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日蓮大聖人・池田大作

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青春の悩み、青春の希望 目の前の山に登れ! あせらず、自分らしく

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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16  今がどうあれ、人生の勝負は一生で決まる
 ―― 「親が家を出ていってしまった」とか、家にいたとしても「自分のことなんか愛していない。親は親で勝手にやっている」と訴える人もいますが。
 池田 それぞれの家庭に、それぞれの事情があると思う。本人にしかわからない苦しみがあるでしょう。ただ、一つ言えることは、どんな親であっても、親は親です。親がいなければ自分は存在しない。この一点だけでも、重大な意味があることを理解しなければならない。
 どうして自分は、この家に生まれてきたんだろう。どうして、ほかの人のように、もっと両親が優しいうちじゃなかったんだろう。どうして、もっと立派な家で、もっといい家族に恵まれて生まれてこなかったんだろう。こんな家なんか出たい。そう思う人もいるかもしれない。しかし、自分は、この地球上の、この地の、この家に生まれてきた。ほかの、どの家にも生まれなかった。そこにすべての「ありとあらゆる意味」が含まれている。仏法に偶然はない。必ず意味がある。だから、「ありとあらゆる宝」を自分は与えられたと思うべきです。
 どんなに苦しくても、自分は今、「生きている」。生命以上の宝はありません。まして諸君は若い。若き生命という宇宙でいちばんの財宝を授かっているのです。その宝を、やけになって自分で壊したり、ゆがめてはいけない。
 ―― 「自分が太陽になる」……そのためには、どうしたらいいのでしょうか。
 池田 決して特別のことではない。自分らしく、少しずつでもいい、毎日、題目をあげていくことが根本です。題目をあげれば、生命に太陽が昇り始めるのです。そして、太陽が毎日、昇るように、お母さんが毎日、食事を作ってくれるように、何とか努力をしていこう、勉強していこう、学校へ行こうという気持ちが大事です。ここに一つの大切な教育がある。
 自分がすべきことを放棄することは負けです。放棄してはいけない。太陽は毎日、昇る。曇りの日も、嵐の日も、冬でも夏でも、太陽は毎日、繰り返し昇る。それが宇宙の法則です。道理です。人生も毎日を生き抜いていかなければならない。それが道理です。その繰り返しに耐えられた人が勝つ。今がどうであれ、人生の勝負は一生で決まるのです。野球も、九回が終わってから決まる。何でも勝負は終わるまでわからないものだ。初めでは決まらない。英語にも「最後に笑う者がいちばんよく笑う(He laughs best who laughs last)」という、ことわざがある。
17  人に頼るな、人のせいにするな
 池田 だから、苦しみながら前へ前へ進むことです。前にもお話をさせていただいたことがあるが、かつて『私の人生観』(本全集第一八巻収録)を執筆した時のことです。
 昭和四十五年(一九七〇年)ごろで、当時、学会は嵐の中にあった。私自身も肺炎をわずらい、三八、九度の高熱に苦しんだ。しかし、そのなかでも、何があっても、毎日、原稿を書いた。アイスノンを頭に巻きながら、一枚一枚書いていった。
 ある人が言った。「どうして、そんなに苦しいのに書くのですか」
 「いや一枚でも書けば、一枚書いたことになる。二枚書けば二枚書いたことになる。何も書かなければ何も進まない。少しでも前進しなくてはならないし、挑戦しなくてはならない。一日のうちに何かやっておきたいんだ」と言って、一枚書くと一本線を引き、二枚書くとまた一本線を引き、「正」の字で記録していった。そうやって原稿を完成させた思い出は忘れられない。「正」の字を記録した紙は、我が家の宝として、長男に渡しました。
 要するに、「負けない」ことだ。「自分が強くなる」ことだ。人に頼る根性、人に責任を押しつける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分です。
 どんな悩みがあっても、それをバネにし、じっと我慢し、こらえて、「今に見ろ」と自分を励まして進むのです。行くべき自分の軌道を、黙々と、忍耐強く進んでいくのです。
 君が「太陽」なのです。あなたが「太陽」なのです。まず、そう決めることです。自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない。「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。

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