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日蓮大聖人・池田大作

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妙法の陰徳陽報 (第31回)

2009.12.18 「御書と師弟」

前後
3  前へ前へ永遠に前へ
 私は、戸田城聖先生が最も苦難に立たれた時、師子奮迅の力でお仕えし、お護りしました。それは死闘でありました。当時の日記にこう記しております。
 「毎日、地味な、誰人にも知られぬ仕事。これが大事だ。自分の振る舞いを、満天下に示すのは、時代が決定するものだ」
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 師弟の労苦に、少しも無駄はありません。全部、不滅の宝となり、栄光となっていきます。
 大変であればあるほど、自分が率先して祈り動く。誰よりも苦労して、勝利を開いてみせる。その決定けつじょうした「不惜身命」の信力・行力に、偉大な仏力・法力が現れるのです。
 広布も人生も真剣勝負です。油断や逡巡、要領や狡さがあれば、戦いは勝てません。
 昭和31年の大阪の戦いの折、私は早朝から全身全霊の指揮を執りました。
 一人一人の友を誠心誠意、励まし、大阪中を隅から隅まで駆けずり回りました。そして深夜は、ただ一人、丑寅勤行を続けました。
 もともと「絶対に不可能」と言われた戦いです。しかし「戸田先生のために断じて勝たせてください」と、私は祈って祈って祈り抜きました。打てる手は、すべて打ち尽くしました。
 丑寅勤行のことも誰も気づかなかった。だが御本尊は御照覧です。その陰徳に無量無数の仏天も応えて「”まさか”が実現」の陽報が厳然と現れたのです。
 学会活動に徹し抜いた功徳は絶大です。その功徳は、足し算ではなくて、いわば掛け算のように溢れ出てくる。これが一念の力であり、妙法の法則であり、勝利の方程式です。広布の責任を担い立つ行動は計り知れない威光勢力を広げます。
4  祈りの宝刀で開け!
 古来、「陰徳陽報」とは、真面目に生きゆく人々の切実な願望であったといってよい。現実は複雑であり、健気な努力が報われない場合があまりにも多いからです。まして、人々の生命が濁った時代は、むしろ正義の行動が反発される。陽報が現れない。ここに人間社会の宿命的な矛盾がある。
 これに対して、妙法を根底とした「陰徳」は必ず「陽報」となって輝きます。仏法には「内薫外護」の法理があるからです。これも、戦う四条金吾に示された深義であります。
 「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候」、「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり
 「内薫外護」とは、私たちの生命に内在する仏性が内から薫発し、外から自分を守り助ける働きとなることをいいます。つまり「陰徳」によって自身の仏性を輝かせることで、必ず外護の働きを招き、「陽報」を現していくことができるのです。
 妙法の「陰徳陽報」とは、自らの内なる一念の力で、外界の状況も揺り動かして勝っていく「生命の法則」なのです。
 戸田先生は言われました。
 「妙法の功徳は目に見えないうちに大きくなってくる。胸に植えた仏の種は必ず大樹になる。いったん、そうなってしまえば、その時には”もう功徳はいらない”と言っても、どんどん出てくるんだ」
 私のもとには、この厳しい不況と戦いながら、崇高なる「陰徳」を積まれゆく同志の報告が次々と届きます。
 「必ず勝ちます!」「見ていてください!」。私は妻とともに懸命に題目を送り続ける日々です。断固として「陽報」を勝ち取ることを祈っています。
 私が対談した、アメリカのカズンズ博士は「希望こそ私の秘密兵器」と語られました。
 「陰徳陽報」の妙法は、究極の希望の力です。勝利の力です。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ
 何があっても題目を唱え抜きながら、永遠に崩れざる幸福の大境涯を開き切っていく。祈りは「宝刀」です。これに優る陰徳はありません。これが、妙法の「陰徳陽報」です。
 大聖人は、絶え間なく金吾に励ましを贈り続けられた。これが仏の振る舞いであられる。
 トインビー博士は、北海道の青年教育者に言われました。
 「人々が『ありがとう』という言葉を、昨日よりもきょう、 一回でも多く交わすような人間社会の創造に努力してほしい」
 陰で苦労する人に、最敬礼して感謝と労いの声をかける。喜びが広がり、力は倍加する。ここに、創価の世界があります。
 さあ創立80周年へ! 共々に励まし合い、偉大な「陰徳陽報」の勝利の金字塔を、痛快に打ち立てようではありませんか!
  晴ればれと
   この世勝ち抜き
    三世まで
   我らの生命《いのち》は
    不滅の功徳と

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