Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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3 食文化は社会を映す鏡  

「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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8  美しい「共生の文化」の花を
 池田 では、総じて貴国の食文化は、どのような文化的背景によって育まれてきたとお考えですか。
  韓・朝鮮半島は、歴史的に見て、大陸文化と海洋文化の両方を受容せざるを得ない複雑な環境の中にありました。
 そこで、混雑した内部的要因を整えていく経験から得た知恵があります。ごちゃ混ぜのなかにも調和を求めたのです。それがやがて、ビビンパブのような料理にも表れるようになったのかもしれません。
 池田 「ご飯を混ぜながら、すべての食材の調和を図っていく」ということですね。
 食に関する文化は、人間の生き方と密接しているがゆえに、突きつめていけばいくほど、奥が深い。
 それと、韓国では、食事をしたかどうかが、日常のあいさつとして使われてきた経緯があったように記憶しています。
  ええ。田舎のほうでは現在でも、「シクサ(食事)ハショッスムニカ」、つまり「食事をなさいましたか」という言葉が、そのまま「朝のあいさつ」として使われています。
 池田 朝昼晩の区別なく使える「アンニョン(安寧)ハシムニカ」「アンニョンハセヨ」というあいさつの言葉も、もともとは、相手の安否を気づかう言葉ですね。だから、時間帯による区別が存在しない。日本語の「おはようどざいます」「こんにちは」など、時刻や日柄から派生した言葉とは根本的に成り立ちがちがいますね。
  韓国では、顔を合わせた時にすぐさま安否を確認し合うという習慣が、やがて、あいさつとして定着したのでしょう。
 今はもちろん、こまで重い意味はありません。
 友人同士で気軽に「アンニョン?」と呼びかけ合います。
 韓半島は長い間、中国大陸からの武力に脅かされ、二十世紀前半には日本帝国主義の武力によって攻められ、さらに戦後には、米ソの武力によって分断され、それこそ何が正義なのか分からないほどに混乱しました。
 韓国の美しい文化も、激動の時代を移りゆくうちに汚されてきました。
 しかし、蓮の花は、汚い泥を除いてしまっては、決して咲きません。と同様に、二十一世紀こそ、幾多の試練を経てきたわが国の文化が、日本や、さらには中国の文化とも共生しつつ、爛漫と花咲かせる世界にしなくてはならないと考えています。
 池田 必ずそうなっていくことを、私も深く願っています。否、確信しています。
 中国と言えば、二十世紀の初頭、日本と中国を往来した近代中国の大指導者に、孫文がいます。
 孫文は、アジアの平和と繁栄を、誰よりも強く願っていました。ゆえに、軍事力を背景にアジアの文化を蹂躙しゆく日本の暴挙に、警鐘を鳴らし続けた。孫文は語っています。
 「仁義道徳をもちいる文化は、人を感化するのであって、人を圧迫するのではなく、人に徳を慕わせる」(「講演集」堀川哲男、近藤秀樹訳『世界の名著』78所収、中央公論社)
 今、こうした「仁義道徳で人を感化する」「人に徳を慕わせる」という、いわば文化の善の力が、世界的に弱まっています。
 この文化の善の力を強くしていくことが、これからの世界の大きな課題です。
 私は、博士との対談を通じて、韓日両国の文化の善の力を、強め、深め、広めていきたいのです。
  私もまったく同感です
 身近な生活習慣のなかから、自分たちの文化の善の力を再発見し、再認識し、あらためて自覚を深めていくことは、とても大切なことです。
 池田 孫文はこうも言っています。
 「かならずや両国(=日本と中国)が相調和しえてこそ、はじめて中国は幸福に恵まれるのである。また、両国がその平和を大切にするなら、世界の文化もそれによって大いに栄えるのである」(「中国の存亡問題」武田秀夫訳、『孫文選集』3所収、社会思想社)
 大切な思想です。韓国と日本もまさにそうでしょう。
 韓日両国が、さらに友好を深めながら、互いの文化の善の力をさらに発揮し合っていくことは、必ずや「世界の文化」を豊かにする一助となっていくと信じます。
 ゆえに、これからも、アジアと世界を見据えつつ、両国の文化と教育の交流に尽力していく決心です。

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