Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三回ドイツ最高会議 「仏法」とは「人生の法」

1994.5.26 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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8  この御手紙は、佐渡で書かれている(文永九年四月)。御自身の大難のさなかに大聖人は、名もない在家の女性を、渾身の力で激励されたのである。そして「この手紙は、(同志である)藤四郎さんの奥さんといつも寄り合って、読みなさい」と、団結を教えておられる。
 「一人の門下も、不幸にさせたくない」との大慈悲が迫ってくる御言葉である。学会の婦人部も、御書の通り、「常に寄り合って」進んでいる。
 これほどの乱世のなか、婦人の身で、真剣に信仰を貫いている。その姿を大聖人は、″ただごとではない″と仰せである。決して、当たり前のことではない。本当に不思議な、深い深い意味のあることなのである。
 「おのおの・わずかの御身と生れて鎌倉にゐながら人目をも・はばからず命をも・おしまず法華経を御信用ある事ただ事とも・おぼえず
 ──あなた方は、身分も低く生まれ、しかも(迫害の強い)鎌倉に住みながら、人目をもはばからず、命をも惜しまず、法華経の信心をされていることは、ただごととも思えません──。
 「釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各各の御心中に入り給へるか、法華経の文に閻浮提えんぶだいに此の経を信ぜん人は普賢菩薩の御力なりと申す是なるべし
 ──釈迦仏が、また普賢菩薩(英知の力をもつ)が、薬王菩薩(病苦を治す力をもち、法華弘通を誓った)が、宿王華菩薩(神通力で法華経を守護する)等が、あなた方の生命の中に入られたのでしょうか。法華経の経文に「世界で人々がこの経を信じるとき、それは普賢菩薩のお力である」とあるのは、このことでしょう──。
 大聖人は、けなげに戦う婦人門下の生命の中に釈迦仏を拝しておられた。普賢菩薩の力、薬王菩薩の力、宿王華菩薩の働きを、はっきり、御覧になっていた。
 何と尊いことかと、称嘆なされていた。婦人の懸命な戦いを当たり前のように思っては、この大聖人の御心に反する。御心に反すれば、罪となる。
 私は常に「婦人部を尊敬し、婦人部を大切に」と申し上げている。「広布に戦う学会員を尊敬し、学会員を大切にする」──これこそが、御書に示された大聖人の御心の実践である。
 また生命に釈迦仏が入って働いている、その人が幸福にならないはずがない。″普く賢い″働きの普賢菩薩が生命に入っていて、賢くならないはずがない。薬王菩薩が入っていて、健康にならないはずがない。
 宿王華菩薩の「守護の力」もまた、広布に生きる女性の生命を包んでいることを確信していただきたい。
9  広布に働く「心」が我が身を飾る
 「ただ心こそ大切」である。
 たとえば、会館を花で飾ってくださる。その「心」が我が身を飾り、生々世々、花に包まれるような境涯になっていく。会館を大切にする人は、広宣流布を大切にする人だからである。
 また陰で、広宣流布のために汗を流し、地道な労作業をしていく。その「心」が、我が身を「健康」にし、我が生命を「頑健」にしていく。そのように「心」を見るのが仏法の眼である。
 広布のために、勇んで働けば働くほど、我が生命に福運が充満してくる。仏法に絶対にムダはない。
 どうか「よき人生」を送っていただきたい。SGIとともに、楽しく、価値ある一生を生きていただきたい。皆さまの栄光輝く人生をお祈りし、記念のスピーチを結びたい。ドイツには、また何度もまいります。
 (ドイツ・フランクフルト近郊)

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