、上陸した。
 大聖人の大御本尊の建立から二百十三年後の同じ日である。山本伸一は、そこに何か不思議な因縁を感じた。
 コロンブスが「サンサルバドル(聖なる救世主)」と名づけたその島は、彼が目指した「シパング」でも東洋でもなかった。そこは西洋人にとって、未知の新世界アメリカであった。
 しかし、これが、世界の歴史を画する、大航海時代の新たな一ページを開いたのである。
 コロンブスの到達の日から、今、四百数十年の歳月が流れようとしている。
 彼の航海は黄金を求め、植民地を求めての旅であった。一方、アメリカの先住民にとっては、それは侵略にほかならなかった。
 しかし、伸一の旅はヒューマニズムの黄金の光を世界にもたらす平和旅である。それは、世界の広宣流布への、大航海時代の幕開けであった。
 コロンブス像の前で、伸一たちの一行は記念のカメラに納まった。
 記念撮影が終わると、伸一はコロンブス像を見上げながら言った。
 「私たちは今、コロンブスと同じように、アメリカに第一歩を印した。
 しかし、私たちのなそうとしていることは、コロンブスをはるかにしのぐ大偉業だ。この地球に、崩れざる幸福と永遠の平和という新世界をつくろうとしているのだ。
 やがて二十年、五十年、百年とたつにつれて、きょうという日は、必ずや歴史に偉大な意義をとどめる記念日になるだろう……」
 皆、厳粛な思いで伸一の言葉を聞いた。
 しかし、その言葉の意味を実感するには、まだ長い歳月を待たなければならなかった。
 伸一は、海のはるか彼方を、じっと見つめた。
 赤い夕日のなかに、髪を風になびかせて立つ、彼のシルエットがくっきりと浮かんだ。
 伸一は、しばし動かなかった。彼は、己心の恩師戸田城聖に語りかけていた。
 「先生! 伸一は、先生のお言葉通り、新世界の広布のを開きました」
 降り注ぐ太陽の光を浴びて、彼の顔は、金色に燃え輝いていた。

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