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日蓮大聖人・池田大作

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歴史との語らい 歴史観を養え 歴史の真実を見抜け!

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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12  歴史を先取りする眼
 ―― 池田先生は、まだ世間では日中問題がむずかしい時期に、いち早く国交の正常化を提言されました(一九六八年九月)。まさに先見の明だと思います。
 また、冷戦時代から、ソ連との友好の道を開いたり、「中ソは絶対に仲よくなる」と早くから予見して行動されたり、そのように歴史を先取りする眼は、どうしたら、もてるのでしょうか。
 池田 ひとことでは言えないが、根本は「民衆への信頼」を手ばなさないことではないだろうか。
 歴史の主役は民衆です。民衆の意識、動向、願いというものは、長い目で見た時に、何ものよりも強い。
 マハトマ・ガンジーの信念もそうです。「私は失望すると、いつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいる。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている」と。((c)1982 CAROLINA BANK LTD.AND NATIONAL FILM DEVELOPMENT CORPORATON,LTD.ソニー・ピクチャーズエンターテインメント。脚古本=J・ブライりー、字幕翻訳=野中重雄)
 ゆえに「民衆の意識を変える」ことが、歴史をつくる根本の作業となる。
13  青年が「差別の意識」を変えた
 池田 たとえば、アメリカの黒人が平等を勝ち取る闘争に、ランチ・カウンターの座り込み運動があった。一九六〇年、ノースカロライナ農工大学の黒人学生四人が始めた運動です。
 「ランチ・カウンター」とは、バス・ターミナルや大きな雑貨店などの一角に設けられた、カウンター式の軽食堂。当時、こうした場所は「白人専用」とされ、黒人は排除されていた。
 これに憤った四人の黒人学生が、ある店で、あえてカウンター席にすわり、コーヒーとドーナツなどを注文した。すると、店長はこれを認めず、周囲の群衆からは、さまざまな侮蔑の言葉が投げつけられ、暴力さえ加えられた。
 それでも四人は耐え、「座り込み」という非暴力の方法で、人種差別への抵抗を貫いた。
 閉店時間には店を出て、次の日にまた来店し、座り込み。そうした行動が共感を呼び、白人の学生も加わって、多くの学生が各地のランチ・カウンターで運動を展開した。
 一年半ほどで、その数七万人。退歩された学生らも三千六百人にのぼったという。
 平等の権利、平等の社会を求め、わずか四人の青年から始まった勇気と信念の運動は、人種差別の撤廃を着実に前進させていったのです。(本田創造『アメリカ黒人の歴史』岩波新書を参照)
 ―― 私たちも、負けないで「新しい歴史」をつくっていきます。
14  二十一世紀の「人類史」を諸君が!
 池田 青年がやる以外にない。″日本の歴史は、民衆の泣き寝入りの歴史である″(『丸山真男集』4,岩波書店、要旨)といわれる。これを絶対に変えなければいけない。
 そのためには、何が「うそ」で、何が「真実」なのかを見破る英知がなければならない。そして何があっても真実を叫ぶ「精神的勇気」がなければいけない。
 私もお会いしたことがある、フランスの名ジャーナリスト、ロベール・ギラン氏は、戦争中も日本にいて身近で日本人を観察していた。その一つの結論として、なぜ戦争が止められなかったのか、それは日本人に「肉体的勇気」はあっても「精神的勇気」が欠けていたからだ、と。また″真理を尊重する″重要な徳が欠けていた、と。だから、ずるずると皆が悪の力に引きずられていったというのです。(ロベール・ギラン『日本人と戦争』根本長兵衛・天野恒雄訳、朝日新聞社、参照)
 諸君は新しい時代の新しいリーダーです。これからの「地球時代」に、まったく新しい「人類一体の歴史」をつづっていかなければならない。
 一人の力は小さく思えるかもしれない。しかし「時を得た思想ほど強いものはない」(ユゴー)。
 歴史はヒューマニズムの拡大に向かって進む。紆余曲折を経ながらも、大局的には、必ず、その方向に向かうと私は信じている。ゆえに、人類が求める人間主義の哲学をもった諸君こそが、歴史を切り拓く「最先端」にいるのです。

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