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日蓮大聖人・池田大作

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第五回本部幹部会、「聖教新聞」創刊五十… 創立百周年の五月三日へ出発!

2001.4.25 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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8  この五月三日、「アメリカ創価大学」が、いよいよ開学する。新入生は世界から最優秀の約百人。(入学式は八月二十四日)
 オレンジ郡キャンパスでは、開学式をはじめ、さまざまな祝賀行事が予定されている。五月二日には、学生の教室棟の一つ、「ポーリング夫妻棟」がオープンする。
 (ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ポーリング博士を記念した教室棟)
 さらに、ポーリング家の方々や、博士にゆかりのある世界第一級の科学者などをお迎えして、「ライナス・ポーリングと二十世紀」展が盛大に開幕する。
 五月三日の当日には、世界から多数の大学総長や学長、またカリフォルニア州の上院議員、下院議員、地元の名士、新入生の代表など約二千人が出席して、荘厳な開学式が挙行される予定と、うかがっている。式典の席上、二〇〇一年五月三日」が、カリフオルニア州の「アメリカ創価大学の日」と宣言されることが決まっている。(大拍手)
 翌日(五月四日)には、開学を記念する講演会と、地元のアリソビエホ交響楽団による祝賀演奏会。まさに、地域をあげての祝賀行事である。
 (アメリカ創価大学のキャンパスを一周する遊歩道は、アメリカ政府公認の「千年紀の道〈ミレ・一アム・トレール〉」。二〇〇〇年に認定され、ヒラリー・クリントン大統領夫人〈当時〉から公認証書と祝福のメッセージが寄せられている)
9  待望の開学を前に今、世界の識者や友人から、祝福のメッセージが続々と届いている。その一部を紹介させていただきたい。
 まず、ニュージーランドのクラーク首相。
 「美しい自然に囲まれ、すばらしい施設を備えたアメリカ創価大学のキャンパスには、世界中から学生が集ってくることでしょう。池田博士、SGIの長年にわたる『平和への貢献』と『国際協力』は、階級や文化、国家といった障壁を超えるものであります。まさしく、この精神が、続たに創立されるアメリカ創価大学に生命を吹き込むことを、私は確信するものです。関係者の皆さまのさらなるご活躍を、お祈りいたします。本当に、おめでとうございます!」
 (首相は、SGIの運動に共感し、二〇〇一年二月のニュージーランドSGIの文化祭にも「SGIは、未来の平和の道を開くために働いておられます」との、祝福のメッセージを計せている)
10  そして、フィリピンのラモス元大統領。(ラモス元大統領は創大名誉博士。名誉会長とは、フィリピンと東京で語らいを重ねている)
 「創価大学は、学生のなかに『希望』『勇気』『利他の行動』という潜在的な能力を開発することを、大学の使命として歩んでおられます。これは、大変にすばらしいことです。こうした能力を開発することによって、青年や、その先輩、教師たちも、自分自身に対する責任はもちろん、地球家族の同胞に対する、さらなる責任をもって、新たな千年の課題に立ち向かう心構えができるからであります。
 創立者であられる池田博士に、そして、博士の『教育による平和のビジョン(展望)』に、心から祝福申し上げます。アメリカ創価大学に、マブハイー(フィリピンの言葉で『ますますのご発展を!』)」
11  「正義」と「人権」の解放
 きょう四月二十五日は何の日か?
 世界を見わたせば、イタリアがファシズムを完全に打ち破った、勝利の「解放記念日」である。民衆が決起して戦いぬき、一九四五年のきょう、イタリア全土の解放を勝ち取った。
 私たちも、いよいよこれからが、二十一世紀の本格的な戦いである。「勝利」を獲得することだ。日本全土の、正義と人権の「解放」を勝ち取るのが、広宣流布であるからだ。
 日本のため、世界のためのわれらの前進である。日蓮大聖人の御遺命である。恩師の悲願である。断じて実現する以外にない。きょうは、その大事な出発なのである。
 なお現在、イタリアでは、この解放記念日の意義をこめて、「平和の三師匠」展として、マハトマ・ガンジーとキング博士に、光栄にも私を加えていただき、平和と人権の展示が開催されている。(拍手)
 (ジェノバ県のカンポモローネ市で。同市からは解放記念日にあたり、「平和の促進者」顕彰がSGI会長に贈られた)
