Nichiren・Ikeda
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生命の勝利の王道
(第30回)
2009.11.8 「御書と師弟」
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3 大難に奮い立て!
古来、法華経を読んだ人は多かった。しかし、大聖人ほど、法華経に説かれている通りに、大難を受けられた方はおりません。
御書には、「法華経を持《たも》ち実践しているといっても、実際に敵が出現していないのであれば、仏の言葉は虚妄になってしまう」(御書386㌻、趣意)とも綴られています。
仏法を語れば必ず難にあう。悪世の中で、真実を語り抜くほどの難事はありません。
大聖人は、千日尼を励まされました。
「仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ」
正法を語って悪口罵詈されることは、最高の名誉である。仏法のために、嫌な思いをした分だけ、すべて功徳に変わる。勇気をもって正義を語り抜くことこそ、「如説修行」の実践であると示されているのです。
生命は永遠であり、妙法の力用は宇宙大です。この世の非難中傷など、あまりにも小さな波にすぎない。そう心に決めた大勇の信心が、無量無辺の大福運となって、わが生命を、一家眷属を、三世永遠の幸福と栄光で包んでいく。これが仏法の因果の理法であります。
戸田先生も、「何があろうと、広宣流布のためには、びくともしない人間となれ!」と教えられました。
師子王の
雄叫び聞いて
奮い起つ
広布の旅の
子等ぞ勇まし
昭和30年(1955年)の11月、恩師は私にこの和歌を贈ってくださいました。
「師子王の子は師子王となる」と仰せの如く、師の雄叫びを聞くや、弟子は瞬時にして奮い立つ。この師弟の大精神が貫かれてこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなるのです。
4 堂々と師弟を叫べ
威風堂々と王者の風格で進む。これが、草創以来、変わらない、学会精神の真髄です。
戸田先生は、こう語られた。「日本国を救おうというわれわれなのだから、われわれの精神は師子王の如く誇りをもっていてもいいのです。そうしたら仏になれる」
信心の世界は、世間の評価でも、役職でもありません。他人と比較するものでもありません。「ただ心こそ大切なれ」であります。
昭和26年の3月31日、私は日記に記しました。
「信念も、基準もなく、批判のみしている人が、賢明に見える社会である。信念、基準を持てる人は、一往、受け身になるようなれど、結局は強く、幸福であることを忘れてはいけぬ。
理念を持し、進む者は強し。王者の帆に打ちあたる風波は、一番強烈なのだ。恐るるな。恐るるな」
当時は、断崖絶壁の事業の苦境を、戸田先生とともに勝ち越えた頃です。この時、私は戸田先生の会長推戴へ、着実に一つ一つ手を打っておりました。
長い人生です。思うようにいかない時もあるかもしれません。しかし、その苦難に負けない「勝利への執念」があれば、必ず、明るい未来が待っているのです。私たちには、世界最高の哲学と、一切を「変毒為薬」できる信心があるからです。
強き祈りと行動は、すべて御本尊に通じ、諸天善神を揺り動かしていきます。なかんずく、リーダーは勇気凛々と声を挙げていくことです。師子王の心で語り切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏の陣営の威光勢力が増し、魔軍は退散するのです。
「私は、世界に二人とない大指導者・戸田城聖先生の弟子だ」
私は、師匠の偉大さ、真実の姿を、広宣流布のために言い切ってきました。何度も何度も繰り返し、繰り返し語り抜いてきました。それが折伏精神であり、広宣流布だからです。
「声仏事を為す」ゆえに、どんどん言っていくのです。沈黙を始めれば、正義は闇の中に入ってしまう。真実を叫び切っていく勇気が、勝利の波動を起こしていくのです。
恩師は、よく言われました。「我々は、自分で仏法を体験し、真実の学会を知っているんだから、誰よりも強いに決まっている」と。
その確信の対話の原点が、座談会であります。今、世界中の心ある識者が、創価の大座談会運動に注目し、讃嘆してくださっております。この座談会を軸として、我らは、戸田先生が宣言なされた「宗教界の王者」として、生命の勝利の王道を、一段と晴れ晴れと大行進してまいりたい。
わが創価の友よ、今こそ、地走る者の王たる師子王の如く、空飛ぶ者の王たる鷲の如く、勝ち進もうではないか!
君たちも
私も同じく
師子奮迅
栄光大道
歩む嬉しさ