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日蓮大聖人・池田大作

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関西代表協議会 つねに勇気のエンジンを燃やせ

1994.1.25 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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9  「人は善根をなせば必ずさかう」
 「栄光の年」は、一人一人が「栄える年」「光る年」である。
 日蓮大聖人は、南条時光に、こう書いておられる。
 「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう
 ──花は咲いて木の実となり、月は出て必ず満ち、灯火は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば茂っていく。(それと同じように)人は善根を積めば、必ず栄える──と。
 「善根」こそ、「栄える」因である。そして、法のため、人のため、広布のために祈り、行動することこそ、無上の善根である。
 創価学会が、今、最高に栄え、会員の皆さまが大功徳を受けておられるのも、大善根を積みに積んできたからである。
10  だからこそ、障魔も競う。羨望と嫉妬から、中傷も激しくなる。
 大聖人は仰せである。
 「世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」──世間の難が来ても、とりあってはいけません。賢人や聖人でも、難を受けることは逃れられないのです──。
 偉大なる大聖人でさえ、身命に及ぶ大難を、連続して受けられた。それに比べれば、今は、命を奪われるわけでも、牢に入れられるわけでもない。小さな難である。
 「とりあへ給うべからず」と仰せのように、いささかも紛動されないことである。毅然たる信心で、進み、戦い、勝つことである。広布の道で、社会の道で、人生の道で。
11  戸田先生は、昭和三十二年の年頭に当たり、こう記されている。
 「願わくは、吾人と志を同じくする同志は、世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたいものと考えて、望み多き年頭をむかえようではないか」(『戸田城聖全集』第三巻)と。
 この地上から、「悲惨」の二字をなくそう──これが戸田先生の信念であられた。ここに仏法の精神がある。ここに私の祈りもある。
 この最高に崇高なる戦いに続いていただきたい。
12  幸福は一凶と戦ってこそ
 大聖人は仰せである。
 「今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり」──今、末代悪世には、世間の悪よりも、出世間の法門である仏法について、大悪が生じている──と。
 正法に敵対して成仏を妨げ、民衆と社会に最大の災いをもたらす「大悪」。それが末代悪世には、仏法の中から出現する、と断じておられる。
 経文(法華経薬王品)の予言の通りに、世界広布を阻む「悪魔・魔民」が、「破法の法主」日顕の一派として出現したのである。
 それが、あらゆる災難をもたらす、根源の「一凶」である。徹底して責め、打倒することこそが、世界の「立正安国」への実践である。自分自身の不幸の因をも断ち切る行動である。
13  ホイットマンは、うたった。
 「さあ、出発しよう! 力、自由、大地、自然力、
 健康、挑戦、陽気な気分、自尊、好奇心を道連れにして、
 さあ、出発しよう! あらゆる信仰形式から、
 おお、蝙蝠のような目をした実利主義の僧侶たち、君たちの信仰形式から離れて
   (『詩集 草の葉』富田砕花訳、第三文明社)
14  私どもも、勇躍して、世界へ、民衆勝利の世紀へ、出発したい。
 現宗門は、大聖人・日興上人に反逆して、権威と形式、差別と束縛、策謀と搾取、貪欲と嫉妬、遊蕩と贅沢、不信と忘恩、邪義と醜行に支配されてしまった。この「邪宗・日顕宗」と、学会は永久に決別した。
 いよいよ、自由に、自在に、大聖人の御聖訓の通り、正義の道、幸せと平和の道、福運と歓喜の道を、悠々と前進してまいりたい。
15  終わりに、次の和歌を全関西の友にお贈りしたい。
  偉大なる
    世界の関西
      祝賀せむ
    栄光の城
      勝利で飾れや
  不滅なる
    大闘争の
      関西は
    元初の同志の
      誓いを忘れじ
 きょう、お会いできなかった同志の方々に、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 (大阪・天王寺区内)

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