12  ところで、日本を見れば、きょう四月二十五日は、明治政府から「太政官布告」が出された日である。
 一八七二年(明治五年)、牧口先生の生誕の翌年のこと。僧侶の「肉食」「妻帯」「蓄髪(髪を伸ばすこと)」は「勝手たるべき事」、すなわち「自由にしてよい」と定められた。これは、まったく仏法の法理とは関係なく、権力の都合から出された法令であった。
 表面だけ見れば、自由を認めた、よい内容のように見えるかもしれない。しかし、その背景には、権力側が「神道を国家の基本に据える」ために、日本の仏教界を腐敗させ、堕落させ、骨抜きにする意図があったといわれる。これが権力の恐ろしさである。権力の魔性である。
 私どもの同志のなかにも、権力の魔性に食い破られ、慢心におちいり、堕落し、人間としての道を踏み外した愚か者も出た。
 戸田先生は、こうした権力の本質を鋭く見破っておられた。だからこそ、つねに「権力と戦え!」と叫ばれたのである。
 明治の初め、仏教界は権力の画策を見抜くことができず、まんまと乗せられ、もろくも崩れ去ってしまった。″多くの坊主たちが布告を読んで狂気乱舞し、「仏にもまさる、お上の慈悲かな」と涙を流して、ありがたがった″という情けない話も残っている。
 もちろん、宗門も例外ではありえなかった。大正時代の宗門で出されていた機関誌には「僧侶もまた人間なり」「妾も蓄うべし」などと、開き直った暴論が残されている。
 (「自然鳴」大正三年十月号に「僧侶も亦人間也。妻も持つべし。牛肉も喰ふべし。子も造るべし。妾も蓄ふべし」とある)
 その後の宗門の堕落ぶり、また閉鎖的な血族主義の横行は、皆さんもご覧のとおりである。そして今や、まったくの邪教になりさがった。
13  サンガの原義は「広宣流布の集い」
 大聖人は仰せである。
 「日蓮は、そうした妻子ももたず、魚や鳥も食べず、ただ法華経を弘めようとするゆえに、妻子ももたないのに犯僧という名が日本国中に満ち、ケラやアリさえも殺さないのに、悪名が天下に、はびこっている」(御書936㌻、通解)と。
 ただ民衆を救わんと、もっとも崇高な行動を貫かれた大聖人が、嫉妬によってであろう、こともあろうに国中の人々から、もっとも醜い汚名をかぶせられてしまった。しかし大聖人は、すべて法華経に説かれたとおりの難であり、「うれしさは、とても言い尽くすことはできない」(同㌻、通解)と、悠然と仰せであった。
 この崇高なる御精神にまっこうから違背し、遊蕩と堕落のかぎりを尽くしてきたのが日顕であり、日顕宗である。この事実を、後世に明確に残しておきたい。
 戸田先生は、よく言われていた。
 「僧侶といっても、妻帯して、われわれと同じものを食べ、同じものを着ている。そして、同じ南無妙法蓮華経を唱えている。われわれとまったく同じではないか。ゆえに、僧が上などと威張るのではなく、われわれと一緒に、平等な立場で、広宣流布に戦っていくのが本当の僧侶である」
 きょうは、戸田先生の言葉のとおり、創価学会と一体で戦っておられる「広宣流布の僧侶」の皆さまを、お迎えできてうれしい。(拍手)
14  大聖人が仰せの理想の「和合僧」は、現代では、創価学会以外にない。
 「和合僧」の「僧」を、短絡的に「僧侶」とみるのは間違いである。「僧」とは本来、仏法を正しく持ち、広宣流布に進む人々の「集まり」をいう。
 もともとは、釈尊の仏法のもとに集まった同志を、当時のインドで「僧(僧伽、サンガ)」と呼んだのである。
 (「僧」は本来、「仏教修行者の集まり」を意味する「サンガ」の音訳「僧伽」を略したもの。中国においては、「僧」が出家した個人をさすようになった)
 この原義に照らせば、「広宣流布の信心」ありてこその「僧」である。姿形ではない。広宣流布に正しく進むわれわれこそが、姿は有髪であっても、真実の「和合僧」なのである。(拍手)
15  終わりに、「インドの詩聖」タゴールの言葉を引きたい。
 「他人を中傷して自己満足にひたるのは、弱者の気晴らし」(『タゴール著作集』8、森本達雄訳、第三文明社)と。
 小さな人物が、偉大な人間を中傷するのは、歴史の常である。
 大聖人は仰せである。「愚人にほめられたるは第一のはぢなり
 戸田先生は言われた。「大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(「青年訓」)と。
 これからも、この大確信で戦ってまいりましょう! お帰りになられたら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。きょうは、おめでとう! ありがとう!
 (東京戸田記念講堂)

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