Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第3章 助け合い支え合う絆
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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「おばあちゃん、本当にありがとう」
藤野
義母が亡くなったのは、一九九三年、在宅介護を始めて十五年目のことです。
私が「日米友好平和の集い」に参加するために、サンフランシスコに出かけていた時でした。
一週間ほど留守にすることになるので、かなり迷ったのですが、夫が「心配しないで、行ってきたら」と言ってくれたので、思い切ってアメリカ行きを決めたのです。
それで義母を、夫の職場のすぐそばにある病院に預け、娘たちにも家のことや義母の世話などをしっかり頼んで、出かけました。
平川
サンフランシスコでの集いには、私も参加しました。中部総会や埼玉総会などの意義も込め、代表が参加して行なわれたものでしたね。
藤野
ええ。総会のほかにも、現地のメンバーと交流したり、アメリカ創価大学を訪問したりと、さまざま有意義な経験をすることができました。
「今回の交流は、最高のご褒美だった。家に帰ったら、介護に、活動に再び頑張ろう」と感謝の思いで、帰りの飛行機に乗ったのですが、虫の知らせでしょうか、ふだんは乗り物酔いなどしないのに、気分がすぐれませんでした。
成田空港に着いたら、「すぐ、家のほうに連絡をとってください」と言われ、急いで電話しました。義母が亡くなったとの知らせでした。
ショックで目の前から、音や色が抜け落ちてしまって、あたりの風景がモノクロ映画のように感じられたことを記憶しています。
家に帰ると、安らかに眠っている義母の姿がありました。満足しきったような、とてもきれいな顔で……。享年八十歳でした。
寝たきりになってからも、あれだけ生き抜いて実証を示してくれた十五年間は、私たち家族にとって“宝の十五年”でした。
生前、口癖のように言っていた、「私はべっぴんさんなんだよ」との言葉を思い起こしながら、「おばあちゃん。今まで本当にありがとう」と、お礼を言いました。
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感謝の心、負けない心が人生を開く
平川
長い間、介護をしてきて、最後にお礼を言うことができる――本当に、すばらしいですね。
藤野
先ほどもお話ししましたが、私にはもともと「介護をしてあげている」という気持ちが、まったくなかったのです。
むしろ、「介護をさせてもらっている」というのが、正直な気持ちでした。
夫に対しても、「お義母さんの面倒を看てあげている」という気持ちではなく、介護をしている私をいろいろな面で支えてくれていることへの感謝の思いでいっぱいでした。
二人の娘も、寝たきりだった義母の存在を身近に感じながら育ってきたので、自然と思いやりの心が芽生え、家のことも自分たちから手伝ってくれていたのです。
義母の存在のおかげで、家族の皆が、互いのことを思いやり、助け合う――何か東京の“山手線”みたいにぐるぐると、「感謝」の心が家族の間を回るといった感じでした。
義母には、本当に得難い宝を、私たち家族に与えてくれたと深く感謝しています。
池田
感謝する心、負けない心さえあれば、人生はいくらでも大きく開けていきます。
家庭生活を勝利するのも、現実の大地を一歩一歩踏み固めていくしかありません。
家事や子育て、時には看病や介護もあるでしょう。だが、そうした一つひとつのことを、他人のためにやっているのではなく、自分が決め、自分から求めてやっているのだ――そう心に決めれば、不満も愚痴もない。使命を貫く喜びと充実感がわいてくるはずです。
三世の生命観と仏法の眼から見れば、私たちは願って、今の境遇に生まれてきたのであり、どんな悩みも、自分で選んだ悩みと言える。
そうとらえていけば、どんな苦難も、楽しみながら乗り越えていけるはずです。
高齢社会となり、介護の問題がクローズアップされていますが、介護は、介護するほうが、より境涯を高め広げていけるのだということを忘れてはいけない。
社会全体で、介護を支え合っていく時代ですが、この一点こそ、心を込めた介護のポイントではないだろうか。
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「衆生所遊楽」の人生を
平川
すべては自分の一念なのですね。
私の長年の知り合いで、埼玉で障害をもったお子さんを懸命に育て上げ、和楽の家庭を築いてきた方がいます。
結婚して初めて生まれた息子さんが、脊椎に障害があり、三歳まで生きられるかどうかと医者から言われた。そこで、お母さんは、「この子を死なせてなるものか。絶対に信心で乗り越えてみせる」と奮起されました。
お子さんを連れて折伏にも歩き、「その子が治ったら、また来てよ」と冷たい言葉を浴びせられながらも、決して退かなかった。
その後、小学校で息子さんが障害のことでいじめられ、「お母さん、僕が生まれてきてよかった?」と聞かれた時には、「もちろんよ。あなたが生まれてきて、お母さんは、本当に幸せだよ」と、思わず抱きしめたそうです。
息子さんは、そんなお母さんの思いに応えるように、中学でも懸命に勉強に励み、その姿をじっと見ていた担任の先生は、卒業式で「僕が感動している生徒がいる」と言って、涙を流しながら息子さんのことを紹介されるほどだったといいます。
藤野
お母さんの強い祈りと励ましがあればこそ、息子さんも頑張られたのですね。
平川
私もそう思います。
お母さんは、「体の障害に負けて、心の障害をつくらせない」「つらさに負けない強い心を」と、ずっと息子さんのことを必死に祈ってこられたといいます。
そして、八六年に池田先生が三郷文化会館を訪問された時に、「感傷に涙する婦人部ではなく、太陽のごとく明るく前を向いてね。強く生きるんだよ」と激励していただいたことが、何よりの支えとなった、と。
息子さんは今では、立派な社会人として、また地域では男子部の副部長として元気に活躍されているそうです。
この前も息子さんが、「おふくろ。学会の先輩がよく俺にいろいろ“頼んだよ”と言うけど、俺が障害者だっていうこと、みんな忘れてるんじゃないか」と笑っているのを聞いて、くじけずに頑張り抜いてきて本当によかったと語っておられました。
「一つひとつの経験が、お金では買うことのできない財産となり、何があっても負けない心を築くことができました。この信心にめぐりあえたことを感謝しています」との言葉を聞いて、私も感動しました。
池田
それはよかった。本当にうれしい。
法華経には「衆生所遊楽」という言葉がある。
この「遊楽」とは、“うわべの楽しみ”とか“うわべの幸福”のことではありません。仏法でいう「遊楽」とは、生活の中で、現実の社会の中で、自分を輝かせ、自在に乱舞していくことを意味しています。
あたかも“波乗り”を楽しむように、人生の苦難さえ「喜びに変え、「希望」に変え、人生そのものを、太陽のごとく気高く、燦然と光り輝かせていく生き方なのです。
仏法の「誓願」という、菩薩の生き方は、自分で誓い、使命の人生を勝ち取っていく――そこに本領があります。
戸田先生は、よく言われていた。
「われわれの姿は、“貧乏菩薩”や“病気菩薩”のように見えるが、それは人生の劇を演じているんだよ。正真正銘の地涌の菩薩なんだ。人生の劇なら、思い切って楽しく演じ、妙法の偉大さを証明していこうではないか」と。
子育てにも同じことが言えるでしょう。
お子さんの病気、勉強のこと、進路のこと、悩みはさまざまあるかもしれない。だが、それを全部、家族が幸福になるための「財産」なのだととらえて、一歩でも前に進む人が、本当の「人生の勝利者」です。
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